マガジンのカバー画像

名取老女物語

20
中世の名取の巫女伝承を研究しています。宮城県名取市に熊野三社を勧請した「名取老女」伝承の子孫、虹乃さんを中心に名取老女を考察中。宮城県南の歴史、伝説の他、東北の豊かな自然を伝える… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

【熊野信仰をめぐる】祭祀遺跡の神倉神社と徐福上陸伝説

神倉神社(奥の院)神倉神社は、熊野大神が熊野三山として祀られる以前に一番最初に降臨された…

【熊野信仰をめぐる】熊野速玉大社と東北から巡礼にもきた権現川原

最初に訪れた新宮市の熊野速玉大社。 熊野速玉大社は、生命の根源である自然の働きを神格化し…

【熊野信仰をめぐる】熊野信仰の原点となった花の窟

2023年2月5日に開催された和歌山県新宮市丹鶴ホールにて 「新宮・名取ロータリークラブ…

【新山観音堂】奥州三十三所観音霊場札所納札

先月、平泉へいき、その帰りに立ち寄った花泉町。 平泉の本拠地近くで観音霊場に関係する資料…

【神社】『今熊野神社』の老女さんと継承された榊流神楽

今熊野神社は、名取市赤坂の地名にあります。 別名「赤坂神社」とよばれていました。 ここは、…

【能】護法(ごおう)の名取ノ老女と世阿弥

先日、仙台在住の能楽師、山中迓晶(やまなかがしょう)さんと名取熊野勧請900年実行委員会…

【紀州】熊野本宮大社旧社地「大斎原」の音無川

和歌に多く詠まれる「音無川」 名取老女が勧請した由縁では、名取川を熊野川に模している。しかし、芸能の世界では、音無川としたい理由があった。 名取川を音無川と模した理由は、大斎原による。 つまり、「禊」のこと。 国立能楽堂にて開催された(2016年) 復曲能「名取ノ老女」より、 長年途絶えていたものを東京国立能楽堂が、 「復興と文化」と題して約130年ぶりに復活させた。 復曲能のために作成された部分もあるが、 歴史というより能から生まれた芸能であり、 名取老女が文化であ

【神社】名取熊野神社の老女宮とわらじ

今年は、名取熊野神社勧請900年になります。 名取老女が勧請した由縁によるものですが、 …

【信仰】小謡で誓う「名取老女かくばかり~信なれば~」

わらじを編んでいた熱心な熊野信者である名取老女は、複数の顔をもちます。 なぜ、熊野三社の…

【能】糺河原勧進猿楽の御乞能(アンコール)は「名取老女」だった

名取老女の名が流行したのは、 音阿弥・世阿弥による お能(護法)からです。 1464年「糺…

【信仰】熊野権現影向図のこと

この図は、阿弥陀如来が大きく雲から現れ、 熊野権現を信仰する者だけに見えるとされた 影向(…

【伝説】鳥羽天皇の病気を治した名取老女と奥州札所三十三観音霊場

「春日入の熊野社」の中で、 鳥羽天皇の病気を治す伝説がありました。 諸説ありますが、奥州…

名取熊野信仰講和会の記録②

名取老女伝承に語られる守家の談話より(一部です) 10月1日に行われた能「名取ノ老女」 …

名取熊野信仰講和会の記録①

『未来につなぐ名取老女伝説』2018年5月13日:名取熊野那智神社にて お話:虹乃美稀子さん(東仙台シュタイナー虹のこども園 園長) 名取老女を調べるきっかけ 歴史が好きになったのは、『独眼竜政宗』から。 伊達政宗に関心をもち、それから歴史愛好家になる。 名取老女伝承にある烏宮守家の子孫。 今から14年前、中田の祖父へ行った時、 祖父の本棚の前で本をみていたら、 「もっと面白い本があるけどみるか」と言われ、 「中田の歴史」や「名取老女に関する本」を数冊もってきたのです。