旅レポート

こちらは、10年ほど前に、公募作品として執筆したものです。
テーマは、はじめての海外旅行です。海外旅行に行ったことがないけど、行きたいなと不安に思っている方に勇気を与えれればという視点で書いております。

読み直すと、脱線しすぎだったり、表現がダサかったり、意味不明な文章があったりと、落選するはずだわ〜と思いますが、これも私の大事な記憶なので、受け止めました。

よろしければ、どうぞお読みください。

ごあいさつ

こんにちは!ぱっと見、海外旅行なんてしたことないだろって感じの全然シャキシャキしてない女子です。だいぶ臆病で、面倒くさがりやで、頭の回転も遅く、子供の時は、電車に乗るのもドキドキして、隣の町にもいけなかった、そういうやつです。だけど、いつも外の世界に憧れてて、他の人より多く違うものを見たいって思ってました。

といいつつも実際は、海外旅行行きたいけど、怖いな、不安だな~そもそも楽しめるの?って思ってました。

そんな私だけど、悩んで考えて迷って、そしてえいやっ!って勇気を振り絞って20代前半に海外に遊びにいっていました。今は、いけない時代が続いているけれど、色あせない大切な思い出です。当時は、スマートフォンもアイパットもなかった時代で(といっても10年も昔じゃないですからね~!技術の過渡期だったんだと思うの!)、本当に一緒に持って行った地球の歩きかたと事前に調べた情報、そして、現地のホステルでのインターネット情報を頼りにする位でした。

だから色んな不安もあったし、行動範囲に制限もありました。当時は、ブログ情報とかもそんなになかったし、行ってみてびっくりする・・・その場で、どうしようと悩むことがけっこうありました。危ない目にもあってるし・・・。それでも、安全に気をつけて、1人で旅行に出かけたことも友達とでかけたこともあります。

海外旅行は、お金もかかるし、目的って何?無駄遣いじゃない?という感じもするし、国内旅行で安心しておいしいもの食べてもいいんじゃないかって思う気持ちもある。

だけど、まだ海外旅行に行ったことのない人に伝えたい。旅行が好きならきっと海外旅行は楽しいはず!旅行が苦手でも挑戦した自分が好きになると思うすごい経験の宝物になる!もっとみんな海外にでかけましょう!(安全に気を付けてね!)って。今の30代~60代の先輩たちは、私たちよりずっと海外に行ってたんじゃないかな・・バブル世代の人たちとか。

60代以上の大先輩たちも海外には行ってなくとも、国内旅行をしてたと思うし、国内旅行だって海外旅行同様全然情報やイメージのない中で行ってたんじゃないかなって思うんですよね。

世界はどんどん狭くなって、偏った情報で溢れてる。テロの恐怖だって増してるし、いろんな場所で日本人が被害にあっている、そんな現状もありますよね。だけど、みんなが安全に気を付けて、情報を共有して、国境を越えていく、そんな需要が増えれば、どんどん安全なルートができて、価格も下がって多くの人が素晴らしい経験を今より多くできるようになるんじゃないかしら?そう願って、私の海外旅行記をみなさまにお伝えしようと思います。


私の海外旅行記ラスベガス1人旅編

アンテロープってご存知ですか?

私ここに行きたくて行きたくて。でも、予算と日程的に無理だったので、かわりにグランドキャニオンに行くことに!正式名称は、Grand Canyon National Park 国立公園なんすね。中高時代にはまったブリトニー・スピアーズのPVの舞台だったとこでは?!

期待に胸ふくらませ、いざラスベガスへ!グランドキャニオンへは、ラスベガス発のツアーで行きました。ラスベガスはカジノ・ショー・豪華なホテルで有名な一大観光地。想像しただけでも、落ち着かず不安・・・。悪い人に会わないかしら?

私の性格上ラスベガスの雰囲気は、身体に合わないと思うんですけど、せっかく行くので、ラスベガス観光もすることに。夜つくのは怖いので、昼間の明るいうちに空港へ着く便にしました。

ラスベガスではTHEアメリカ感に圧倒されました。アメリカ感がなんなのかわかってないですが、とにかくはじめて見るものが多かったです。

空港からホステルに行くバスの車内。私不安症なんで運転手に近いところで常にキョロキョロ外を見てるんですが、いきなり目の前に飛行機がすれすれで飛んできた!ひょ~!すごい!写真にパチリ。

うん、もうこれだけで私満足だわ。なにこの、青い空と飛行機・・・ね!?

