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【短編】『親父の遺産』(中編)

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親父の遺産(中編)


 オレは執事の言ったコールドスリープという言葉を聞いて一瞬理解が追いつかなかったが、再び執事が何かを口にする前にはその意味がわかった。

「コールドスリープというのは、」

「いつ目覚めるんだ?」

「あ、はい、100年後でございます」

オレは100年という長い年月に圧倒されかけたが、親父の資産額を考えれば全くもって無理という話ではなかった。そもそもコールドスリープ自体が富豪の中の富豪がなせる所行であり、親父の場合はそのはるか上を行っていた。およそこの事実がメディアにでも知られれば、世紀の大ニュースになるに違いないが、その情報を隠すことぐらい親父からすればたやすいことだった。

「このことはくれぐれも他言無用でお願いします。お父様からは子供たちだけには教えても構わないと申し付けられておりますので」

オレは一瞬この事実を世に明かしてしまおうかと思ったが、自分もメディアによる非難を受けかねないと思いその浅はかな考えを捨てた。最近の世の中はお金の使い道すら自由を許されていないのだ。

「どこで眠ってるんだ」

「大変申し訳ございませんが、それは申し上げられません」

「そうか」

親父は眠っている隙に我々が殺しにくることをすでに予測していた。こうなってはもはや自分が生きている間に遺産を受け取ることは叶うまいと完全に手段を失い途方に暮れてしまった。オレはこれからどのようにして生きていけば良いのか。もうこの世界で生きている意味すらないと思えた。その時、ある考えが頭に浮かんだのだ。

「そうだ。オレもコールドスリープに入ろう」

もしオレが可能な限り親父と近い年代に目覚めて少しでも親父と時を共にすれば、自分が死ぬもっと前に親父の死を迎えられるはずだ。その頃には兄も姉もすでにこの世にはいないため全ての遺産が自分のものになるという寸法だっだ。なんて聡明で卑劣な計画を思いついたんだと自画自賛するほどだった。

 結局のところ親父はオレのことなど全くもって気にかけてはいなかった。もう今後会うことのない子供の顔を一目見ておこうと、あの時オレを実家に呼び出したのだ。もし仮にオレがこのまま親父を見逃して実家に帰る選択をすれば多少なりとも普段の生活水準は改善されるであろうが、それよりも親父の遺産を手に入れる方がよっぽど理にかなっていた。オヤジは死を目前にして資産を手放すことが惜しくなったに違いない。なんとか長く資産を持ち続ける方法はないかとコールドスリープに入ることを思いついたのだ。要するに、親父の頭にあったのは未来に行けば医療もさらに進歩し、寿命を多少伸ばす薬ぐらい開発されているだろうということだった。しかし、親父の執事は決してやつの眠っている場所をオレに、また兄や姉にも言わなかった。唯一教えてくれたのは親父が起きる年代だけだった。

 オレは兄や姉を出し抜こうと思い、自らの全財産を使ってできる限り親父の目覚める年代近くまでコールドスリープに入ることにした。コールドスリープを提供する会社に問い合わせると、身元と所有資産額を確認され、すんなりと承諾された。もちろん所有資産の明細は親父の名前をもとに偽造した。白衣を身につけた科学者か医者か判断しようがない者に、コールドスリープの保管庫まで連れて行かれた。中に入ると、そこには幾千ものカプセルが綺麗に天井まで並べられており、ここのどこかに親父がいるに違いないと思った。自分専用のカプセルに向かう途中、白衣の男は暇つぶしでもするかの要領でオレに話しかけた。

「コールドスリープに入る人ってのは皆変わっている人が多いんですよ。お金持ちなのは代わりないが、不治の病にかかった者だったり、国外逃亡した受刑者だったり、SFの世界に憧れる者がいたりと。ね、変わってるでしょ?」

オレはふと自分もその一人なのかもしれないと思った。親の遺産を独り占めするために眠っている親の後を追いかけただ親の死を待つ。なんとも滑稽な理由だと笑い出しそうになった。

「では、えっと、60年後ですね。眠りに入ってしまったらもう目覚めるまで一瞬ですので退屈することはありません。睡眠中の生命維持管理に関してはご心配なく」

オレは一つだけ眠りに入る前に白衣の男に聞きたいことがあった。

「60年後には、社会はどれぐらい変わってしまうもんなんだ?」

「それは私にはお答えできかねますね」

オレは自分のした質問に恥ずかしさを覚え無言のまま横になった。中に装備されていたヘルメットを頭に取り付けると徐々に扉が閉じていき中は真っ暗になった。足元からはゆっくりとぬるま湯が注入されカプセルの中が液体で満たされていった。ぬるま湯の気持ち良さに徐々に眠気が増していき自分の体は完全に睡眠状態になった。その後どのようにして液体が凍結していくかはわからないが、無事にオレはコールドスリープに入ったらしい。

 目が覚めると、脳内の時系列の繋がりが曖昧になったせいかそのままカプセルの中で嘔吐し始めた。60年間という年月を過ごした感覚はなく、白衣の男が言ったように一度コールドスリープに入ってしまうと目覚めるまでは一瞬だった。しかしいざ外に出てみると、目の前には2083年の世界が存在しているものの、まるで自分が幽霊にでもなったかのようにただ一人この世界に取り残されている感覚に陥った。街を徘徊するとどこかしこに農園が広がり、よくSF小説で描かれるような機械じみた未来はどこにもなかった。徐々に新しい環境に慣れていく中で確信したが、60年先の未来には寿命を伸ばす薬など開発されてはいなかった。およそ40年先も同じことだろう。親父の予想はまんまと外れた。代わりに地球上が農園と化して、資産と呼べるものはどこにも見当たらなかった。親父は目覚めたら何を思うのだろうか。絶望するに違いない。唯一農作業をして気を紛らわせることぐらいしかすることはないだろう。金に取り憑かれてしまった親父がなんて哀れなんだろうと思った。それは60年間眠り続けた自分にも同じく言えることだった。

 40年という年月は非常に長かった。その間、自分の外見はもちろんのこと、価値観や好みまでもが変化していった。ようやく60歳を迎える頃には家庭を持ち、親父の遺産のことなど眼中にはなかった。オレは親父が目覚めたら全てを話そうと心に決めた。


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