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【伝説】小野小町は熊野比丘尼だった?
大崎市古川にある「小野小町の墓」
小野小町の墓は複数ありますが、ここに「新田夜烏の里(にいだよがらすのさと)」という名前がありました。
訳すならば、「ヤタガラス」と言っているようなことでは?
「新田夜烏の里」の伝説「都での華やかな生活も年波には勝てず、晩年ふるさとの秋田に帰る途中、
ここ、新田夜烏の里に差しかかったころ、にわかに病に倒れてしまった。
草庵を結んで氷室の薬師に百日参りして病気平
【神社】武蔵国賀美郡から勧請の加美町宮崎の熊野神社の歴史
加美町は、宮城県の北西部に位置する大崎地方。
船形山、薬莱山などが加美町の象徴の山です。
奈良時代の『続日本紀』には賀美郡と記されてます。
その後、色麻郡を併せ、江戸時代に賀美郡から加美郡に改名しました。
ちょっと奥山にある熊野神社。
鳥居近くまで車でいけますが、途中、参道のような道があり、
昔はこの道から歩いていたようです。
ここのおくまんさまを知ったのは、御浜降りを昔行っており、60キロ
福島市茂庭の熊野神社【信夫佐藤氏兄弟の母:乙和御前】
福島市の飯坂温泉より西側に茂庭地区があり、信夫郡の領土を得た佐藤基治の妻、乙和の方を頼って名草の鈴木氏(藤白鈴木氏?)が建立した神社がある。
※茂庭は、伊達藩の家臣、鬼庭氏が領土を得ている。
(豊臣秀吉の命で名を茂庭に変えている)
熊野神社の由来紀州名草の村長鈴木塞庫翁が紀伊国熊野神社に最も深い家系をもつ飯坂大鳥城々主佐藤庄司基治の妻、佐藤継信の母乙和の方を頼って直接熊野から
この茂庭秋庭の地
【信仰】閖上港の聖観音堂(三古寺)
先週、大崎市鹿島台へ行った時、
偶然通りかかった「三古寺」に参拝する流れになりました。
本殿の裏へ回ると、真新しい観音堂があり、
大きなキラキラした観音様が鎮座されていましたが、
天井の提灯には「閖上港」の名があったのです!
「富聖観音菩薩」
なぜ、宮城県北部の山側に閖上港からの奉納が?
住職に訊ねてみたが、詳細はよくわからないと。
近くに「富山」の名のつく山があり、そこにあった観音様を
閖上「いかり祭り」のこと
新宮の本殿隣に、錨の図がありました。
以前は錨だけあったのですが、看板が新たに設置されていました。
宮城県図書館所蔵の領内祭集の一つに閖上浜錨祭絵図があります。
図の解説によれば、
安政年間(1854年~1859年)以前から
閖上浜では大漁を祈願し錨を供養する行事があり、
後に閖上浜の大祭としたとされています。
錨祭ついては、いつ頃から始まり、いつ頃まで行われていたかなど詳細な記録や文献が確
【歴史】名取熊野三社創建年代のまとめ
今年は「名取熊野三社900年祭」です。
名取老女が勧請した「1123年」に由来する記念という事になりますが、勧請由縁についていろんな説があり、断定できない歯がゆさを感じています・・・。
※新宮から本宮、那智神社へ勧請したとも言われます(小野宮司より)
熊野三社の創建年代は、各々異なりますが、年代ごとにまとめてみました。
最初は、別々に三社が置かれていたとの見方もありますが、名取熊野三社を同年
【神社】閖上の観音伝説 変わる観音像の姿
閖上の観音伝説をまとめておきます。
広浦の観音伝説(現:閖上)
「広浦の漁師である治兵衛が漁に出ていたが、
この日だけは一匹の魚もとれなかった。
彼が漁をやめて帰ろうとすると、
海底で光輝く物があるので、
直ちに網をおろして引き揚げると異様な御体神を得た。
彼はそれを大切に家に持ち帰り、安置して日夜拝んでいた。
こうしているうちに、浜の人々が、毎晩、不思議な光が西の方に飛んで行って高い山
【神社】ゆりあがった観音様のルーツは?
名取の熊野那智神社は、高舘山の山頂に鎮座し、
祭神は羽黒飛龍神、熊野夫須美神(くまのむすびのかみ)をはじめ、
6柱をお祀りしています。
719年閖上の漁師治兵衛という人が、海中より十一面観音菩薩像を引上げ、後に高舘山に遷し祭祀します。(熊野堂郷土史略年表)
閖上の名前の由来は、仙台藩4代藩主・伊達綱村が
大年寺山門からはるか東のゆり上浜を望み、
「門の中に水が見えたので、
門の中に水という文