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「花束みたいな恋をした」を観たら、日常が花束になった

「花束みたいな恋をした」を
旦那さんと見た。

きっと今も誰かがそんな恋をしている、
日常にある映画。

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同じではなくとも、
恋をしたことがある人なら1つくらい
似た経験や想いになったことがあるような、
現実的な映画。

大きな変化や予想外な展開みたいな
刺激はないけど、
「そうそう」とうなづけるシーンが
積み重なって
リアルが胸をつついてくる。
だけど、最後に
あたたかいメッセージが胸に残る、
そんな映画だった。

単純なようでとっても緻密なストーリー。
ひとつひとつの描写、言葉が
なんかもう、上手い!
としか言いようがない。
こういうことしてきた、思った、言ってきた。
何で分かるの?
いやそのセリフ、仕草はずるいでしょ。
そうそう、そうなのよ。
分かるー!
そんな感じで
たぶんイヤホンのくだりから
横断歩道のキスあたりまで
一気に心を持っていかれた人が
大勢いると思う。

観覧者だったのに
いつの間にか自分が主人公になっていた。

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好きなことや価値観が
びっくりするくらい同じで
運命のように感じた日。
日々が恋で満たされ、
2人ですること全部にワクワクして
ただ一緒に居るだけで楽しかった。
裕福でなくていい、
この平凡な幸せが続きますように。
それで充分だった。

だけど。
新しい環境の中、
次第に変化していく気持ち。
仕事で余裕がなくなったり、
小さな我慢が増えたり。
幸せに暮らすために
お金を稼いでいるはずなのに、
幸せを共有する時間がなくなっていく。
いつの間にか
互いに相手の欠点ばかりが
目についてしまう。

決して嫌いなったわけではない。
なのに、昔とは変わっていく。
痛いほど思い当たるシーンの連続で
どんどん映画の世界に引き込まれていく。

その中で
「花束みたいな恋をした」時の
気持ちを忘れていたこと、
あの頃の気持ちのままで相手を
見れなくなっていたこと。
いろんなことが起こる毎日の中で
一緒に過ごす日々を
大切にできてなかったことに気づき、
胸がぎゅっとなって、
涙してしまう。

そして。
映画を見終わった後、
あの頃のような気持ちをもう
相手に抱けないと気づく人もいれば、
あの頃の気持ちを思い出して
相手を大切にしようと想う人が
いるのかなと思った。

もちろん、私は後者で。
映画を見ながら旦那さんへの
愛しい気持ちが心を満たした。

隣に座っている人と、
花束みたいな恋をした。
「した」というより、
きっと「している」。

今でも
花束みたいな恋をしている、
と言えるのは
日常の中で
旦那さんの愛が見えるからかもしれない。

恋をした日から変わらず、
無邪気に純粋な愛をくれる旦那さん。
私のことを大好きなのが毎日伝わる。

映画を見てあらためて
あぁ、私が今こうして笑えるのも
旦那さんと出会えたおかげなんだな。
楽しいことも切ないことも
いろいろ乗り越えて今一緒にいるんだな。
私の欠点を誰より知ってると思うけど、
それでも変わらず好きと言ってくれて、
苦手な部分は補ってくれて有難いな。

とっても大事にしてくれてるんだなって。
私も大事にしなきゃなって。
いろんな感謝に気づくことができた。
心から「ありがとう~」っとなった。

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映画を観た人の中では、
花束みたいな恋なんて
できるわけないとあるわけないと
思った人もいるかもしれない。

だけど、
花束みたいな出会いはあるし
花束みたいな人もいるし
花束みたいな恋もあるし
花束みたいな結婚もある。

ただ、「続ける」のが難しいのだと思う。

恋でも愛でもそうじゃなくても
何でも「続ける」「維持する」って
難しい。

それが自分のことだけでなく、
人が関係してくると複雑にもなる。
逆に相手がいるから
頑張って続けられることもあるけど。

私たち夫婦も一度は別れて、
何年も離れた。

だけど、別れてる間も
ストーリーは続いてた。
今だからこそ、
全ては繋がっていたんだと分かる。
別れてる間の出来事も
今だからこそ、
「意味」があったんだと分かる。

