名取老女とみちのくを旅する過去と未来

宮城県名取市に熊野三社を勧請した名取老女の伝承を研究中。 先人たちが伝承してきた様々な…

名取老女とみちのくを旅する過去と未来

宮城県名取市に熊野三社を勧請した名取老女の伝承を研究中。 先人たちが伝承してきた様々な伝説や昔話は、 現代の私たちに何を伝えようとしているのでしょうか。 東北地方独特な風土を受け継ぎ、 語り部となって心の旅へいざないます。

マガジン

  • 名取老女物語

    中世の名取の巫女伝承を研究しています。地元に伝わる守家の「名取老女」伝承を広めるための啓蒙活動(紙芝居披露や講和会等)を行っています。 facebook https://www.facebook.com/groups/natorirojo/?ref=share 問合せ:yamacity777@yahoo.co.jp (名取老女研究会)

  • 東北地方の熊野神社と熊野信仰

    名取熊野三社や名取周辺の歴史・伝説の考察。羽黒から熊野へ、旭から名取老女へ、日本海から太平洋を繋ぐ。

  • 巫女伝承「旭神子」を解く

    名取老女にはもうひとつの顔をもつ「旭神子(あさひみこ)」がいます。なぜ、熊野の名取老女はアサヒと融合したのか?旭神子の伝承を紐解く民俗学の世界へ。

  • 伝説の山と海をあるく

    【山幸】伝説の宝庫、東北地方の伝説を歩く山と海を紹介します。

最近の記事

青森県の最北端に伝わる「かなしめ」、北上する熊野信仰

名取の熊野神社に「金注連」が伝わっています。 金注連とは、名取老女が巫女である証拠のひとつとも伝わり、 名取老女が身につけていたと伝わるもの。 僧侶のかける輪袈裟、修験者の用いる結袈裟を製鉄にしたのが、 金注連と考えられています。 その金注連と関連する話が、遠い下北半島に位置する青森県に伝わっていました。 先日、川内八幡宮の宮司、石倉様より情報を頂き、 東北の熊野信仰を知る上で貴重なお話だと思いました。 金七五三神社も兼務しておられ、地元熊野修験の目名不動院文書に、 「

    • 熊野神社の木造狛犬

      昨年の900年祭で熊野神社に展示されていた狛犬。 とても雰囲気があって存在感を放っていました。 狛犬とは、平安時代中頃に中国を経て高麗(こま)から日本へ伝わってきたものといわれ、神社には必ず見かけるものです。 本来は、神仏の魔よけと聖域守護の役目を担うものとして本堂内に置かれてきたものだそうです。 後に神社の拝殿前や境内入口に置かれるようになりました。 熊野神社に伝わる狛犬の用材は、桂材。 阿形は雄(高さ72センチ) 吽形の雌(高さ60センチ) 製作方法は、江戸時

      • 名取熊野神社の飛鳥地名考

        名取の熊野神社(新宮)には「飛鳥」の地名が多い。 「アスカ」の地名由来は、紀州和歌山県の新宮市にある「阿須賀神社」が由来であるとする縁起があった。 アスカの地名は、川や海が浅くなる意味の浅い「アサ」 「カ」は、処の意味で河口が狭くなるために水の氾濫、洪水が起こりやすくその害を防ぐために阿須賀神社が祀られたという。 その祀られた神とは「飛鳥大行事」という。 飛鳥大行事とは、インドのマガタ国(摩訶陀国=釈迦当時のインド) では権現の惣後見(補佐役)とされる。 権現の前は

        • 【歴史】名取老女と信夫佐藤氏 笛を吹く少年とは?

