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東北地方の熊野神社と熊野信仰

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名取熊野三社や名取周辺の歴史・伝説の考察。羽黒から熊野へ、旭から名取老女へ、日本海から太平洋を繋ぐ。
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#東北地方

名取熊野神社の湯立神事

名取熊野神社の湯立神事

10月7日土曜:17時30分~名取熊野神社で湯立て神事が行われました。昨年も行われたのですが、今年は、900年祭なのでたくさんの方々が集まっていました。

その翌日、10月8日秋大祭が行われますので、
前夜祭の湯立て(湯の華神事)となります。

湯立て神事の歴史が、どのくらい古いかは定かではありません。
神社関係者から伺いました湯立て神事を記録しておきます。

修験道に由するもので夜神楽にのみ演じ

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【神社】武蔵国賀美郡から勧請の加美町宮崎の熊野神社の歴史

【神社】武蔵国賀美郡から勧請の加美町宮崎の熊野神社の歴史

加美町は、宮城県の北西部に位置する大崎地方。
船形山、薬莱山などが加美町の象徴の山です。

奈良時代の『続日本紀』には賀美郡と記されてます。
その後、色麻郡を併せ、江戸時代に賀美郡から加美郡に改名しました。

ちょっと奥山にある熊野神社。
鳥居近くまで車でいけますが、途中、参道のような道があり、
昔はこの道から歩いていたようです。

ここのおくまんさまを知ったのは、御浜降りを昔行っており、60キロ

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熊野高館~坪沼に抜ける古道

熊野高館~坪沼に抜ける古道

3月、名取市郷土史研究会の有志の方のご案内で、
熊野高館~坪沼に抜ける古道と思われるルートを歩いてきました。

この図でいうと、赤い線の部分です。

3月の地震の影響で垂水ダム近くで崖崩れがありましたが、
峠の道は特に問題ありませんでした。

遥か昔から、現在は仙台市太白区となっている
かつての名取郡南方の坪沼エリアと、同南方の高館エリアは峠を越えるこの古道を通じて行き来が豊かで、婚姻関係を結ぶな

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【信仰】阿部家が代々守る柳生の「かやの木」

【信仰】阿部家が代々守る柳生の「かやの木」

5月の御浜下り祭りの時に、
偶然、那智神社でお会いした阿部さん。

阿部氏(阿部貞任の子孫?(阿部姓はこのあたりは多いのです)の系譜と関係するとのことで、名取老女の会にお誘いしたことがありました。

その時の話しをまとめます。

仙台柳生『かやの木 薬師様保存会』より。

柳生のカヤ
カヤの古木は、樹齢1300年前とされ、
代々、阿部家がお守りしているカヤの木です。

『大阪夏の陣の戦いで敗れ落ち

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【伝説】前田庄の熊野信仰と天神伝説

【伝説】前田庄の熊野信仰と天神伝説

名取老女の伝説にはいくつかあります。

・名取熊野堂縁起(梛の葉に書かれた和歌)
・烏宮の伝説(ヤタガラスと守家)
・前田庄(足が不自由な熊野信者)
・名取の居腰次郎吉迚(いこしじろうきちとて)老尉(ろうじょう)ともいう

