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【神社】名取熊野那智神社の懸仏
名取の高舘山に那智神社があります。
ここで大量の「懸仏」が発見されました。
その数、146体。
そのうち、140体は聖観音で他は、阿弥陀如来が4体。
十一面観音と千手観音が1体ずつ。
懸仏の起源説
懸仏の起源説は、4つあります。
①神道起源説
②密教起源説
③天台宗起源説
④中国起源説
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/46097417/picture_pc_832a8a0babca3d9caf16214cdc67e859.jpg)
①神道起源説
日本の神々は、「仏菩薩が姿を変えて現れたもの」であるという
本地垂迹説により神の依代である鏡に仏菩薩が現れたとする説。
②密教起源説
密教では月輪(がちりん)の中に仏菩薩が観想されるとの説。
月輪は鏡にたとえられた為、月輪に見立てられた鏡に
仏菩薩が現れたとする説。
③天台宗起源説
初期鏡像がいずれも天台僧によって作られていることから、
「鏡像円融」(本性としての鏡と現象としての鏡の不二を説く)
から、仏を線刻するようになったとする説。
④中国起源説
中国の呉越国において10世紀頃後半に鏡像作品が
現れることに注目し、その影響を受けた。
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/46097426/picture_pc_3d540b8b7e69cd28da303dee68e90e6e.jpg)
本地仏とは
この世の神々は,人間を救済し済度しようとする仏や菩薩が
いろいろな姿であらわれた化身,すなわち垂迹(すいじやく)身であるとし,その根本である仏・菩薩のことを本地仏という。これは仏教が日本に渡来してから起こった思想で,仏も神も淵源をたずねるとみな同体であるという考え,すなわち本地垂迹説である。そこで神に菩薩号を名付けたり,神体に代わって仏像を祀ったり,また神像を僧形であらわしたりするようになった。その流行は平安時代初期からはじまる。(※1)
<それぞれの本地仏>
阿弥陀如来・・・熊野本宮社(名取)、熊野本宮大社(和歌山)
月山神社(出羽)
薬師如来・・・熊野神社(名取)、熊野速玉大社(和歌山)
鳥海山(出羽・庄内地方)、葉山神社(出羽・村山地方)
聖・千手・・・熊野那智神社(名取)、熊野那智大社(和歌山)
聖観音・・・羽黒山神社(出羽)
聖観音は羽黒山神社の本地仏
平安後期頃(12世紀)から鎌倉時代にかけてのもので、
少なくとも熊野那智神社が勧請されたのは、この時期以降とされます。
元は、熊野那智神社は羽黒大権現でした。
閖上に住む漁師が観音像を海底から神体を見つけた
由来に始まります。(諸説あり)
また、旭神子が名取周辺で修行していたのですが、
旭神子や貝田和歌神子は、羽黒で修行していた口承もあります。
※1 コトバンク
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