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ジャック・ルゴフ 『中世の知識人 アベラールから エラスムスへ』 : 中世における 知識人と大学の位置

書評:ジャック・ルゴフ『中世の知識人 アベラールからエラスムスへ』(岩波新書)

私が読んだのは、2019年1月22日の第3刷発行分である(第1刷は、1977年11月21日)。

キリスト教研究を始めるまでは、西欧中世の知識人になどまったく興味がなく、思想や哲学の問題なら、もっぱら現代思想や哲学を読むことになったのだが、キリスト教研究を始めてみると、「中世の知識人」とは、私のような非クリスチャンの日本人が考えるような、今風の「知識人」や「学者」などではなく、「キリスト教信仰」を前提にした、その信者たる「知識人」や「学者」であったことを知ることになり、「宗教と学問」という、いまでは対立的に捉えられるのが当たり前の問題が、まったく当たり前ではなかった世界であったことを知ることになる。
つまり、本書は「宗教と学問」が分離していなかった時代の「知識人」を扱っており、「宗教と学問」が分裂するにいたるその萌芽の時代の「知識人」とその拠点たる「大学」を紹介した本だと言えよう。

本書から私が学ぶことが出来たのは、当時の二大勢力である「教会(宗教的権威・権力)」と「王権(世俗的権威・権力)」に対する、「知識人の拠点たる大学」の立ち位置とその歴史的変遷である。

イベリア半島でのレコンキスタや十字軍などによる、イスラムからの失地回復により、それまで失われていたアリストテレスの全貌がキリスト教圏にもたらされることになり、中世の学問は、キリスト教神学者を中心として進んでいくが、言うまでもなくアリストテレスはキリスト教徒ではないから、その学問的研究は、キリスト教的世界観の拡大とともに、そこからの逸脱をも必然的に引き寄せることになる。
当然、そこでは教会権力からの介入や世俗権力からの接近がなされ、学問は決して純粋な学問の問題では済まされなかったのは、今の時代の比ではなかった。

だが、人間の知は、善かれ悪しかれ、止められはしない。
その結果として、今この時代の「宗教と学問」の対立といったものもあるのだが、しかし、それでも「学問」に「宗教」の息の根を止める力は無さそうであり、逆に「宗教」の方が、その現代的な順応形式において「学問」の中に浸潤しているように思えてならない。

その意味でも「中世の知識人」たちの葛藤は、今の私たちの葛藤でもあり、またそうであらねばならないのである。

初出:2019年4月8日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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