前田の場所は、現在の太白区中田の地区です。

前田の踏切を越えたところに塚があり、
九州から配流された中津川義氏の伝説があります。

仙台市太白区中田、名取一帯は(名取老女の下

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【神社】「海底に光るご神体」が定番の浜降り祭

【神社】「海底に光るご神体」が定番の浜降り祭

閖上のお浜降り
2019年の5月に、名取熊野那智神社で「お浜降り」がありました。

「お浜降り」は、閖上の海まで高館山から神輿を担いでおろす祭りで、
21年ぶりの復興祭りでした。

お浜降りは羽黒大権現の里帰りのような神事で、
地域住民の高齢化などで1998年以降、行われていませんでした。

閖上浜から引きあげたとされる十一面観音菩薩像は、
別名「高舘観音」と呼ばれています。

※木版画家:明才さ

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【歴史】熊野堂横穴墓群の鈴釧

【歴史】熊野堂横穴墓群の鈴釧

ここの蝦夷穴には、興味深いモノが発見されています。
人骨が多く見つかったことから墓場だった所なのですが、高舘山の下にあります。

鈴釧(すずくしろ)とは・・・

柴田町炭釜横穴と同じ形状の鈴釧であり、
ほぼ、同じ宗教があって北上して弔いをしてきたことは確かでしょう。

「熊野堂横穴墓群」

「ここは中世以降、東北の太平洋側沿いにおける熊野信仰布教の拠点となった、名取熊野三山の霊城に所在し、横穴墓群

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【歴史】粟田口忠綱の刀と名取との関係

【歴史】粟田口忠綱の刀と名取との関係

粟田口の刀
金注連については、東山道(※1)に関係すると思われる
京都の粟田口があります。

『風土記書上』には、金注連は989年、
三条小鍛冶が熊野神社御宝物のために作ったとされます。

金蛇水神社と三条小鍛冶の伝承がなぜ、伝わっているのかは、「東山道」に関係していそうです。

数年も前のことですが、県外にお住まいの方から
『あこや姫伝説』について書いていた時に、
連絡を頂いたことがあります。

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高舘山を歩く③熊野那智神社からゆりあがった観音様へ

高舘山を歩く③熊野那智神社からゆりあがった観音様へ

熊野神社ご先祖様のお墓山頂につくと、勧音堂(紹楽寺)があります。

奥州札所三十三観音霊場の1番で、
現在、観音様は下の紹楽寺にあります。(後で)

現在は杉林を伐採して、まるみえになってます。

観音堂の向かいの山中に、板碑の石碑が6体ほど、ひっそり置かれています。

かつては物響寺があり跡地になっているものの、竹林だけが残る静かな場所。中央の碑が、大日如来のキリーク。(右)

名取老女が大日如

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高舘山を歩く②本丸から那智神社へ

高舘山を歩く②本丸から那智神社へ

名取の地理
山路には岩盤が隆起した地層がみられます。

紀伊半島は、3つの地質体からなる大地が、プレートの沈み込みの影響を受け、黒潮に突き出す形で隆起をした地域です。

そのため、険しい山と大海原が隣り合うという位置関係にあり、大きな岩盤のうえに紀州熊野信仰が広まった理由のひつとに、地質が大きく関係しています。※南紀熊野ジオパークより

名取の高館層は、流紋岩・安山岩・玄武岩の溶岩及び火山角礫岩・

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高舘山を歩く①名取の板碑など

高舘山を歩く①名取の板碑など

麓の板碑熊野三社のひとつ、熊野那智神社が鎮座する山を
「高舘山(たかだてやま)」と言います。

数年前になるのですが、
研究会で散策したコースをご紹介します。

ガイドは、名取熊野古道逍遙会の小野さん。

新しい鳥居になった熊野那智神社遥拝所からスタート。
ここから高舘山の全容が見えます。

小野さんいわく「前方後方墳」ではないか、と。
であれば、県内では最古の古墳になる!?

高舘山は、標高20

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【神社】名取熊野那智神社の懸仏

【神社】名取熊野那智神社の懸仏

名取の高舘山に那智神社があります。
ここで大量の「懸仏」が発見されました。

その数、146体。
そのうち、140体は聖観音で他は、阿弥陀如来が4体。
十一面観音と千手観音が1体ずつ。

懸仏の起源説懸仏の起源説は、4つあります。

①神道起源説
②密教起源説
③天台宗起源説
④中国起源説

①神道起源説
日本の神々は、「仏菩薩が姿を変えて現れたもの」であるという
本地垂迹説により神の依代である鏡

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【神社】名取熊野三社の歴史

名取熊野三社の創建由来名取の熊野神社は、本宮、新宮、那智神社があり三社をお祀りしています。

全国に3000社以上ある熊野神社のうちおよそ700社(4分の1)が、
東北地方に存在すると言われ、その東北の熊野信仰の中心が名取熊野三社です。

仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、高舘丘陵を熊野連山に模し、
本宮・新宮・那智の三社をそれぞれ別に祀っており、
紀伊熊野の三社それぞれを地理的・方角的に同じ状態で

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【歴史】名取・熊野三社歴史年表

【歴史】名取・熊野三社歴史年表

東北地方に国府を置く
・713年(和銅6) 陸奥国に名取郡(丹取郡)を置く。(続日本紀)
・715年(和銅8) 陸奥鎮所が太白区郡山に置かれる。(“)
・719年(養老3) 閖上の漁師が海底から十一面観音をみつけ、
高舘山山頂に羽黒大権現として祀る。(那智山観音大権現之由来)
現在:那智山紹樂寺
・766年(天平神護2)陸奥国人名取公龍麻呂に姓名取朝臣を賜わる
・767年(天平神護3)名取郡人吉弥

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