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【短編】『恋は難問』

恋は難問


 試験監督の号令で試験は開始した。教室は私服を着た若者たちに埋め尽くされ、腕時計の針が動く音とペンを走らせる音とページをめくる音が同時に部屋中に響き渡っていた。僕は一秒たりとも時間を逃すまいと開始の号令とともに問題用紙をめくりあげ、問題文の方に視線を走らせた。この日のために今日まで勉強してきただけに緊張で頭が真っ白になりそうになりながら、必死に脳内の文字認識機能を働かせた。読解文の頭を読み進めながら、私はその読みやすさに安堵した。これなら速読しなくても十分間に合うと思い、文章を一文一文丁寧に読み始めた。読み進めるうちに、この文章の全体像がなんとなく見えてきた。少女の体験した一夏の恋のお話だった。その少女はまだ恋人を持ったことがなく、夏に訪れた故郷で姉の友人の男性に恋をしてしまうという始まりだった。

 不思議なことだが、私はその少女の気持ちを理解することができた。問題も、彼女のその時々に抱いた感情で適切なものを選べという内容だった。一つ目の問題は、少女が故郷に戻ったときに、「昔住んでいた時の情景がそのままの形をなして残っていた。町全体を覆う大きな山、誰も行き来しないであろう道に設置された小さな踏切、山の上ににポツンと立つ一軒の大きな豪邸。私は昔は見慣れていたはずの景色にどことなく違和感を覚えた」という文章に対して、この違和感の示す少女の心情についての選択肢は三つ用意されていた。一つは、「少女は今では都会の情景に慣れてしまっていたために、田舎風景に物足りなさを感じ幻滅してしまった」。次に来るのが、「少女は馴染みのある風景を見ながら、何も変わっていないことに驚きを隠せずにいる」。最後に、「一度故郷から離れて外の世界を見たことで、昔住んでいた時とは違った視点で物事を見れるようになったことに自分自身の変化を無意識に感じている」。この問題は私にとってはとても易しかった。私も去年の夏、自分の生まれ故郷に久々に帰ったのだ。そこにはまだ祖父母が暮らしており、二人に会うのも数年ぶりだった。私は小学校までは地元で家族全員で暮らしていたのだが、親の転職で仕方なく中学に入学すると同時に上京したのだ。久々に帰る故郷の風景からはどこをとっても懐かしさを感じられ、一方で都会に慣れ切ってしまったこともあって何もないということが返って新鮮に思えた。当時は町には何もないことすら知らず毎日変わらぬ学校生活を送っていたが、今思うとその生活は案外平凡なものではなかったのだと感じられた。私は迷いなく、三番目の選択肢を答案用紙に書き込んだ。

 最後の問題は難問とまでは言わないものの、どこか自分の選んだ回答に不安が残った。ある夏、久方ぶりに故郷に帰った少女は姉に連れて行かれたホームパーティーでとある青年と出会った。その青年は未だ地元に住んでおり、昔姉のことが好きだったということを姉から聞くのだ。少女は彼のことを何度か姉の付き添いで見かけたことがあったが、昔とは違って垢抜けた様子に恋心を抱いてしまうのだ。私はこの文章を読み進めながらまさかとは思ったが、自分もつい最近、この少女と似たような境遇に立たされたことがあったのだ。そのこともあってか、その先を読み進めるのが少々煩わしく思った。下線は「何か言うのをためらって」のところに引かれていた。前後の文章はこうだった。「私は姉さんの目を盗んで、家を抜け出した。彼との待ち合わせ場所の公園へ着くと、彼はベンチに独り座って真剣な表情を浮かべていた。彼は私に気がつくと軽く手を振って私を呼んだ。私は隣に座ると、彼との距離が近くどうも緊張して仕方がなかった。しかしそれもほんの束の間だった。彼は突然ポケットから手紙を取り出すと、私に手渡し何か言うのをためらってから去っていってしまった。突然の彼の行為に私は驚きを隠せずにいた。手紙にはこう書かれていた。〜あなたの気持ちに応えることができなくてごめんなさい。でもいつかまた私がこちらに戻ったときにまだ気持ちがあればその時はまたぜひ手紙をください。これは姉が中学二年のときに東京の学校に転校する際に彼に渡した手紙だった」。この文章の下線部において、彼が主人公の少女に何か言うのをためらった理由を述べよという問題だった。一つ目の選択肢は、「彼は今でも姉のことが好きで、しかし手紙を直接渡せるほどの勇気はなく、妹をいいように利用したことに申し訳なさを抱いているため」。二つ目は、「妹が自分のことが好きであることを知りながら、姉に今でも好意を抱いていることを言葉では言えず、妹への断り文句が思い浮かばなかったため」。最後の選択肢は、「彼は妹に好意を抱いており、昔姉から受け取った手紙を送り主に返すという行為で真意を理解してもらえるか不安だったため」。この設問は自分のために作られた問題なのではと思うほど、自分も似たような体験をしていた。私は以前故郷に帰った際に、姉とともに古い友人たちに会いに行ったのだ。そこで、昔姉のことが好きだった姉の友人に一目惚れをしてしまったのだ。私は最後まで彼に自分の気持ちを伝えることはできなかったものの、東京に戻る前日に彼から妙なこと言われたのだ。

「お前がもう3年早く生まれていたらな」

私は、この言葉の意味が理解できなかった。そして、今試験問題を時ながら不意にその言葉を思い出してしまったのだ。私は答案用紙に選択肢の二番を書き込んでから会場を出た。


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