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【12】 手術当日。右胸全摘出にパニック

予定時刻の30分ほど前になると、点滴のルートを確保するために看護師さんがやって来ました。
私は手のひらをグーパーグーパー広げたり閉じたりしながら、血管を浮き立たせようと頑張りますが、看護師さんは私の腕を触り、なにやら自信なさげな様子です。刺して、くねくねと針先を動かされますが、結局、血管に到達できず。

(痛いなぁ……早く終わらせてくれ)

と祈りながらも、看護師さんが焦っているのが分かるので、
「入らないですねぇ」
などとなるべく穏やかに話かけたりしてみます。


しかし二度、三度と注射を失敗されたところで、「すみません、入りませんでした」と断念されてしまいました。

看護師さんが退室したあと、ベッドの脇にいた夫が、気の毒そうに私を見つめてきました。
「看護師さんが緊張しないように、凝視せずに視線を外しておいたんだけど……ダメだったかぁ……」
そう言って、うなだれる夫。

いよいよ時間になって、別の看護師さんが迎えにくると、私は腕ににぶい痛みを残したまま夫と別れました。

(幸先悪いなあ……)

とぼとぼとした足取りで、別の階の手術室へと入っていきました。
手術台に寝転がると、ベテラン看護師さんが私の腕を見て言いました。

「あらっ! こんなに注射失敗されたの? かわいそうに」

腕にいくつものガーゼが貼られていることにすぐに気づいた看護師さん、その慣れた物言いに、注射を失敗される人は少なくないのだろうと推察しました。
それから麻酔用のガスマスクをつけられました。
ここまでくれば、もうまな板の上の鯉です。

「ちょっと臭いかもしれませんが、思い切り吸い込んでください。いーち、にーい、さーん……」
麻酔の効きが悪いとイヤなので、思いっきり深呼吸をしました。三つまで数えるのが聞こえましたが、そのまま意識を失いました。


……それから突然名前が呼ばれた気がして目を開けると、「終わりましたよ」の声。
(……ああ、私、手術してもらってたんだ……え、もう終わったの?)
体感的には、意識を失ってから3秒くらいしか経っていない感じです。
(おええ……)
術後、すぐに感じたのは吐き気でした。

看護師さんに「吐きそう……」と酸素マスクごしに伝えると、「麻酔のせいですからね、おさまるから心配しないでね」と吐瀉物を入れるためのトレーを持ってきてくれます。吐き気があっても、吐けないまま、今度は右胸の激烈な痛みに気がつきました。

(うおー。超痛い!!!)

 経験したことのない、暴力的な痛みでした。何百グラムかの乳房を丸ごとごっそり切りとったのだから無理もありません。痛み止めが点滴されているのでしょうが、笑ってしまうほどの痛みです。

(いたーーーい!!!)


それでも一つの山場である手術が無事終わったことに、喜びの気持ちも沸き起こります。
なにげなく腕を見ると、腕には点滴の注射針が刺さっていません。手の甲に刺さっていました。

(……結局、腕には刺せなかったのか……)

私の腕って注射できないの?
じゃあ、この先、抗がん剤で毎週注射しなくちゃならないのにどうするの?
そんな不安がもたげてきますが、吐き気と痛みでそれどころではありません。

病室に戻ってくると、ラウンジで待ってくれていた夫がやってきました。
夫の顔を見て、思わず安堵。小さな子供が、久々に親に会えるような心境です。
手術というのは、待たされる方も長く落ち着かない時間ですから、夫も疲れたはずです。

「脇のリンパ、とらずに済んだよ」
夫が声を掛けてきます。
「ああ!(忘れていた! よかった!)」
酸素マスク越しでしが、私も喜びの声をあげました。

脇のリンパを郭清するかどうかは、手術中にリンパのひとつをとり、検査してからその場で決定すると言われていました。主治医から夫へ、先に「リンパへの転移はなかった」という説明があったとのことでした。

たちの悪いタイプのガン細胞でしたが、とりあえず一か所にとどまっていてくれたのだとしたら、とても運がよかったと言えるのでしょう。

母の時代は、転移の有無にかかわらず、リンパは丸ごととっていたため、母の片方の脇の下は、ごっそりとえぐれています。時代は変わり、現代の医療を受けられることのありがたみをしみじみと感じました。

それから一晩。
大の字になったまま身動きのとれぬ状況に苦しみました。

この身動きのとれなさは、一体なんなんだ。
カラダを見ると、手の甲の点滴にはじまって、尿道カテーテル、脇腹のドレーン、膝から下の血栓予防のマッサージ器具と、さまざまな医療道具を取り付けられていました。

それにしても、ただ寝返りを打てないことが、こんなにもつらいとは。

手術の痛みを凌駕する、背中の強烈なだるさと不快さに、気が狂いそうになりました。

「おねがい、どれかひとつでも外してもらえないかな」

夜中に見回りにきた若い看護師さんに、そう訴えていました。そんなことを言ってもどうせ無駄だろうとも分かっていました。彼女たちは術後のマニュアル通りに、やるべきことをやっているのでしょう。しかし、お願いせずにはいられないほどに、カラダを拘束されていることがつらくて鬱陶しく煩わしいのです。

(ああ、術後がこれほどつらいとは! 手術より辛い!!)
体験してみて初めて知ったことでした。

これまでは、母を見舞う側だったけれど、こうしてベッドに寝かされ、身動きとれずに拘束されている当事者の苦しみなんて、実はまったくわかっていなかったのです。

激烈な不快感のなか、頭の中では、この強烈な経験に対し、てんやわんやのおしゃべりが止まりません。

(医療とかかわるって、こういうことなんだ! とんでもないことになった! この先どうなっちゃうんだろう……ああ、しんどい……それにしても、入院や手術ひとつとっても、私ってなんにも知らないんだな……。知ってるつもりで、何もしらなかった……ああ、今私、すんごい興奮しちゃってるわ……眠りたいのに眠れない……)

私がビビりの証拠なのでしょう、脳みそが、体験したことのない緊急事態に、ぐるんぐるんと働くこと働くこと。
乳がんの術後、一晩たっぷりと睡眠をとった母とはまるで大違いです。

結局、器具が外される瞬間をただただ待ち詫びわびながら、一瞬も眠れずに夜が明けました。


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