          この前、藤原国衡が討ち取られたという「馬取田」へ行き、 そこで「高館黒」のことが気になりました。 藤原国衡は、藤原秀衡(奥州藤原氏3代目)の長男。 藤原泰衡(四代目)とは、異母兄弟になります。 奥州合戦で、阿津賀志山(あつがしやま)の戦いに 総大将として参戦するも、戦死した人です。 場所は、大河原町金ヶ瀬(かねがせ)奥州街道沿いに発展した宿場町でした。当時は、賑わいがあったと思います。 ここには、板碑石碑群も残されており、古いものでは 1318年の碑は、柴田郡内で最古

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          山形県南陽市の熊野大社 男女のご縁をつなぐ兎の扉

          昨年、2023年は名取老女が名取に熊野三社を勧請した記念年、 「名取熊野勧請900年祭」でした。 その祝いを記念して、2023年7月、 山形県南陽市の熊野大社にてお話会をさせて頂きました。 南陽の熊野大社は、「東北の伊勢」と称され歴史が深い神社です。 それぞれ、熊野夫須美神、熊野速玉大神、熊野家津御子大神、 そして八咫烏大神も祀られています。 「むすひ」の神様(熊野夫須美)が熊野信仰の特徴 (イザナギ・イザナミ神話)なので、 あらゆる縁結びの神様として知られています。

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          朝日神子に共通する英雄伝承

          アサヒの神子伝説は、出羽・陸奥に多く伝わっていますが、特徴が歴史上の人物と関連づけられた話が多いこと。 神子の由来の中に登場する地名について、気になっている所が仙台にあります。 「梓神子の由来」(盲僧と盲巫の始祖伝承:石井正己著)より 朝日(そうし)和歌神子について、 「文禄3年7月10日高清水の丸田沢という所に和歌神子大神宮として現れた」とされ、朝日は千手観音の化身、仮に比久太郎の娘と出羽奥州の女の盲人を救った。 朝日は盲人となったが、諸神諸仏に祈って渡世のことを願い

          【熊野信仰をめぐる】祭祀遺跡の神倉神社と徐福上陸伝説

          神倉神社(奥の院)神倉神社は、熊野大神が熊野三山として祀られる以前に一番最初に降臨された聖地です。 時間がなく残念ながら山頂までは行けなかったのですが、下から巨岩が見えました。 天ノ磐盾という峻崖の上にあり、熊野古道中の古道といわれる五百数十段の仰ぎ見るような自然石の石段を登りつめた所に御神体のゴトビキ岩があります。(琴引岩と書く) 熊野速玉大社は、まだ社殿がない原始信仰、自然信仰時代の神倉山から、 初めて真新しい社殿を麓に建てて神々を祀ったことから、この神倉神社に対し

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          【熊野信仰をめぐる】熊野速玉大社と東北から巡礼にもきた権現川原

          最初に訪れた新宮市の熊野速玉大社。 熊野速玉大社は、生命の根源である自然の働きを神格化した「熊野速玉大社を主祭神とし、神邑として中央にも知られた熊野川河口部に有史以前から鎮座してきました。 9世紀頃に神仏習合の影響を受け、熊野権現として信仰されるようになり、 熊野三社を巡拝する熊野詣が11世紀頃から盛んとなり日本の歴史、 文化に大きな影響を与えました。(世界遺産の碑より) 鳥居を抜けるとすぐ横に「ヤタガラス」と「天手長男」 を祀るお社が迎えてくれます。 ヤタガラス(八

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          【熊野信仰をめぐる】熊野信仰の原点となった花の窟

          2023年2月5日に開催された和歌山県新宮市丹鶴ホールにて 「新宮・名取ロータリークラブ主催」の 「熊野の魅力再発見」と題して名取老女研究会が招かれました。 前日に紀州熊野三社を案内して頂いたことを記録にまとめておきます。 初めての紀州熊野です。 名取老女が何度も紀州へ参詣した理由、 その魅力がどこにあったのかは、実際に訪れてみてわかってきたことです。 穏やかな熊野灘、雄大な森、人々の寛容さ、 そして豊かな植生がつないだ命の信仰。 また、被災地へ新宮RCの植樹や新宮市

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          鯨塚が伝える唐桑半島の熊襲(クマソ)とヤマトタケルの終焉地 

          先日、岩手県釜石の方へいくことがあり、帰る時に唐桑半島に行ってみました。唐桑半島へは研究会のメンバーと2017年6月に訪れていた所です。 海の守り神です。 今から1300年ほど前、紀州の熊野から唐桑半島へ数か月かけて上陸した事が室根神社縁起にあり、熊野信仰と鯨信仰は深い関係にあります。 鯨は御崎神社の御使いの霊魚と言われ、 唐桑半島の先にある御崎神社の森には鯨塚がいくつか祀られており、 そのひとつは神代文字(阿波文字)で書かれた鯨塚です。 由来は、 「1873年前年か

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          【伝説】小野小町は熊野比丘尼だった?