麦と絹の喫茶店のシーンは
一度離れた経験があるからか、
当時の心情や状況とリンクして
よけい胸に沁みた。
旦那さんも泣いていた。

ちなみに
一個離れた席に座っていた
男性グループも目元をぬぐっていた。
みんな何を想っていたのかな。

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私がこの映画を観て受け取った
一番のメッセージは、
「花束はいつか枯れる」
そのことを忘れず、
日々を大切にすることだった。

さっきも書いたように「続ける」、
つまり
「日々」を大切にすることって
頭では分かっていても難しい。

何かがはじまる時や
特別に大切にされる瞬間、
幸せの最中にいる時は
何だってだいたい嬉しいもの。
しばらくはその余韻が続くし、
相手を大切にできる。
だけど慣れてしまう日々を
大切にするって、
やっぱり難しい。

花束を見た瞬間、
パッと明るくなる心。
沈んでいた気持ちも
いつの間にか忘れて
嬉しさで胸がいっぱいになる。

柄にもなく花束を大事に抱え、
家に帰っては
たっぷり過ぎるくらいに花瓶にお水を注ぎ、
一本ずつ大事に生ける。

味気なかった日常が
急に色づく。

日に日に開いていく花を
部屋に馴染んでいく姿を、
毎日愛しく眺めた。
キレイな花を咲かせた日は
とっても嬉しかった。
写真を撮った。SNSにアップした。

だけど、花はいつか枯れる。
見ごろを過ぎ、
茶色に染まりはじめると
愛でる回数も減っていく。
水代えも、まあいいかとなる。

時には忙しさに
花の存在すら忘れ、
枯れた姿に涙した。

心を失くしている時は
ゴミ箱の中の朽ちた花に
何も感じないことだってあった。

「同じ花」なのに
美しい瞬間(とき)だけを愛して、
自分の都合で大切にできなくなって、
気づけば枯らしていた。

いつか枯れる花だって、
今日は元気がなさそうだなとか
水は足りてるのかな?とか
日当たりは大丈夫かな?とか
毎日じっくり観察して
手をかけてあげれば長持ちするのに。

なんだか恋の過程に似ているなと思った。

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運命のような恋でも
ステキな人でも
よい関係でも
大切にしなかったら次第に、
あっという間にそれは枯れてしまう。

だから、花と同じように
恋も愛も自分本位にならず
日々、互いに
育てていくことが大事なんだ、
と映画の二人を見て思った。

きっと枯れないものはなくて
大切な人の心も
大切な人と結びあった関係も
いつかは枯れる。
だけど、手入れ次第で
逆に長持ちさせることもできる。

自分本位になって
すぐ枯らしてしまうのか、
気にかけて手入れして
美しい時を長持ちさせるかは
私次第であり
旦那さん次第であるんだなと
教えてもらった。

旦那さんとずっと仲良しでいたい。
花束みたいな恋を大事にしたい。
そのためにも
「水を注がなければ枯れる」
「水を注げば長持ちする」
という気持ちを心に留めて、
旦那さんの心にやさしい花を
咲かせられる女性でいたいと思った。

時には枯らしかけることもある。
でもそこで気づいて、水を注ぐ。
旦那さんの様子がおかしい時は
旦那さんの心の声を聞いて
自分に原因があるかもしれないと立ち返り、
心の土を耕そうと思った。

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映画は自分を客観的に見ることができる。
映画は私に何かを伝えてくれている。
そのメッセージに気づき、
何かひとつでも
心に持って帰ることができたら
それは私にとって
「観てよかった」映画なんだろうな。

「花束みたいな恋をした」は
心に届くメッセージがたくさんあった。
心が洗われ、清らかになった。
大事なことが見えるようになった。
しおれそうになっていた心の一部に
ピュアな水を注いでもらったような、
育ててもらったような感覚。