なかなか日本では体験できないですよね。ラスベガスでは、ホテルでしてるシルクドソレイユのショーを見ることに。がっつり寝てました。私は、人より時差ボケがひどいタイプなのです。いつもながらショックだったけど、一部記憶はあるので、それだけでも鑑賞できてよかったと思うことにしました。

なんでも自分の思い通りにはいかないものです。自分の体質や時差を考えたスケジュールがね、出来れば望ましいですよね。

それはさておき、ショーまでの時間潰しに、観光ロードを散策。昼間のベガスは、歩道には、コールガールの名刺や風俗店のチラシが散乱してて、でも家族連れや観光客がわんさか歩いている、イメージとしてはピンク色の世界でした。

巨大な建物の中にお買いものスポットは数あれど、興味がなかったので、ホテルの無料で入れるところに行ったり、ホテル開催の無料のショー中心に回りました。

夜のベガスは華やか。たまたま、通りかかった噴水ショー。でっかい湖の雰囲気を醸し出す人工池で、壮大な音楽に合わせた水のショーでした。これが無料とは・・・すごいなと。

色々なバージョンがあるそうです。私の注目ポイントは、池に住むアヒルたん。ショーが始まるとすいすいすい~と池の端に移動し、待機。

う~ん。かわいい。アヒルたんいつもこうやってショーがはじまると、安全地帯に逃げてるのね。こういう動物との出会いに癒されます!

動物といえば、ワシントンD.C.の野生のリスたんたち。リス自体は、日本の鳩のような存在で珍しくはないのですが、動物好きの私にはたまらない幸せです。しかも、けっこうレアなことだと思うのですが、電線の上を走るリスたんを目撃。

たったったっと。あまりの衝撃に写真を撮ることもできませんでした。ごはんを狙って寄ってくることも。お昼にホットドックを座って食べていると、リスが横から素早くホットドックのパンをゲットしに来たこともあります。追いかけると、茂みに入っていきました。

おもわず腕を伸ばし写真をパシリ。何も写ってないだろうな~と思っていたのですが、写っていたのは、!カメラ目線のリスたん。感動しましたっ!私にとっては、まさに海外ならではの景色でした!

海外ならではの景色といえば・・・NYのセントラルパークを通りがかったとき、奇妙な男性を見たのです。よくよく見ると500mlのペットボトルのように2Lのペットボトルを一気飲みしていたのです!日本では、そもそもそんな大容量のペットボトルを見たことがなかったので、衝撃的でした。

NYでは他にもただ歩くだけでカルチャーショックを受けていました。キスするカップルなんですが、目の前のカップルがなんの脈絡もなく、歩行中いきなり止まってキスしだしたのです。あやうくぶつかりそうになりました。正直、怒りを覚えましたね。邪魔だっ!と。

イスラエルでは、お手洗いで入念にお化粧をしている女性兵士の姿が印象的でした。兵士も化粧するのねってカルチャーショック。きっと、兵役の義務を全う中の若い女子なんだと思いますが、徴兵制のある国では、普通の人が兵士になる、きっと徴兵制のあるなしでいろんなことが全然違うんだろうなと本当にちょっとだけリアルに感じることができました。

こういったように、海外旅行をすると、ちょっと行っただけなんですけど、それだけで、日本ではぶつからない経験に自分の意志とは関係なく出会います・・こういう経験をすると日本の当たり前の景色が新鮮に感じたり、他の国の人はどう思うんだろうと普段は考えないことを考え始めたりします。そうして、少しずつ自分の幅や視野が広がっていくのを感じることができるし、子供のころは誰しもがもっていた寛容性や既成概念を疑う心の柔軟性が回復されるのを感じました。ただ、そこで時間をすごす。それだけでも価値あること、それが海外旅行なんではないですかね~?なんて思っています。

さて、話は戻り、ラスベガス旅行最大の目的、グランドキャニオン!これはツアーだし、安心だ!と思っていたら大間違い・・・。グランドキャニオンに着いたたら、公園内は自由行動、所定の時間にバスが待っているところへ戻らないといけないのです。

私方向音痴でして、地図を読むのも苦手。方位磁石持ってこればよかった・・迷子になったらどうしよう・・・こんな広いところで。

追い打ちをかけるように、バスの運転手が遅れたら待たない!自分でどうにかしてくれ!ヘリコプターをチャーターしてくれ!俺は絶対に待たないからな!時間通りに出るぞ!と脅すのです。実際そうした人もいるから、脅しじゃないぞ!って。しかも、バス内で話しかけてきた1人旅既婚の中国人のおじさんもびびったのか、一緒にまわろうって言いだす始末。

絶対にいや!それだけは譲れない!・・・どうしようとダブルの不安が。あたりをキョロキョロ・・救世主発見!同年代の女子がいるじゃないですか!その方に事情を説明し、一緒にまわってもらうことに!彼女は、インドネシアから1人で遊びに来ているのだそう。写真を撮りあってお互い有意義な時間を過ごすことができました!彼女は地図もしっかり読めて、時間管理も正確!ちゃんと時間前にバスに戻れました。

