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【短編】『尾行族』(中編)

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尾行族(中編)


 僕は社長に気づかれぬよう一定の距離を保ちながら跡をつけた。社長は足早になって道を進んだ。会社のある方角へと向かっていた。交差点を渡ると、向こうに大きなビルに挟まれた小さな建物が見えた。我々の会社だった。5階の窓を見ると一箇所だけ照明がついており、まだ誰かが残業をしているようだった。あの照明の位置から見るに河本だろうかと思いながら社長から目を離さずに後ろから観察し続けた。すると、社長は会社の方を見向きもせずそのまま建物を通り過ぎていってしまった。僕は社長がどこを目指して歩いているのかわからなかった。巨大な公園の敷地に入ると、緊張感が解けたのか少しばかり歩く速度が落ちた。もう人目を気にする様子はなかった。社長は公園をゆっくりと歩きながら時々足を止めて木々を眺めながら何か考え事に耽っているようだった。僕はしばらく木陰に身を潜めては社長の行動を終始観察した。徐々に酔いが覚めてきたことで、最初は面白半分で尾行したものの、今では目の前の社長の行動がいかに不自然であるかを認識しつつあった。すると社長は腕時計を一度確認したかと思うと、突然血相を変えて再び足早に歩き始めた。時刻はすでに1時を回っていた。僕はそのまま社長の跡を追った。公園を抜けると、道路沿いに止まったタクシーに向かって手を振って車に乗り込もうとしていた。僕は慌てて二台後ろに停まっていたタクシーへと乗り込み、即座に運転手に対して発車したタクシーを絶対に逃さないよう指示した。社長の乗ったタクシーは特に急ぐ素ぶりを見せなかったので、すぐに真後ろにつけることができた。僕はすぐに助手席のヘッドレストの陰に頭を隠した。

「大丈夫ですか?」

「あ、はい。そのままついていって貰えば大丈夫です。友人が乗っているんですが、行き先を教えてくれなくて」

「そうですか。それは困りましたね。なるべく離れないようすぐ後ろを走りますね」

「いや、そんなに近づかなくてもいいです。本当のことを言うと、サプライズを計画していましてね。友人が到着したら後ろから誕生日を祝ってあげるつもりなんです」

運転手は一瞬僕の方をルームミラー越しに見てから尋ねた。

「ほほう。ちょうど一時間前に迎えたと言うことですな」

「はい」

僕は仕事の疲れで少しばかり眠ってしまった。突然の運転手の大きな声で目が覚めた。

「お客さん!着きましたよ。今あなたのご友人がタクシーから出てきているところです。もう少し近づきましょうか?」

「いいえ、ここで結構です。ありがとうございます」

 時刻はすでに2時を回っていた。支払いを済ませてすぐにタクシーを降りると、すでに社長はどこかへと歩き始めていた。今自分がどこにいるのかすらわからないまま、遠くから慎重に社長の跡をつけた。先ほどまでいた都心の光景とは打って変わって高い建物は一切見当たらず、どこかの町の住宅街のようだった。すぐ目の前には大きな木々が聳え立った公園が広がり、街灯も数少なく真っ暗だった。すると社長はそのまま暗い木陰の中に入っていき姿を消した。僕は一瞬、その影に社長が飲み込まれてしまったかのような錯覚に陥った。僕はすぐに跡を追ったものの社長の姿を見失ってしまった。しばらく社長の行方を探そうとあたりをじっと観察していると、急にしょっぱい匂いが僕の鼻を刺激した。妙な匂いだった。まるで魚屋を通り過ぎる時にする生々しい嫌な匂いに似ていた。すると、瞬く間に向こうの方から波が岩に打ちつける激しい音が聞こえてきた。僕はその音を辿って木々を抜けていくと、目の前に社長の姿を発見した。社長は潮風に当たって遠くの海を眺めていた。僕はあまりの寒さに身を縮めた。と少し気を緩ませた途端、社長の隣に何者かが立っていた。僕は驚きのあまり少し声を発してしまったが、ちょうど波の音で打ち消されたようだった。暗いせいでうまくその者の顔を肉眼では捉えられなかったものの、月明かりに照らされるその外見から、その者は小柄でフード付きのパーカーの上からジャケットを羽織り、革の手袋をしていることがわかった。てっきり愛人と密会すると推測していただけにそれが男であるとわかった途端僕は思わずため息をついてしまった。社長はその男と何やら口論になっている様子だった。波の音で何を話しているのかは聞き取れなかった。社長は男の肩に両手を乗せて何かを説得しているようだった。すると男はその手を振り払ってすぐに社長の胸ぐらを掴み、無理やり海の方へと押しやった。社長はそれに抵抗するも、足場が悪く地面に転げてしまった。足についた土を払って再び立ち上がろうとしたその時であった。男が両手を突き出し、そのまま社長の黒い影は大の字を描いて姿を消した。男は社長のその後を確認することなく、すぐに林の奥へといなくなった。僕は突然の出来事にその場で体が固まってしまい、しばらく身動きが取れなかった。恐る恐る波の音のする方へと近づいていくと、目の前には海が広がりすぐ下は崖となっていた。荒れ狂う波飛沫の間からは社長の体らしき黒い影が海を漂っているのが見えた。僕はすぐに携帯電話を取り出し、位置情報を確認した。場所は千葉県の磯根崎付近を指していた。震える指で何とか番号を打ち込むと、しばらくして警察が到着した。

