【信仰】閖上港の聖観音堂(三古寺)
先週、大崎市鹿島台へ行った時、
偶然通りかかった「三古寺」に参拝する流れになりました。
本殿の裏へ回ると、真新しい観音堂があり、
大きなキラキラした観音様が鎮座されていましたが、
天井の提灯には「閖上港」の名があったのです!
「富聖観音菩薩」
なぜ、宮城県北部の山側に閖上港からの奉納が?
住職に訊ねてみたが、詳細はよくわからないと。
近くに「富山」の名のつく山があり、そこにあった観音様を
こちらへ移したそうです。
ここの観音様が、海の守り神であった為、
漁師が奉納されたもの、という事でした。
由来について、
今からおよそ1100年くらい前に比叡山延暦寺座主源信僧都は
席をゆづりて同山の恵心院に住んだ。
恵心僧都は、時の天皇の(平安時代中期)
帰依にあつく富聖観音の御秘仏は僧都の作と伝わる。
縁あって大迫表澤富山に鎮座していたのを、大迫一園の総鎮守として崇拝した。
現在の大きな観音様は、文政の頃、能栄僧都(現:山田氏の祖)により、
大尊像を彫刻し、秘仏は、胎内に納めたという。
(秘仏のご開帳は今年の10月)
■藤原と斎藤
『鹿島台町史』によれば、
三古寺は「1624年~1644年 村の寺、庵が合同で再建したもので松山茂庭氏の家中が開山したと伝わる。
北方に高寺山があり(標高140m)
坂上田村麻呂が寺を建て、大梵鐘を備えて地方領護と逆徒峰起の合図に使用。
茂庭氏の姓は、藤原。氏は斎藤と名乗る。
山城国八瀬に住み、二代将監団地基良が平治の乱(1159年)の後に
下総国佐倉に次いで下野国那須に移る。」
この藤原に姓が斎藤であるとなれば、下野国(現:栃木県)ということから、名取、岩沼に由来する斎藤姓・・・名取老女伝説と近いのでは?
閖上港の守り神、つまり、
高舘山羽黒の本地仏、聖観音となる。
大迫川の近くなので、このような話もあります。
「1192年伊達郡茂庭村(福島)で大蛇を退治し、
同村に住み、氏を斎藤から鬼庭に改めた。」
※茂庭(鬼庭氏)→伊達家の重臣
大蛇伝説は、人身御供のことであり、
ヤマタノオロチの神話から基づくが、
多くは、氾濫のことがあって伝わっています。
「一羽の白鳥が飛来し、霧がはれて大蛇が現れた」
という描写があるのですが、
川の氾濫の後、雨がやんで晴れたが、
大蛇=崖崩れ、土砂災害にあったことを伝えているもの。
※鬼庭氏→伊達家の重臣
■一の坪集落
また、ここでは、奈良時代の丸木船(昭和30年発掘)
が発見されています。
「条里制」の関連があるとの事。
→古代から中世後期にかけて行われた土地区画(管理)制度。
品井沼との通行、湿田のため肥料や稲を運んだそうです。
黄金がとれた752年、金を納めていた時代、
749年百済王敬福の時代にあったかもしれません。
→天平時代。
藤原家と金、ここでも奥州藤原氏が
広く領土を得ていたことがわかります。
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