やはり困ったとき重要なのは語学力です!困らないためには、語学力に加え、地図を読む力と正しい時間の感覚をもつこと、そして良い人と悪い人を見抜く目ですね!他にも、安全対策や情報収集、そうそう体力と免疫力のある健康な身体の準備など必要なことはたくさんあると思っています。

何事にも当てはまると思いますが、海外旅行も「楽しむ」には、ある程度日々の「努力や鍛錬」が必要になってくるのかなと。そうやって得た海外旅行の経験値は、きっと皆様の日常生活やお仕事でも役にたつことと思います。

さてさて、尻切れトンボのようになってしまいますが、ラスベガス旅レポート最後は、純粋なグランドキャニオンの感想を。グランドキャニオンは、想像より赤くなかったです。

テレビや雑誌でよく見る赤さは、雨の降った後の夕方に撮影するから出る色だそうです。そして、グランドキャニオンは、壮大でした。想像をはるかに超えています。日本だと安全の面から柵がありそうなきりたった崖にも、柵はなく、自由に行き来できます。正直足が震える怖さ・・・。ここでも自己責任の国アメリカを感じました。360度非日常の世界で、夢のような体験でした。人生で一度は行っておくべき!と推薦できる絶景でした。




私の海外旅行記 どどんとN.Y.ワシントンD.C.サンフランシスコ三都市編

さて、アメリカといえば最初に行くならN.Y.を目指すのでしょうか?それともカリフォルニア?はたまた、ディズニーワールドのあるフロリダ・・・?

私のお勧めは、航空券のオプションプランですかね、出発地から目的地までの飛行経路上にあるもう一都市にも立ち寄れるストップオーバー機能を使ってのニューヨーク、ワシントンD.C.、サンフランシスコ三都市周遊プランです!

実は、私ワシントンD.C.に住んでいたことがあって、そのときに三都市にそれぞれ行ったことがあるんです。そこで、思いついたのが、この三都市巡り旅行。三都市とも同じアメリカでありながら全然雰囲気が違って、しかもそれぞれがはっきりした個性をもつ観光に最高の魅力的な街です。

逆に、初海外で初一人旅だと、いきなりN.Y.行っちゃうと圧倒されすぎちゃうんじゃないかなと個人的には思います。私は何度もいいますように、軽度ですが不安症ですので、初めてN.Y.に行ったときは、怖くて怖くて・・・ですので、日程的には、ワシントンD.C.を目的地にして、D.C.からバスか飛行機でN.Y.に行き、日本に帰る途中でサンフランシスコにストップオーバーするプラン!かなり素敵なものになると思います。

ワシントンD.C.でおすすめは、ナショナルモール&メモリアルパーク周辺です。色々な博物館や美術館が無料で見られることも魅力的なのですが、私は、ナショナルパークの空気感がすごく好きで、何度も散歩に通いました。(ふふふ、リスたんたちにも会えますよ。)

でも観光の視点では、時間が限られていますので、興味のある美術館・博物館、国会議事堂のツアーに参加する、ワシントン・モニュメントの展望台からワシントンD.C.を見ることをお勧めします。

ワシントンD.C.は、計画的に作られた町なので、非常に小奇麗に整備されています。それは、歩いていても感じることだと思いますが、ワシントン・モニュメントにエレベーターで上り、上空から俯瞰的に見ていただくととってもわかりやすいです。こういう景色は他の都市ではなかなか見ることができないと思いますので、是非ここでしかできない体験をしてきてください。

そして、おすすめのイベントは、桜祭りです。桜の季節になると、桜祭りがポトマック川沿いで行われています。アメリカに桜があるの?って思いませんでしたか?

私は、日本大スキのアニメ好きオタク系日系アメリカ人の人からその存在を教えてもらいました。へ~知らなかった、大したことないんじゃない?位に思っていたのですが、行ってみると全然違っていました。日本から友好の証として贈られた3千本の桜が、ポトマック沿いに植えられていて、桜に導かれるよう歩いていくとリンカーンメモリアルという日本人でもアメリカ映画を見る人なら1度は見たことがあるだろうという、アメリカでは知らない人いないってくらい有名な巨大なリンカーンの石造がある場所へたどり着くのです。

リンカーンといえば、アメリカの元大統領で、南北に分かれて争っていたアメリカを一つにまとめ、奴隷解放に導いた人です。そのリンカーンが椅子に座って、国会議事堂を見据えている、そんな場所がリンカーン・メモリアル。なんだかじーんときちゃいました。もちろん、日本のすべての桜の名所を知っているわけではないですけど、このポトマック川沿いの桜の景色は、日本では見ることができない独特の情緒を醸し出しています。

私にとっては、日本でもアメリカでもない平和な世界だと感じました。さ、お次は、ニューヨークですね!