          大崎市古川にある「小野小町の墓」 小野小町の墓は複数ありますが、ここに「新田夜烏の里(にいだよがらすのさと)」という名前がありました。 訳すならば、「ヤタガラス」と言っているようなことでは? 「新田夜烏の里」の伝説「都での華やかな生活も年波には勝てず、晩年ふるさとの秋田に帰る途中、 ここ、新田夜烏の里に差しかかったころ、にわかに病に倒れてしまった。 草庵を結んで氷室の薬師に百日参りして病気平癒の祈願をかけ、 明日が満願成就という日に精根尽き果てて、路傍に倒れそのまま没し

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          名取熊野神社の湯立神事

          10月7日土曜:17時30分~名取熊野神社で湯立て神事が行われました。昨年も行われたのですが、今年は、900年祭なのでたくさんの方々が集まっていました。 その翌日、10月8日秋大祭が行われますので、 前夜祭の湯立て(湯の華神事)となります。 湯立て神事の歴史が、どのくらい古いかは定かではありません。 神社関係者から伺いました湯立て神事を記録しておきます。 修験道に由するもので夜神楽にのみ演じられる。 「庭鎮(にわしずめ)の舞」の後に舞の場所が祓い清められてから奉納される

          【神社】武蔵国賀美郡から勧請の加美町宮崎の熊野神社の歴史

          加美町は、宮城県の北西部に位置する大崎地方。 船形山、薬莱山などが加美町の象徴の山です。 奈良時代の『続日本紀』には賀美郡と記されてます。 その後、色麻郡を併せ、江戸時代に賀美郡から加美郡に改名しました。 ちょっと奥山にある熊野神社。 鳥居近くまで車でいけますが、途中、参道のような道があり、 昔はこの道から歩いていたようです。 ここのおくまんさまを知ったのは、御浜降りを昔行っており、60キロも離れた鳴瀬川河口まで海水に神輿をつけて禊をやっていたことを知りました。 熊野

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          【新山観音堂】奥州三十三所観音霊場札所納札

          先月、平泉へいき、その帰りに立ち寄った花泉町。 平泉の本拠地近くで観音霊場に関係する資料、名取老女伝説について記されている所です。 「奥州札所三観音霊場の始まりは、1123年(保安年間)頃とされています。その後、盛衰を経て、1761年(宝暦11年)、気仙沼・補陀寺の智膏和尚により再興されました。 そのうち花泉町内には、 十七番 老松・観音堂・十一面観音(大祥寺) 十八番 老松・六角堂・如意輪観音。 十九番 金沢・新山観音堂・十一面観音 二十番 花泉・観音堂・千手観音(徳寿

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          長谷釜集落の塩の釜

          岩沼の昔話に「おすずひめ」というのがあります。 いつ頃の話しかは不明ですが、古くから斎宮の言い伝えがあるように、 斎姓・斎藤姓が多い集落と言われています。 このあたり一帯は製塩法が伝わっていたとされ、 藤原実方が多賀城へ赴任した時に名取の道祖神で亡くなっている話などは、 塩と砂金の交易のためであり、(39号線は塩の道と言われていた) 塩と深い関わりをもっていた藤原家がみえてきます。 塩の名取郡古い文献『塩竈神社祭神考』より、 大歳神(大年神)は、農耕に力をもち、その御子奥

          【神社】『今熊野神社』の老女さんと継承された榊流神楽

          今熊野神社は、名取市赤坂の地名にあります。 別名「赤坂神社」とよばれていました。 ここは、桜がとてもきれいな所です。 この坂を登る途中に、縄文~弥生の今熊野遺跡があります。 方形周溝墓東北地方で初めて発見され、 このような方法は、中部~関東~東北へ伝わったようです。九州地方ではほとんどありません。 縄文の森がまだ残されているような所。 その赤坂の今熊野神社にも、名取老女のような話しがあり、熊野権現のお告げから許可されて神社を建立した由縁があります。 今熊野神社由縁御

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