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帚木蓬生 『信仰と医学 聖地ルルドをめぐる省察』 : ヒューマニストの知的退廃

書評:帚木蓬生『信仰と医学 聖地ルルドをめぐる省察』(角川選書)

最初にはっきり言っておこう。
本書には、サブタイトルにあるような『省察』と呼ぶほどのものは無いし、ましてや帯にあるような『徹底検証』など欠片も無い。
したがって、本書に「信仰と医学」おける本質的相剋に関する思考などを期待すると、完全に裏切られる。本書には、著者の「意見」表明はあっても、「省察」や「考察」と呼ぶほどの批評的な思考的営為は皆無であり、「看板に偽りあり」の書であると断じてもいい。

では、この300ページほどの本には、いったい何が書かれているのか?
それは「ルルドの奇跡の紹介」でしかなく、『省察』だか『徹底検証』にあたるらしい部分は、第十章「奇跡の治癒はプラセボ効果か」と、その次の最終章「おわりに一一医学と宗教の共生」を合わせて、たったの20ページ弱しか無いのである(章題ページなどを除くと、実質16ページ)。これでは「信仰と医学」という非常に大きな問題について、まともな考察がなされているわけがないというのも、容易に了解できるはずだ。

では、残りの280ページ弱で何を書いているのか?
序章「はじめに」の章は、著者自身がルルドに視察に行った際のエピソード紹介だが、そこで奇跡的治癒を目撃したとかいった話ではなく、ルルドを研究しているカトリック系医学団体の学者に現地でお世話になったとかいった話でしかない。そんな「はじめに」に、20ページほどが割かれている。
そして第一章「聖母マリアの出現」では、ルルドの奇跡の始まり歴史が、ルネ・ロランタン神父の書いた書物の抄訳というかたちで紹介され、これが120ページあまりあって、ここまでで本書の半ばに達してしまう。

第二章「ルルドの発展」は、その後のルルド発展の歴史紹介。(20ページほど)
第三章「その後のベルナデット」は、マリア出現の奇跡の泉の発見者である少女ベルナデットのその後の紹介。(6ページほど)
第四章「ルルド医学検証所」は、ルルドの奇跡を医学的見地から検討しようとした、最初の組織的取り組みの紹介。(14ページほど)
第五章「ルルド国際医学評議会」は、ルルド医学検証所が発展して現在に続く組織の紹介。(6ページほど)

つまり、第二章から第五章も、ルルドの歴史的発展の紹介であり、ここまで開巻190ページに達するが、著者の考察と呼べるものは皆無だ。

第六章「ゾラの『ルルド』」、第七章「ユイスマンスの『ルルドの群衆』」、第八章「カレルの『ルルドへの道』」は、ルルドに関する文学作品紹介である。
ゾラやユイスマンスは有名なのでいいとして、カレルについて紹介しておくと、カレルは後にノーベル医学賞を受賞する医師で、生前はルルドの奇跡経験について沈黙していたが、死後、その経験を紹介する未発表「小説」が発見された、という人物だ。
ともあれ、ここでも著者である帚木蓬生による「ルルドの奇跡」考察はなく、あくまでもルルド関連の小説と作者紹介に止まっている。そして、この3つの章で開巻240ページに達してしまう。

第九章「治癒の症例」では、1858年の泉の発見以来、毎年何万人もが泉を訪れ、その結果報告された数限りない「ルルドの奇跡的治癒」の中で『現在まで七十例が、奇跡の治癒として地区の司祭によって公認されている。そのうち、第二次世界大戦後に設立されたルルド国際医学評議会が承認した症例は、三十例にのぼる。』(244P)わけだが、その三十例のなかでも、最近の十三例を紹介している。
そして前述のとおり、残る20ページが第十章と最終章「おわりに」で、ここで著者は、やっと「ルルドの奇跡」についての意見表明をするわけなのだ。