バスは、絶対朝発がいいですね。夜とか怖いにちがいないと思っています。

朝だったら、ちょっと不安な場所発のバスでも、大丈夫かもと。ほかに乗る人たちもたくさんいますしね。ひったくりにだけはご用心を。バスで行くのは、ちょっと不安というかたは、飛行機でも割と気軽にいけます。ただ、N.Y.側の空港と観光地が離れているので、乗り合いタクシーを利用するとしてもお金はかかりますね。何分、私が行ったのは、昔の話なので、今は、公共機関が発達して、もっと行きやすくなっているかもしれません。ま、なにはともあれ、お金は安全には代えられませんし、普段から海外旅行に向けて貯金していれば問題ありません!ちなみに私は、バスで行っていました。

さ、N.Y.での楽しい記憶を掘り起こし、まだ行ったことのないかたにおすすめを~!といっても、N.Y.は日々変わっている場所。私は数回行きましたが、全然把握できていません。いつも迷子になってしまってどこにどう行ったか記憶が定かではありません。

迷子といえば、田舎育ちの私は、東京でも道に迷うことがありました。そのときは、とにかく地下鉄の駅を探し、駅員さんに乗りつぎ情報を教えてもらっていました。最悪、コンビニの店員さんに聞けば何らかの情報は得られるから、東京ではそうあわてたことはありません。

でもN.Y.はそんな甘い町じゃない気がします。地下鉄こそ怖いし・・・しっかり計画を立てて行動することをおすすめします!もうどうしていいかわからないっ!ってなったら、タイムズスクエアの観光案内所に行くのがいいかもしれません。

そもそもタイムズスクエアで写真を撮って、ミュージカルを見るのは、やっぱり定番だと思いますし、そうこうしていると気づけば観光案内所あります。ここでは、地図もあると思いますし、ツアーの紹介もあるでしょうし、係の人がいてちゃんと教えてくれます。安心して休憩することもできると思います。私は、地図を読むのが苦手なので、観光案内所に一番に行って、最初にわかりやすい地図を入手したり、1人で歩く前の下見にツアーに申し込んだこともあります。(イスラエルの旧市街地に1人で行ったときはそうしました。)

N.Y.は、友人といったことが多かったので、なんとな~く地図を片手に流れるままに歩いて行っていたのですが、私自身は、1人じゃ無理だわと感じました。他の町に比べ、流れが早く、それだけでついていけない不安に襲われます。それは私が田舎ものだからって部分が大きいと思うので、都会の人は大丈夫かも?!でも、やはり1人はリスクが高いところかなと個人的に思います。

脅すわけではないのですが、N.Y.ではアフリカ系男性2人組につけられたことがありました。一緒にいた友人が気付いて、気づかないふりをしつつ歩き、ナイキショップの横を通ったときに急いでお店に逃げ込み、ことなきをえたのですが。

その友人は私よりはるかに英語が堪能で、高校時代にアメリカで生活していた人だったので、私よりずっと海外における危険について考えていて、周囲の状況を気にしていたそうで、彼らが、私たちのことを話している会話が聞こえて身の危険を察知したのだそう。こういうこともあるので、1人だと安心してゆっくりはできない場所もあると思います。そんな生粋の不安症の私がここならきっと大丈夫や!1人旅でもやや安心して楽しめたところをご紹介します。

まずは、昼間のブロードウェイミュージカル!万が一ひったくられることはあっても、誰かに連れ去られる心配はなさそう。みんな、ミュージカルが見たくてそこにいるわけで、劇場に入って席に座れば安心してミュージカルを見られますね!私は、ライオンキングとシカゴをみました!シカゴは、英語が難しすぎてストーリーがわからなかったです。ライオンキングは、すごいな~と。すいません、感想が薄っぺらくて。

でも、本当に声の質が日本人のものとは違うし、迫力がありましたね。ケチな私が、ミュージカルのサントラCD買いましたもん。なので、英語が苦手でも、舞台装置・衣装・演出が豪華なミュージカルを選ぶ、あるいは、すでに知っているストーリーのものを選ぶとより楽しめるのは間違いないです!逆に難しすぎると貴重な時間が無駄になりかねませんので、ご注意を!