一番嬉しいのが、
映画を観てから旦那さんと仲が
本当に良くなったこと。
日々がやさしいし楽しい。

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なんというか
壁をつくってた部分とか
向き合えなかった部分とかが
スッと溶けたのが分かる。

旦那さんも映画を観て
いろいろ想うことがあったのかもしれない。
旦那さんの心が
パッと明るくなったのが分かる。

もちろん
仲良しが続くわけではなくて、
旦那さんの機嫌が悪い時や
ぎくしゃくする時もある。
でも、その原因を突き詰めていくと
大きな出来事があった訳ではなく
やっぱり、
日頃の積み重ねの「結果」だったりする。

日常の小さな行動やちょっとした言葉の
「雑さ」が溜まって、
何かの引き金でバンッと衝突し合う。

この前も
「あ~最近旦那さんの
やさしさに甘え過ぎていたな…」
「最近グチっぽかったな…」と
日々に反省したばかり。

でもそんな時こそ
日々を大切にすることが大事なんだと
また気づかされて、
旦那さんのことを大事にしようと
心をあらためることができる。

映画を観てからは衝突しても
マイナスな感情に引きずられず、
すぐ互いに反省して
歩み寄ることが出来るようになった。
その出来事を肥料にして
また仲を育むことができるようになった。
お互いに
枯れそうな花に気づいて
水を注ぐことができているのかもしれない。

結婚して今まで試行錯誤してきたけど
「やっと夫婦になれた」。
そう腑に落ちる感覚さえある、
今日この頃です。

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しかも、なぜだか
映画を観てから良いことが起こるし、
今までも幸せに感じてた日常が
より愛しく感じるようになった。
ささいなことに感動したり
感謝の気持ちが湧くようになった。

たぶん私の心、
すっごくクリーニングされたんだと思う。

「花束みたいな恋をした」は
映画そのものの存在に感謝したい、
そんな映画でした。

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思えば、
公開がはじまってから
なんとなく題名が気になって、
吉本ばななさんが
感想を綴っているブログを見て、
さらに気になる存在になった。
だけど、緊急事態宣言中。
レイトショーもやっていなかった。
それでもなぜだかずっと
「観てみたい」という気持ちが消えず、
「旦那さんと観たほうがいい」と思っていた。
しかし旦那さんが多忙で
なかなか時間が合わなかった。

そして4月1日、割引DAY。
旦那さんの空いてる日と割引DAYが
ちょうど重なって
お昼の時間にやっと観れた。
遅くなったけど、
私たち夫婦にとって
このタイミングで見れたのが
状況的にもとてもよかった。

それにお昼だったので
眠気なく集中して観ることが出来て、
見終わった後も旦那さんと余韻に浸れた。
おかげで
映画が私たちに伝えるメッセージを
たくさん受け取れた。

なんか
旦那さんと仲良くなるために
「観たほうがいいタイミング」で
「花束みたいな恋をした」に
導いてもらったような気がします。

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映画を観終わった後は
手を繋いで空が見える場所へ行き、
『「花束みたいな恋をした」、
私たちみたいだったねっ』
『3割は俺たちだったね』
と感想を楽しく言い合った。

『よく考えたら私たちの話も
結構な感動ストーリーだよね。
映画にしたらもしかしたら
大ヒットするかも!』
『たしかにな。
でも2時間じゃ全然足りないよ』
『上・中・下、必要だね(笑)
映画にしようかな』
『そうだね(笑)題名は?』
『「映画見たいな恋をした」』
と夢を語った。
笑顔いっぱい。
とっても幸せであたたかい空気だった。

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そして、「花束みたいな恋をした」は
今も続いている。

ありがとう。

花束みたいな日常を、ありがとう。

「花束みたいな恋をした」は
私にとって
夫婦にとって
特別な映画になりました。

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旦那さん、私の人生に毎日に心に
小さな花をありがとう。


PS
「花束みたいな恋をした」
に関わったすべての方へ。
とてもステキな映画を
ありがとうございます。
心から感謝します。


山音麦:菅田将暉
八谷絹:有村架純
監督:土井裕泰
脚本:坂元裕二

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