考えずにはいられない 口縄坂
どうも西尾です。
昨日、初めてnoteの“つぶやき”投稿をしました。
つぶやき投稿でも、記事の投稿としてカウントされるとは知らなかったです。
今後はつぶやき投稿もしていきたいと思いました。
考えずにはいられない 口縄坂
天王寺七坂 口縄坂より
古の都・難波宮が置かれていた大阪の「上町台地」。
今から約6,000年前の縄文時代には、上町台地の西側は海となっておりました。
そのため、上町台地西側は海の波で削られた急な崖となっており、現在もそこには急坂が見られます。
その中でもとりわけ有名なのが「天王寺七坂」と呼ばれる坂道。
低地ばかりの大阪で急坂は珍しく感じられます。
「天王寺七坂」は北から順に、真言坂・源聖寺坂・口縄坂・愛染坂・清水坂・天神坂・逢坂で、それぞれの坂道が違った味を持っている。
今回は最も有名な坂道である口縄坂。
口縄の由来は、坂道の起伏が蛇(くちなわ)、ヘビのようであることから。
天王寺七坂の中では名前が最も広く知れ渡っているのではないかと。
と言うのも、小説家・織田作之助の名作『木の都』の舞台。
『木の都』は1944年・昭和19年に発表された。
戦時下での戦争に翻弄される庶民の生活ぶりを描いている。
織田作之助の文学碑もあり、『木の都』の一節が刻まれている。
また、織田作之助とは別で、有栖川有栖氏の怪談集『幻坂』では、天王寺七坂を舞台にしており、「口縄坂」では女子高校生が坂に棲む猫を撮影しにきて、その夜から金縛りや悪夢にあう、ということが描かれている。
実際に口縄坂を訪れてみると、確かに、何か物語を考えずにはいられない、そのような異世界に入り込んだかのような気持ちになる。
大都会の中にありながら、喧騒から離れた静かさと、周りのお寺からの匂い、アスファルトでもコンクリートでもない、石畳を歩いている時の石の硬さが足の裏からひしひしと伝わってきます。
そして、谷町筋側(坂の頂)から松屋町筋側を見下ろしてみると、大阪の市街地が見えそうなところを、お寺から延びた大きな樹木(楠か?)が視界を隠す。
これがすごく素敵だと思う。
市街地が見えそうで見えないところにもどかしさを感じつつも、坂道を下っていくと徐々に開けてくる奥の景色に、期待と楽しみを感じつつ坂を下る。
私はそのように思いながら坂道を下りました。
坂道を下ってみると、やはり頭の中では物語を考えておりました。
当初思い浮かんだのは恋愛モノ。
学生服の男子高校生とセーラー服の女子高校生が毎日この坂道を通り下校する。
この2人は手を繋がず、なんとも言えない絶妙な距離をとりながら歩く。
夕方になると夕日も綺麗でまさに青春時代、という淡い感じがする。
そして、ある日の夕方、人気のいないのを見てキスをする。
好きな人を想うと胸が締め付けられる。
でも、その締め付けは愛しい喜び。
ということを考えたが、単純でありきたりすぎるようにも思った。
よし、恋愛モノはやめておこう。
次に考えたのは、40代くらいの文学好きなおっちゃんが主人公で、毎朝坂道近くでゴミを拾ったり掃除をする。
近所の小学生からは掃除のおっちゃんと慕われる。
お寺の住職からも、素晴らしいことだと言われ褒められる。
掃除を終えたおっちゃんは、右手に織田作之助の小説を抱え、左手はズボンのポケットに入れて、ポケットの中で小銭をチャリンチャリン鳴らして口縄坂を下っていく。
口縄坂を下っている最中に考えていることは、有ろうかとか、パチンコに勝つこと。
そう、おっちゃんは大のギャンブル狂いで、毎朝掃除をしているのは、“徳を積む”ことでパチンコに勝つため。
おっちゃんの頭の中は9割パチンコ、残り1割文学で成り立つ。
毎朝掃除をしてパチンコに行く。
パチンコに勝っても負けても、片手には小説を抱えて帰り、家で小説を読む。
パチンコに勝った日は何とも充実した1日で、人生の喜びを噛み締める。
パチンコこそ我が人生、人生はギャンブルだ。
そして、翌日も朝から掃除をして“徳を積む”。
大好きな織田作之助の小説を抱えて。
そんなおっちゃんの日常を物語にすると面白いだろうな、と考えました。
ばちが当たって、織田作之助さんにも怒られそうな気もしますが…
皆様も口縄坂にお越しの際には、一つ物語を考えてみてはいかがでしょうか。
以上になります。
お読みいただきありがとうございました。
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