続いて、紹介するのは、ニューヨークパブリックライブラリー!私偶然ここに辿りついたんですよ。なんだか疲れてしまって、ここは美術館?博物館?とにかくここに入って休もうと近づいてみると、図書館だそうで・・。ま、いいや、図書館ね、と入ったら、目が覚めました!なに?!これが、図書館なの?!日本の図書館と全然違う・・・カルチャーショックの雷が頭上に落ちましたね。

ハリーポッターの世界、お城の中のような重厚感。素敵でした。街中にあるので、是非休憩に立ち寄られるのもいいのかなと思います。続いて、ニューヨーク近代美術館&美術館の外にあるショップ。この、美術館、日本の建築家の谷口氏が設計しているんです。で、しかも!この美術館にそっくりの美術館が日本の香川県にあるんですよ~。私その美術館に行ったことがあったので、ニューヨーク近代美術館に行ったとき、なんだか奇妙な既視感があって、不思議だな~って思ってたんです。

ひろびろとした美術館の作品は、ひとっつも覚えてないのですが、(やたらキスしているカップルが多く、人前でキスをする文化になれない私は落ち着かなかったのです。)すごく不思議な体験をし、後でそことそっくりな美術館のことを思い出し、すごい自分だけの素敵な体験をした気持ちになりました。

また、それが日本人による設計としり、日本人があんなにメジャーな建物を設計しているなんて、関係ないのになぜか誇らしい気持ちになりました。それはそうと、多くの人と同じく私も、現代美術はよくわからないので、雰囲気だけ心に持ち帰って、さっさと美術館は出たのですが、何か物足らない気持ちで、外にある美術館のショップに立ち寄りました。

現代美術作品に縁のない私には、すべてが斬新なグッツで、わくわくしました。なんとも言えないきれいなピンクのデジカメサイズのショルダーバックを迷わず購入しました。これがすごくいい買い物でその後めちゃくちゃ役に立ち、みんなにかわいいねと褒められました。

N.Y.には本当にいろんな楽しみかたがあり、感じること、発見することも人それぞれ、多種多様にあります。お買いものだって、安くてかわいいものもあったし、日本よりファッションの流行が先を行っているみたいで、次に日本で流行るファッションを見たこともありました。人に伝えきれないたくさんのドキドキわくわくを一言でいうと、N.Y.は刺激溢れるところだったよ~ということになります。

楽しみ方もアクティビティも色々ありますよね。今、私がN.Y.でしたいことは、日本のお店めぐり。同じお店でも出店国が違うとどう変わるか、そういうところを探ってみたいです。なぜそう思ったかというと、N.Y.のユニクロには行ったことがあって、同じユニクロなのに、全然違ったブランドに見えたんです。そのときは、お洋服が、服の種類ごとではなく色ごとにカテゴライズされてたんです。しかも、その色の種類が半端ない!白、白に近いクリーム色、黄色に近いクリーム色、クリーム色みたいな感じで、色の種類がきれいなグラデーションになってたんですね。マネキンも同系色でまとめるコーディネイトをされていました。色で分類したり、同系色でまとめるって、少なくともそのころは、非常にアメリカ的だったので、私としては、もう何をどう選べばいいのかわからないし、同系色単一コーディネイトなんて、日本ではありえないわと、そういうところに面白さを感じました。

こういう楽しみ方もあり?!かもしれません。・・・・今、急に思い出しました!夜は危ないから昼間に楽しんでくださいという方向でおすすめを紹介してきましたが、やっぱり、夜も楽しい!夜だから素敵な場所もありますよね!それがN.Y.ですよ!!大事なことを忘れていました。タイムズスクエアのネオンはカッコいいし、なにより、街自体が光でキラキラしてますもんね。ライブやコンサートはやっぱり夜だし。

やはり、ここはツアーに参加し、街歩きし、タクシーでライブに!夜も安全に楽しんでほしいです!私は、あまり夜に出歩かないのですが、友人が一緒のときにライブに行ったり、夜景を見に行きました。

年越しカウントダウンにも参加しました。そんな中、夜の観光では、エンパイヤステートビルディング展望台からのN.Y.の夜景が一番心に残っています。死ぬまでにもう一度見たいと思っています。

東京の夜景とは全然違いました。私の中で、東京は完敗です。さて、長くなりましたが、最後に、私の本当に行ってほしい、マストプレイスを紹介させて下さい(笑)え!なぜ今さらにN.Y.おすすめの場所に話戻すの!次、サンフランシスコでしょ!と思いましたか?そんなあなたは、私の話についてきてくれているということです。ありがとうございます。

ちょっと一般的には、マニアックな場所かなと思い最後に持ってくることにしたのです。それは、国際連合本部ツアーと国連グッツショップでのお買い物です!

