写真整理 Ⅴ 〜懐かしの台湾写真〜
どうも西尾です。
本日から3月がスタートです。
2024年、早いもので2ヵ月が経ちましたが皆様いかがでしょうか。
また本日は多くの高校で卒業式が行われます。
ご卒業おめでとうございます。
写真整理 Ⅴ
〜懐かしの台湾写真〜
大通りを歩いていた時に声を掛けられて、そこから不思議と一緒に歩く私と杖をついた男性。
この杖をついたご高齢の男性の名前は陳さん。
陳さんの年齢は聞きそびれたが、幼少の頃に少し日本語を習ったことがあり、大きくなってからも少しの間だけ熊本や九州の方で働いたことがあるという経験の持ち主だった。
どうりで日本語が通じるわけである。
私と陳さんは大通りをとぼとぼと話をしながら歩く。
私はどこに向かっているかも分からず、とりあえず一緒に歩いた。
陳さんは、私が日本からの旅行者だということで歩きながら台北の街を案内してくれた。
あの建物が大学で、こっちは寺院、それは病院、ここは飲食店…といった具合に台北の街案内をしてくれたのだ。
台北の街並みも昔と比べると随分変わったのだという。
私は昔の台北の街並みを見たことがないが、それがどういうものであったのか想像してみた。
おそらく、商業ビルやマンションなどの大きなビルは建っておらず小さな家屋や低層の雑居ビルなどが多かったのだろうか。
もしかしたら日本統治時代の建物ももう少し残っていたのかもしれない。
自動車やバイクもそれほど多くは無かったのかもしれない。
街中は多くの屋台が溢れて、皆飲み食いを楽しんでいたのだろうか。
陳さんの説明を聞きながら、そんなことを想像していた。
途中で前を通り過ぎただけだが、大きな門と立派な白い建物からなるここは中正紀念堂である。
中正紀念堂は中華民国(台湾)の初代総統である蒋介石を顕彰する施設で、台湾の晴れて澄み渡った青空と大きくて立派な白い建物とがよく調和していた。
施設内には蒋介石に関する資料も展示されているらしい。
台北を代表する観光スポットの一つであるため、門の前で多くの観光客が写真を撮影する。
私は陳さんの案内でこの中正紀念堂の前を通り過ぎた。
ここだけの話、中正紀念堂の前を通った時に陳さんから説明を受けたが、所々現地の言葉も混ざりつつの説明であったので、何の施設なのかが分からず、帰国後に調べて中正紀念堂であることを知った。
今振り返ると惜しいことをしたと思っている。
観光スポットの一つである中正紀念堂の前まで来ているのに、私は写真を撮るだけで、中に入らなかった。
どうせなら中正紀念堂も訪れておくべきだった。
私と陳さんは中正紀念堂の前を通り過ぎてまたとぼとぼと歩き続けた。
陳さんは杖をついてる割には歩くペースが速く、途中で休憩をとることもなく歩き続けるので、少し心配になった。
当の陳さんは私の心配とは裏腹に、杖をついてることなどお構いなしに歩き続ける。
なかなか元気なお爺ちゃんだと思った。
少し歩き続けていると地下鉄の駅があった。
陳さんからの勧めもあり、この地下鉄の駅も撮影しておいた。
何故勧められたのかと言うと、陳さんのご自宅がこの駅の近くであっったからである。
なるほど、そういうことか。
確かに、駅が分かればまた陳さんに会いたい時は直ぐに場所を思い出せる。
私は一人で納得した。
ここで私は今まで陳さんの帰宅に付き添いをしていたということに気付いた。
そう言えば歩き始めた時もどこに行くのか聞いていなかった。
私も気にせずついて行った。
これも旅の醍醐味なのかもしれない。
思いも寄らない出会いがあるのが旅である。
その後、私は贅沢にも陳さんのご自宅にお邪魔させて頂くことになった。
駅から少し歩いたところにある陳さんのご自宅前には近所のお婆ちゃんが二人椅子に座ってくつろいでいる。
陳さんがその二人のお婆ちゃんに対して何か喋っているので、私も笑って挨拶だけしておいた。
ご自宅にお邪魔すると陳さんの娘さんがくつろいでいた。
娘さんは30〜40代くらいの方で既に家を出ており、その日はたまたま実家に寄っていたそうだ。
娘さんにもご挨拶をして、ソファに座らせて頂く。
テレビがついており、見てみると日本の番組がしている。
衛生放送で日本の番組を見ていたようで、日本の番組は面白いのだとか。
そうこうしていると、これを食べなさいとバナナや台湾のお菓子など色々と頂いた。
台湾のバナナだろうか。
日本のスーパーで売っているフィリピン産の細長いバナナとは異なり、小ぶりで丸っこいバナナである。
このバナナもすごく美味しかった。
台湾のお菓子も初めて見たようなお菓子ばかりだった。
日本の豆菓子のようなお菓子もあった。
私はただ頂くことしか出来ず、手元に何か日本のお土産物が有れば良かったと思った。
陳さんの娘さんとも色々と話をした。
半年ぐらい前には京都へ旅行に行っていたのだという。
日本は好きで、サンリオのハローキティが好きだという。
お二人ともとても親切な方である。
日本から来たよく分からない者に対してすごく親切にしてくれた。
本当に感謝の気持ちしかない。
ご自宅で少し休憩をさせて貰い、最後にご自宅の住所をお伺いし私は宿に帰ることにした。
帰り際も近くのバス停まで陳さんが見送りに来て下さり、さらに親切にバスの運転手に、何処どこのバス停まで、というふうに伝えてくれたのだ。
私はもう感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
バスに乗り込み、運転手近くの座席に座る。
扉が閉まりバスが動き出すと、陳さんに手を振り続けた。
陳さんの姿が見えなくなるまで振り続けた。
本当にありがとうございました、と。
旅は一期一会と言うが、本当にそうなのかもしれない。
陳さんと娘さんには親切にもてなして頂き、本当に感謝しかない。
ご自宅の住所を教えて貰っていたので帰国後にお手紙を書いた。
ただ、その後は台湾に行くこともできず、陳さんが今お元気にされているのかが分からない。
次、台湾に行く時は陳さんのご自宅には一番に伺いたい。
私が乗る路線バスは爽快に台北の街中を走っていた。
陳さんのご自宅まで歩いた時とは異なる道を走っている。
夕刻だからだろうか。
街中を多くの人が行き交う。
バスの運転手がバス停の名前を一つづつ読み上げる。
アクセルの踏み込みが強いのか、バスの急な加速がクセになる。
バスの窓越しに見えた夕陽が何とも言えないほどに美しかった。
少し走るとバスの運転手から声を掛けられた。
どうも私が降りるバス停に着いたようだ。
感謝を伝えバスを降りると、そこはいつも口に指を咥えながら見ていたシェラトンホテルの近くである。
もうこんな所まで戻ってきたのか、そう思いながら、私の常宿のようになったシェラトンホテル(泊まったことは一度もない)を後にして、安宿TAIPEI HOSTELへ戻った。
TAIPEI HOSTELに戻りしばし休憩をとり、再び街へ繰り出す。
食べるモノが無いので調達するか食べに行って腹拵えをしなくてはならない。
既に空は暗くなり街灯が灯っていた。
夜はさすがに少し肌寒い。
上着を羽織りTAIPEI HOSTELを飛び出す。
さて、飯はどうしようかと考えながら。
続く。
以上になります。
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