 僕は警察署まで警察と同行し、長らく拘束される羽目になった。

「なぜあなたはあの場所にいたんですか?」

「たまたま近くを通りかかった時に社長を見つけて跡を追ったんです」

隣の警察官は、記録用の紙に僕の話した内容を一語一句取りこぼすことなく書き留めた。

「では、あなたが見たと言う犯人の特徴を教えてください」

「小柄の男、フード付きのパーカー、ジャケット、革の手袋」

手記係は再びペンを走らせた。

「あなたは近くで何をしていたのですか?」

もちろん都心からタクシーに乗って社長の跡をつけていたなどとは口が裂けても言えなかった。迷いに迷った挙句僕は口を開いた。

「――実は、僕も命を絶とうと思っていて」

そう一言言うと、警察官はその言葉に同情したのか何も返さすことなく黙り込んだ。しばらく僕の顔色をうかがっていると、メモ帳に何かを書き留めて手渡してきた。自殺専用ホットラインの電話番号だった。

「なんせ件数が多くてね。電話が繋がるまで時間がかかるみたいなのでどうか辛抱してください」

と丁寧に言葉を添えてから僕の嘘の自殺願望に関しては一切触れることなく再び事情聴取を続けた。

 明け方まで署内で事情聴取を受けると、9時前に到着できるようにそのまま会社へと向かった――もちろんもう社長はこの世にいないのだから時間を守ったところで意味はないのだが。すでに会社には社長の一件が伝わっているようで、エレベーターを出てオフィスに入るとすぐに淀んだ空気を悟った。と同時に、僕に対して向けられる視線にどこか違和感を感じ取った。すぐに後輩の間宮くんが僕のデスクまでやって来て喋りかけた。

「実は滝本さん、今あなたあまりよろしくない状況なんです」

「どうしたんだい?」

「社長の殺人にあなたが関与しているんじゃないかって噂が流れてて」

「なんだって?誰が流したんだ」

と言いながら入り口の方に目を向けると、河本が僕の方を睨みつけていた。僕は席を立って彼の元へと歩いていき言葉を放った。

「おい、出鱈目なことをベラベラと話すんじゃないよ。名誉毀損だ。それに警察に通報したんのはこの僕なんだぞ?」

すると、河本はオフィス中に響き渡る声で僕に言い返した。

「そうだろうな。だってお前が社長を殺ったんだから」

「何言ってるんだ!僕は殺ってない」

「いいや、俺はちゃんと見たんだ。昨日の夜お前が社長の跡をつけてるところを。ほら、これが証拠だ」

河本が見せつけてきた携帯電話の画面には、しっかりと僕が社長の跡をつけて木陰に隠れている様子や、タクシーに乗り込むところが映っていた。

「だから勘違いだ!」

「じゃあなんでお前はあんな時間にタクシーにまで乗って社長を尾行してたんだ?」

「それは・・・」

「ほらな」

僕は彼に何も言い返せなかった。あの時社長を尾行しているところを河本に見られていたのを考えると、これはややこしい事態になったことを悟った。案の定すぐに警察署から連絡が入り、僕は再び署に向かうこととなった。

