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東北地方の熊野神社と熊野信仰

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名取熊野三社や名取周辺の歴史・伝説の考察。羽黒から熊野へ、旭から名取老女へ、日本海から太平洋を繋ぐ。
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熊野神社の木造狛犬

熊野神社の木造狛犬

昨年の900年祭で熊野神社に展示されていた狛犬。
とても雰囲気があって存在感を放っていました。

狛犬とは、平安時代中頃に中国を経て高麗(こま)から日本へ伝わってきたものといわれ、神社には必ず見かけるものです。

本来は、神仏の魔よけと聖域守護の役目を担うものとして本堂内に置かれてきたものだそうです。

後に神社の拝殿前や境内入口に置かれるようになりました。

熊野神社に伝わる狛犬の用材は、桂材。

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名取熊野神社の飛鳥地名考

名取熊野神社の飛鳥地名考

名取の熊野神社(新宮)には「飛鳥」の地名が多い。

「アスカ」の地名由来は、紀州和歌山県の新宮市にある「阿須賀神社」が由来であるとする縁起があった。

アスカの地名は、川や海が浅くなる意味の浅い「アサ」
「カ」は、処の意味で河口が狭くなるために水の氾濫、洪水が起こりやすくその害を防ぐために阿須賀神社が祀られたという。

その祀られた神とは「飛鳥大行事」という。

飛鳥大行事とは、インドのマガタ国(

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山形県南陽市の熊野大社 男女のご縁をつなぐ兎の扉

山形県南陽市の熊野大社 男女のご縁をつなぐ兎の扉

昨年、2023年は名取老女が名取に熊野三社を勧請した記念年、
「名取熊野勧請900年祭」でした。
その祝いを記念して、2023年7月、
山形県南陽市の熊野大社にてお話会をさせて頂きました。

南陽の熊野大社は、「東北の伊勢」と称され歴史が深い神社です。

それぞれ、熊野夫須美神、熊野速玉大神、熊野家津御子大神、
そして八咫烏大神も祀られています。

「むすひ」の神様(熊野夫須美)が熊野信仰の特徴

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鯨塚が伝える唐桑半島の熊襲(クマソ)とヤマトタケルの終焉地 

鯨塚が伝える唐桑半島の熊襲(クマソ)とヤマトタケルの終焉地 

先日、岩手県釜石の方へいくことがあり、帰る時に唐桑半島に行ってみました。唐桑半島へは研究会のメンバーと2017年6月に訪れていた所です。

海の守り神です。

今から1300年ほど前、紀州の熊野から唐桑半島へ数か月かけて上陸した事が室根神社縁起にあり、熊野信仰と鯨信仰は深い関係にあります。

鯨は御崎神社の御使いの霊魚と言われ、
唐桑半島の先にある御崎神社の森には鯨塚がいくつか祀られており、
その

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【伝説】小野小町は熊野比丘尼だった?

【伝説】小野小町は熊野比丘尼だった?

大崎市古川にある「小野小町の墓」
小野小町の墓は複数ありますが、ここに「新田夜烏の里(にいだよがらすのさと)」という名前がありました。

訳すならば、「ヤタガラス」と言っているようなことでは?

「新田夜烏の里」の伝説「都での華やかな生活も年波には勝てず、晩年ふるさとの秋田に帰る途中、
ここ、新田夜烏の里に差しかかったころ、にわかに病に倒れてしまった。

草庵を結んで氷室の薬師に百日参りして病気平

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名取熊野神社の湯立神事

名取熊野神社の湯立神事

10月7日土曜:17時30分~名取熊野神社で湯立て神事が行われました。昨年も行われたのですが、今年は、900年祭なのでたくさんの方々が集まっていました。

その翌日、10月8日秋大祭が行われますので、
前夜祭の湯立て(湯の華神事)となります。

湯立て神事の歴史が、どのくらい古いかは定かではありません。
神社関係者から伺いました湯立て神事を記録しておきます。

修験道に由するもので夜神楽にのみ演じ

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【神社】武蔵国賀美郡から勧請の加美町宮崎の熊野神社の歴史