大学時代国際関係を勉強していた私にとっては、憧れの場所であり、とても重要に感じた場所で外せないところでした。では、みなさま、ついてきてくださいね。国連本部は世界に1つだけ。世界中のことを扱うのに、国連はアメリカにあり、しかも、完全にN.Y.の一部と化しています。そこからしてもう違和感がありました。でも、それは行ってみないと感じられないことなんですよね。そういうことは一部分のことで、大きな問題に対しても、国連に対する色々な批判はあるけれど、そういうことを含めてもやっぱり国連ってかっこいいって私は行ってみて再認識しました。

各国の旗がはためき、捻じ曲げられた銃のモニュメントを見ると、なんだか胸が熱くなり、国連だけは、全人類の平和、安全、そして1人1人の基本的人権を守ることを追求する組織であってほしいと1人テンションあがっていました。たぶん、ここまでテンションあがる人は少ないので、おすすめしにくかったのですが、グッツは、結構おしゃれで、多くの人がいいじゃんって思うかなって思っています。

そもそもグッツ売ってるんだっていう驚きがあったことを付け加えておきます。国連のお土産グッツは、かなり私好みで、心を掴まれました。国連でしか買えない記念切手や、国連のロゴが胸に入ったクマのぬいぐるみ(クマの毛並とかわいさのクオリティーが高いの!)、チョコの詰め合わせの箱もシルバーに国連のロゴがどどんとプリントされてて、かっこいいっ!国連グッツは、一生ものですね。

ちなみに、国連といわず、どこでも売っているのが、観光用ポストカードですね。私は、けっこう現地で観光用ポストカードをたくさん購入します。最初は買ってどうするんだ?と思っていたんですけど、良き使い道を見つけたので、ご紹介します。かなり単純なんですけど、ポストカードの裏に日記を書くのです。国連のポストカードに国連訪問で感じたずっと覚えておきたいと思うことを書きとめるようにしています。何年かたつと、すごくいい思い出になりますよ!

さ、ようやくサンフランシスコにいきますよ。サンフランシスコも、楽しい町ですよね!NHKの教育テレビで放送されていた海外ドラマ「フルハウス」の舞台ですよ~。私、大スキだったんです。小さいころから放送終了までずっーと今は亡きおじいちゃんと一緒に見ていて、ほんと、あれが海外、あれが全アメリカ国民の家庭生活だと思っていました。

なので、サンフランシスコは懐かしい町といった印象で、全然怖くなかったです。本当に普通の人がふつうに働く町でふつうに暮らす街で、その暮らしぶりや家々の色や並び、坂道、青い空やさらっとした空気感が魅力的な街でした。

ワシントンD.C.は高いビルがないんですね、(防衛上の理由からだと思うのですが)そしてとっても平たくて、政治家たちの住む町であり、色々な機関の本部もある、そういう世界とのつながりを感じる場所です。

N.Y.は、生粋のエンターテイメント街といった印象。もちろん、ウォールストリート街があるので、金融の中心地で色々な世界的企業が集まる場所でもあると思うのですが、観光客の目線では、やはりエンターテイメントの街だと思うんです。

サンフランシスコは、ほどよく都会で、でも、なんだか気さくさがある、そんな風に感じました。サンフランシスコでは、ゴールデンゲートブリッジで記念撮影、フィッシャーマンズワーフの散策、バレエ鑑賞などをしました。

その中で一番のお勧めは、ケーブルカーに乗ることです!これは、TO DO LISTのトップにきますよ~。そもそもケーブルカーなんて、日本じゃないですもんね。

しかもサンフランシスコは、ものすごい坂なんです。でね、ただ乗るのではなく、ステップのところだったと思うんですけど、そこに立って、手すりにつかまり、身体を外に乗り出して、乗るんです!これこそ、正しい観光客のケーブルカーの乗り方だと自負しております!

風を頬に感じ、ほどよいスリル感です。坂を登るときは、見える景色が狭くなり、重力を感じます。坂を登り切ったそのとき、眼下に広がる広々としたサンフランシスコの通りがなんともいえない爽快感を与えてくれました。運転手のおじさんも、とても親切で丁寧だったんです。

これも他の2都市と比べると驚きでした。終点でお客さんが全員降りたときに、その運転手のおじさんにケーブルカーに乗っている私の撮影をお願いしました。快くとってくださり、めちゃくちゃ思い出深い1枚をゲットすることができたのでした。

こんな素敵な思い出、なかなかないよ!やっぱり、勇気をだして海外に来てよかったなとしみじみ思ったのでした。ここまで振り返って今更ながらサンフランシスコ、サンディエゴ、ラスベガス、ロサンジェルスの四都市めぐりでも楽しいな・・いや、そのほうが経済的だし楽しいよとも思います。でも、全然違った魅力のある3都市を巡るのもやっぱり深みのある価値ある経験です。是非お試しあれ。


番外編 : ユースホステル

もし仮にあなたが安く海外旅行をするには、宿泊費を浮かせる必要がありますよね。私もそんな一人でした。私は、ユースホステルのドミトリータイプに泊まることで宿泊費を安く抑えていました。

ユースホステルは、個室があるところもありますが、主に一つの部屋にいくつも二段ベッドがあって、そこに知らない者同士が、それぞれのベッドで寝る、貴重品はロッカーに入れて、シャワートイレは共同、寝る部屋の消灯時間も決まっているといった寮のような宿のことで、ホテルより断然お安く泊まることができます。

歳を重ねるごとに、自由さ、快適さ、安全を求めて普通のホテルに泊まるほうが好きになりましたが、ユースホステルが好きなときもありました。

ユースホステルでは、色々な国からの宿泊客やおおむね現地人であるホステルの従業員たちと交流できる貴重な経験ができます。ぜひ、一度挑戦してみてください!