だが、その内容も前述のとおり『省察』や『徹底検証』の名にはとうてい値しない、ありきたりの「意見」でしかない。
と言うのも、第十章「奇跡の治癒はプラセボ効果か」は、その章題のとおり「奇跡はプラセボ効果で説明できるだろう」という、いたって常識的な意見でしかなく、わざわざ本を1冊読んだ末に聞かされるようなものではない。
そしてその挙句、最終章である「おわりに一一医学と宗教の共生」もその章題のとおりで、「医学と宗教」の間に横たわる難問に対峙する姿勢などは欠片もなく、「協力しあうことが大切」といった世間並みの意見を一歩も出ない。
ただ、それでは本にならないので、「おわりに」では、ルルドに絡めて著者の「人間と医学」に関する自論が言いぱなしで語られている。曰く、

『 ルルドとは一体何だろう。
 それは何よりも出会いの場所である。世界のあらゆる所から、さまざまな信仰を持った人が来て、みんながそれぞれの思い上がりを剥奪され、苦悩を胸に抱いて裸にされる。ここでは人前で泣いても構わない。泣いても恥ではない。苦しみを自慢するのではない。本物の涙なのだから。
(中略)
 ルルドはすべての人を受け入れて、大きな包容力で包み込む。人々は握手し、抱き合い、挨拶をし、慰撫し合い、それぞれの人の歴史を分け合い、互いに祈り合うのである。
(中略)
 ルルドはまた人々が触れ合うことをことを勧める。身体と身体が軽く触れることをことさえ厭われている現代社会で、ルルドは手こそが素晴らしい発見の道具であることを再認識させる。(中略)
 こう考えるとルルドは、医学が人と人の関係、接触、傾聴の上に成り立っていることを再確認させてくれる。余りにも機器や器具に頼り過ぎている今日の医学は、医学を患者から遠ざけ、両者の間に溝をつくっている一一。』(P292〜293)

『 ルルドはまた、科学と宗教、科学と信仰の出会いの場所である。両者は互いに照らし合わせるものの、論争はしない。懐疑的ではあっても、お互いに硬く信じ合っている。』(P294)

『 まさしくルルドでは、「人の病の最良の薬は人である」(セネガルの格言)が実践されている。医療人はルルドに来て、自分の拠って立つ原点を取り戻すのである。』(P295)

著者・帚木蓬生が「非クリスチャンの精神科医で、ヒューマニズムの立場に立つ、良心的なベテラン小説家」であるということを知っていれば、これが「落としどころ」だというのも、ある意味で納得はできよう。
お世話になったルルド国際医学協会の先生方や献身的ボランティアたち、ルルドを信じる多くの病者たちの感情を害することはせず、かと言って科学者の端くれである精神科医の一人として「宗教的な奇跡的治癒」などといったものをそのまま肯定するわけにもいかないとなれば、こういう、ちょっと「良い話」っぽい「人間主義的な治癒論」に落とし込むしかないのかもしれない。

しかし、著者のこうした態度は、極めて欺瞞的であり、本質的に不誠実で傲慢ですらある。
そこには、信仰に対しても、医学(科学)に対しても、それとギリギリまで真摯に向き合うといった姿勢がなく、ただ著者の精神科医としての八方美人的な人間主義が、上から目線で語られているだけなのだ。

著者・帚木蓬生が『三たびの海峡』や『閉鎖病棟』といった、ヒューマニズムに立脚した社会派作品で、小説界において一定の評価を受けてきたのは事実であるが、それらの受賞した文学賞が基本的にすべて「大衆小説」を対象としたものであったことは、決して偶然ではないだろう。
たしかに良いことは書いてある。著者のヒューマニズムに立脚した社会的告発は、極めて正論であり、時に感動的ですらあるだろう。
しかし、そうした読者ウケする「感動的ヒューマニズム」に安閑として止まり続けた(「俗情との結託」の)結果、著者は、信仰と医学(科学)、そして両者の相剋といった本質的問題をつきつめて考える知性を、決定的に鈍らせてしまったのである。

「ルルドの歴史」を概観するのに便利な一書ではある。だが、そこには『省察』も『徹底検証』の欠片もない、という事実を繰り返し、指摘しておきたい。

初出:2019年1月22日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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