【神社】武蔵国賀美郡から勧請の加美町宮崎の熊野神社の歴史

加美町は、宮城県の北西部に位置する大崎地方。
船形山、薬莱山などが加美町の象徴の山です。

奈良時代の『続日本紀』には賀美郡と記されてます。
その後、色麻郡を併せ、江戸時代に賀美郡から加美郡に改名しました。

ちょっと奥山にある熊野神社。
鳥居近くまで車でいけますが、途中、参道のような道があり、
昔はこの道から歩いていたようです。

ここのおくまんさまを知ったのは、御浜降りを昔行っており、60キロ

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福島市茂庭の熊野神社【信夫佐藤氏兄弟の母:乙和御前】

福島市茂庭の熊野神社【信夫佐藤氏兄弟の母:乙和御前】

福島市の飯坂温泉より西側に茂庭地区があり、信夫郡の領土を得た佐藤基治の妻、乙和の方を頼って名草の鈴木氏(藤白鈴木氏?)が建立した神社がある。

※茂庭は、伊達藩の家臣、鬼庭氏が領土を得ている。
(豊臣秀吉の命で名を茂庭に変えている)

熊野神社の由来紀州名草の村長鈴木塞庫翁が紀伊国熊野神社に最も深い家系をもつ飯坂大鳥城々主佐藤庄司基治の妻、佐藤継信の母乙和の方を頼って直接熊野から
この茂庭秋庭の地

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【信仰】和田氏と藤原実方の熊野那智「実方院(じっぽういん)」

【信仰】和田氏と藤原実方の熊野那智「実方院(じっぽういん)」

先日、母方の曽祖父が紀州熊野那智神社の
神主をされていたという方にお会いし、宮城県にお住まいの方でした。

何があったかわかりませんが、那智神社に勤めていたが、
神主をやめて宮城県に移り住んだそうです。

真相を知るべく県内の研究機関に問い合わせたり
いろいろ先祖のルーツを探していたけれど、
結局、わからなかったそうです。

名取老女の口承も、多岐にわたりいろいろあります。
紀州出身者や名取を治め

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【信仰】閖上港の聖観音堂(三古寺)

【信仰】閖上港の聖観音堂(三古寺)

先週、大崎市鹿島台へ行った時、
偶然通りかかった「三古寺」に参拝する流れになりました。

本殿の裏へ回ると、真新しい観音堂があり、
大きなキラキラした観音様が鎮座されていましたが、

天井の提灯には「閖上港」の名があったのです!

「富聖観音菩薩」

なぜ、宮城県北部の山側に閖上港からの奉納が?

住職に訊ねてみたが、詳細はよくわからないと。
近くに「富山」の名のつく山があり、そこにあった観音様を

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閖上「いかり祭り」のこと

閖上「いかり祭り」のこと

新宮の本殿隣に、錨の図がありました。
以前は錨だけあったのですが、看板が新たに設置されていました。

宮城県図書館所蔵の領内祭集の一つに閖上浜錨祭絵図があります。

図の解説によれば、
安政年間(1854年~1859年)以前から
閖上浜では大漁を祈願し錨を供養する行事があり、
後に閖上浜の大祭としたとされています。

錨祭ついては、いつ頃から始まり、いつ頃まで行われていたかなど詳細な記録や文献が確

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【歴史】名取熊野三社創建年代のまとめ

【歴史】名取熊野三社創建年代のまとめ

今年は「名取熊野三社900年祭」です。

名取老女が勧請した「1123年」に由来する記念という事になりますが、勧請由縁についていろんな説があり、断定できない歯がゆさを感じています・・・。

※新宮から本宮、那智神社へ勧請したとも言われます(小野宮司より)

熊野三社の創建年代は、各々異なりますが、年代ごとにまとめてみました。
最初は、別々に三社が置かれていたとの見方もありますが、名取熊野三社を同年

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【神社】閖上の観音伝説 変わる観音像の姿

【神社】閖上の観音伝説 変わる観音像の姿

閖上の観音伝説をまとめておきます。

広浦の観音伝説(現:閖上)

「広浦の漁師である治兵衛が漁に出ていたが、
この日だけは一匹の魚もとれなかった。

彼が漁をやめて帰ろうとすると、
海底で光輝く物があるので、
直ちに網をおろして引き揚げると異様な御体神を得た。

彼はそれを大切に家に持ち帰り、安置して日夜拝んでいた。

こうしているうちに、浜の人々が、毎晩、不思議な光が西の方に飛んで行って高い山

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【神社】ゆりあがった観音様のルーツは?

【神社】ゆりあがった観音様のルーツは?

名取の熊野那智神社は、高舘山の山頂に鎮座し、
祭神は羽黒飛龍神、熊野夫須美神(くまのむすびのかみ)をはじめ、
6柱をお祀りしています。

719年閖上の漁師治兵衛という人が、海中より十一面観音菩薩像を引上げ、後に高舘山に遷し祭祀します。(熊野堂郷土史略年表)

閖上の名前の由来は、仙台藩4代藩主・伊達綱村が
大年寺山門からはるか東のゆり上浜を望み、

「門の中に水が見えたので、
門の中に水という文

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