私のユースホステルデビューは、サンフランシスコのサクラメントのユースホステルでした。お金を安くあげる方法を友人に聞くと、ユースホステルに泊まることを提案してもらいました。ユースホステルって何?状態だったので、正直怖かったし不安でした。

ドミトリータイプで泊まったのですが、まったく勝手がわからず、ドキドキしていたのを覚えています。

ホステルに着いてから寝るまでが非常に長い挑戦の連続でした。

たまたま、私が泊まったサクラメントにあるユースホステルは、スタッフも宿泊客も親切で、外国人の私に聞いてもいないのに色々とロッカーの使い方やシャワーの利用の仕方まで笑顔で教えてくれ、快適に過ごすことができました。自信をつけた私は、その後色々なユースホステルに泊まることになるのですが、良いことも嫌なことも両方経験しました。

良いこととしては、色々な国から私のように1人で海外旅行をしている旅行者と出会えること、本当にたまに、気の合う人に出会い、ホステル内で一緒にご飯を食べたり、話が盛り上がることもありました。また、ホステルには、観光情報やツアー情報も用意されていて、同じツアーに申し込んだ人たちと仲良くなれることもあります。そのほかに、ホステルでは、キッチンや調理器具・冷蔵庫も使えるので、現地のスーパーで買い物をし、自炊することもできます。食のバリエーションが増えるし、節約にもなります。

嫌な経験もたまにはします。せっかくホステルにきているのに、誰とも話をしなかったときとか。アジア人1人で浮いてるときとか。スタッフの対応が鬼対応だったときとか。ナンパ目的の男に言い寄られたりとか。私のであったうざい男は、純粋な旅行者ではなく、バイトのために観光地にいて、宿泊費を抑えるため、長期でホステルに泊まっている人でした。

なので、ホステルを選ぶときは、慎重に純粋に観光客が使っている、観光のための宿を口コミ評価などで吟味して探すことをお勧めします。個人的には、メジャーな観光地の観光地から近いホステルがいいのかなと思います。そういうところは、人気なので早めに予約しとく必要がありますね。何事も用意周到でいきましょう!



私の海外旅行記with友人
これぞ海外女子旅じゃないですか!!プエルトリコ編

何を思ったのか、プエルトリコに女子旅することになりました。そのころ、私は、アメリカの大学に通っていました。春休みになる2週間ほど前。テストやレポートのストレスに耐えきれず、よし!やること全部終わらせたら、旅に出よう!そのために頑張ろうと心に決めたのです。

行き先は、さくっと決まりました。周りの人があまり行っていないころで、アメリカとは違う文化があり、泳げるビーチと探検できる自然あふれる場所があるところという割と厳しい条件でネットサーフィンしているうちに、すんなりプエルトリコに行きついたのです。

今思えば友人のルームメイトがプエルトリコ人だったことから、プエルトリコってどこ?何ができるのだろう?とネットで調べるうちに、絶対ここに行こう!ここしかない!という感じで、プエルトリコ行きが決まった気がします。

行き先が決まったので、次は一緒に行ってくれる人を探しました。きっとプエルトリコには、誰か気のおける友人といったほうが楽しいぞと思ってのことでした。決まるときはすんなり決まるものですね。

自然とは無縁の都会派女子のベストフレンドが即決で一緒に来てくれることになりました。航空券と宿をとって、アクティビティツアーへ申し込み!巨大な洞くつ探検ツアーに申し込みました。このツアーへの参加が私にとっては一番の楽しみでした。あとは、適当にのんびり過ごせたらいいなという感じで、いざ出発!

プエルトリコはアメリカの一部なんですが、位置的にはカリブの島で、スペイン統治時代の影響が残る島なのだそう。何もかもはじめてでわくわくしちゃう!

プエルトリコへは、ワシントンD.C.発N.Y.乗継で、数時間で行けました。機内では、充実の読書タイム。乗り物に酔いやすく、飛行機でも気分が悪くなるので、それまで本を読んだことはなかったのですが、旅をしているとある程度は、身体が慣れてくるものみたいです。加えて、今回は、友人と一緒なので、リラックスして、純粋に楽しみでわくわくする気持ちだったのがよかったのかもしれません。友人が気持ちよさそうに寝ている傍らで私は、猛然と春休み開けに提出予定のレポートのための課題図書を読んでいました。

