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「問い」と向き合う

「問い」とは、人が自らの存在や、人生、世界など、あらゆる対象物に対して、切り口を見付け、疑問に思い、考えることを問いと表していると私は考えています。
「なぜ生きているか?」「人生の意味は?」「世界はどうしてできたのか?」「何のために宇宙は存在するのか?」などの根源的な問いから、もっとライトな問いまであらゆる問いが存在しています。これらの問いに対する「一旦の答え」を求めることで、人は自らの存在を問い直し、再定義し、より深い自己理解や人生観を得ようとします。

哲学者や宗教家は、長年にわたりこういった根源的な問いに取り組んできました。そして、難しい言葉で表現しているので複雑で分かりづらい印象を持っている人も多くいると思います。
ただ、問いそのものには決定的な答えはありません。ある歴史上有名な哲学者が問いた論も、一つの「一旦の答え」だと私は考えています。
つまり、個人的な探究や解釈が重要で、問うことによる自分なりの価値観の形成や生き方を見出すことそれ自体に大きな意味があると私は考えています。

「問い」とは、人が人である為に重要な一部といえ、人生を問い直し、意味を見出そうとする行為またはその前段としての欲求自体が、人が人として向き合う重要な行為と言え、自分で設定した問いを自ら問うことで、人は自分自身や世界をより深く理解することができるのでは無いでしょうか。

とは言え、「問い」と向き合うことは非常にアタマを使う行為で疲れることかもしれません。時には、ある種の答えを見付けることは自分自身にとって恐ろしい行為になり得る場合すらあります。
そんな「問い」と真摯に向き合う時には、以下のようなことを考える必要があるのかもしれません。

まず、人は偏見や固定観念の塊だと私は考えています。こういった自身の認識にとらわれがちな人の心は、しばしば新しい視点を受け入れることを拒んでしまいます。しかし、「問い」と向き合う上で重要なのは、オープンマインドでどんな可能性も考慮に入れ、自分自身の「一旦の答え」を心で迎え入れる姿勢と言えることができるかもしれません。自らの常識を疑い、異なる価値観や新規のアイデアに対して心を開くことで、気付きと発見が生まれる可能性が高まると言えます。

次に、単に疑問を投げ掛けるだけでは「問い」から「一旦の答え」を見出すことはできません。「問い」がもつ背景や含んでいる意味、多くの人が持つ認識などについて、自分なりに徹底的に掘り下げて考える必要があります。様々な角度から検討を重ね、一つ一つの要素や視点を丁寧に探り、思慮し、熟考する過程で、新しい気付きが芽生え、より深い理解につながる場合も多くあると考えています。

また、「問い」に向き合う時に大事なのは誠実さと言えるかもしれません。前述した自分の思い込みや主観、経験だけに惑わされず、できる限り公平で中立的な立場から「問い」を見つめ直すことが不可欠だと思います。オープンマインドで受け入れるだけでなく、時には自分の非を認め、偏った見方を正す意識を持つことで、本質的な「一旦の答え」に辿り着くことができるかもしれません。

そして、私は広い視点や視野を持つことは非常に大事なことだと考えています。一つの専門分野や狭い認識や経験や範囲だけでは、根本的な「問い」は捉えきれないと言えます。幅広い知識や経験を踏まえ、様々な角度から何回も検討を重ねる必要があります。哲学、科学、人文、芸術など、自らが持つバックグラウンドだけでなく、あらゆる学問分野の知見を参照し、参考にしながら考察を深めていくことで、自分なりの「一旦の答え」をアップデートできると考えています。

更に、人生の根本的な「問い」には、簡単に答えが出せるようなものはほぼないと思っています。試行錯誤を重ね、行き詰まりを経験することもあると思います。それでも挫けずに探究心を持ち続け、粘り強く向き合っていく姿勢が大切と言えます。自分が納得する「一旦の答え」が見付かるまで、そして新たな疑問や「問い」が生まれるまで、忍耐強く取り組む姿勢が求められます。

最後に、「問い」に真剣に向き合う為には、上記の要素が必要と言え、人は自らの存在や人生、そして世界に対する深い理解や洞察を得られる可能性が高まります。「問い」に向き合うことは、決して容易なことではないと考えています。

「人は考える葦である」とフランスの哲学者パスカルは言いました。
人は風に揺られる脆く弱い存在と言える一方、人間は理性を持って自らの思考により探求する知性を持ち合わせています。この矛盾を内包するのが人間の本質的な姿と捉えることができます。

人が生きる限り、永遠の「問い」と対話の中で、存在意義や価値観を発見し、「一旦の答え」や指針を見出せるかもしれません。そして、個人的な探求の過程を通じ、みずからの思考が収斂され、骨太な考えを構成することにつながるかもしれません。
「問い」と真摯に向き合うことは、時に困難を伴いますが、それは人が人である為に、本質に根差した「旅」と表現することができます。この営みを通じて、自らの「問い」に理解を深め、自己実現につながることができると私もとても嬉しいです。

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