「実は、あなたが社長を尾行しているところを見たという人がいるんです。それは事実ですか?」

「――はい」

「あなたが自殺をしようとしていたのは嘘だったということですか?」

「――はい」

「なぜあなたは嘘をついたんですか?」

こうなってはもう全てを包み隠さず話す必要があった。

「すみませんでした。実は、帰り道に偶然社長が怪しい動きをしているのを見てしまったんです。僕は会社での社長の態度に嫌気がさしていたので、この際弱みを握っていつかゆする材料にしてやろうと跡をつけたんです」

「そうですか。ゆすりも立派な脅迫罪であるのを知っていますね?」

「十分承知しています。その時は酔っていてつい出来心で」

「で、社長さんはその時何をしていたんですか?」

「何だか誰かから隠れるように駅から会社の方までコソコソと歩いていって、奥の公園に入ると時々足を止めては木々を眺めていました。しばらくしてまた足早に公園を抜けて道路沿いに停まっていたタクシーに乗り込んだので、僕も後ろのタクシーを捕まえて跡をつけました。その後は今朝話した通りです」

「わかった。それ以外に何か言い忘れたこと、あるいはまだ嘘をついていることはないですか?」

「誓ってありません」

「わかりました。今日はこれで帰ってもらって結構です。ご協力いただきありがとうございました」

ただの説教で終わったことに安心した。

 その夜、事情を説明しようと再び間宮くんを飲みに誘った。間宮くんは二つ返事で返してくれた。僕は間宮くんが退勤するのをお店で待った。

「そうだったんですね」

「うん。もしかして僕のこと疑ってた?」

「いえ、そんなことないです。滝本さんが社長を殺すはずないって思いましたよ」

「よかった」

「ただ、昨日滝本さんがあんなこと言うもんだから、もしかしてって」

「あんなこと?」

「ほら、社長を締め殺したいって」

「ああ、間宮くん、あれは例えだよ。本気で言ったわけじゃないんだ」

「そうだったんですね。よかった。安心しました」

その後互いに社長との嫌な思い出を語り合って、店を出る頃にはすでに終電は無くなっていた。僕は一人タクシー乗り場に並んでいると、一瞬風が当たったような気がして寒気を感じた。ふと昨日と同じ場所で見た社長の姿を思い出して一瞬酔いが覚めた。

 翌日いつも通りに出勤するも、社長の不在のオフィスはどことなく元気がなかった。周りからの自分に対する冷たい視線も相変わらずだった。おおよそ皆は、いつも機嫌よく社長の対応をする僕が怒り狂って社長と揉めたのだろうと思っているに違いなかった。それも全ては河本が広める噂が原因でもあった。しかし、現に僕は大きな苛立ちを溜め込んでいたのは確かだったし、殺したいとどこかで思ってもおかしくない環境でもあった。僕はどこか居心地の悪さを感じた。知らないところでウイルスのように広まっていく噂に焦りを覚えた。どうやら河本は僕のことをはめることに成功したようだった。僕はこの状況をどうにかしなければ自分の社内での立場が危うくなると思った。しかしいくら自分が殺していないと証言したところで、犯人が見つからなければ誰も自分の意見を信用してくれそうにはなかった。間宮だけは相談相手になってくれたが、彼とていつまでも惨めな僕の相談に乗ってくれるほど暇ではなかった。どうせ皆は社長が死んだことで清々しているに違いないのになぜ僕を責めるような目で見るのか。むしろ、もし仮に僕が社長を殺ったとしたならば感謝ぐらいしてくれても良いのではとも思った。度重なるストレスで僕の頭は混乱し切っていた。どうすれば汚名を返上できるだろうか。どうすれば皆に僕の言葉を信じてもらえるだろうかと悩みに悩んだ。僕はふと、社長を殺した犯人を自分の手で探そうと思った。


最後まで読んでいただきありがとうございます!

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