気が付けばもう着陸準備を促すシートベルト着用サインが点灯しました。いよいよプエルトリコに着陸です。

着陸とともに私の春休みが始まるんだわとさらにテンションが上がってゆきます。

窓を覗くときらめく海面が見えます。これがカリブ海の色なのね。そして、いきなり陸がどんっと視界に現れました。リアルジオロマに心を奪われます。

下降するにつれ、なんだろうと思っていた小さな物体の集まりでできた陸地が離陸に従い大きく形をなしていき、一気に何かわかる物に変わる感覚。

それは、ほんの数秒の出来事。

でもその短い間に、一気に空のものから陸地の一部になり、運命共同体である飛行機の乗客の一員から個々の人へ変化していく、そんな非日常の感覚を否応なく感じ、不安にもなります。ここからは、自分で安全確保しないとなって。でも、今回は一人じゃないので、ただただ感動し、胸がわくわく、心の中は楽しい嬉しい気持ちでいっぱいでした。1人じゃないって素敵だ!

離陸後は、人の波に押しやられて、空港内の荷物が出てくるレーンへ向かいます。空港は想像より広く、きれいでカラフルでした。まだ空港の中なのに、もう、匂いが空気がアメリカ本土とは違いました。ここは、南の島だ!というほどよく湿気のあるさらっとした暖かい感じ。自然と笑みがこぼれ、心が軽くなります。

なんだか、いい旅になりそう!まずは、ホテルに。ホテルは、メインの観光地オールドサンファンから少し離れたところにありました。いつもは、観光地にできるだけ近いところに泊まるようにしているけど、今回は、ちょっと離れてても大丈夫!なんたって2人旅!割り勘できるので、いつもなら手が出しにくいタクシーで移動できるんです!ということで、いったんホテルで一眠りしてコーヒー飲んで、夕方から、観光に出発しました!

調べたところオールドサンファンには、観光スポットを無料で巡回している観光用バスがあるそう。早速、最寄のバス停。すぐにオープンバスがやってきました。バスは道すがらお客さんをどんどん拾っていきます。道路は狭く、人ごみで混雑していました。歩いたほうが早いのではというのろのろスピードで狭い道を進んでいきます。このあたりは、南の島ではなく、リゾートアイランドなんだなと感じました。

中心部から海岸側に進むにつれ、道幅も広くなり、いよいよ南の島感がでてきました。海岸風がとても気持ちがいい。暖かくやさしい日差しは、春の夕暮れならでしょうか。このままずっとこの時間を楽しみたいな~。といってもやはり観光地。すぐに右手に観光スポット、サン・クリストバルル要塞が。ここで降りてみます。夕方に閉まるそうで、見学時間は、あと30分ほどしかありませんが、さほど広くないので行ってみることに~。とにかく時間がないので、露骨にウロウロキョロキョロします。考えてみれば初要塞体験です。ラピュタの世界だな~。上にも登れるのか。登ってみると、意外に高い。テンションが上がって友達と話しながら歩いていると、足を踏み外しそうになりました。足を踏み下す一歩手前で、地面がないことに気づき、瞬間的に足を移動させ、踏み外さずにとどまれました。めちゃくちゃ怖かったです。もしあのとき気づかなければ、ビルの2階くらいの高さから石づくりの広間に落ちて、確実に大惨事になっていたでしょう。

怖すぎる。よく見ると目立たないところに注意マークがあります。ううう・・・気づかなかった。とにかく何もなくてよかったです。ほんとバカな子!と反省しました。ね・・旅は危険でいっぱいです。

生きている幸せをかみしめたところで、もう閉館時間。次は、徒歩でエル・モロ要塞に行ってみました。エル・モロ要塞はしまっていたのですが、友人との海岸線散歩は、とても楽しかったです。

エル・モロ要塞の前には広い芝生の丘があって、ちらほらとくつろいでいる人たちがみえました。海岸沿いを歩いていると、なんだか見たことのない彫刻や建物が固まっている場所を見つけました。大西洋を背になんとも美しい佇まい。それらが何かを気にすることなく、写真を撮っていると、友人が、「あれ、墓地やで。絶対墓地やで。」と。「え~!そうなん!こ、これが墓地!!!めっちゃ写真撮ってしまったよ・・・」と私。

墓地って、地域によってこんなに雰囲気違うんですね。驚きました。たしかに、アーリントンのお墓も整然としててかっこよかったし、墓地にもお国柄がでるんでしょう。また新たな発見でした。そうこうしているうちに、日も落ちだしたので、市街地に戻ることに。来た道をUターンし、道すがらふと後ろを振り返ると、そこには来たときとは全く違う世界が広がっていました。

太陽が沈みだし、黄金に輝く丘。丘の向こうには、散歩道が。散歩している人たちやジョギングしている人たちのシルエットが、逆光で黒く映し出されます。まるで映画のワンシーンのような景色でした。さて、賑やかな市街地に戻り、晩御飯を食べました。小さなお店が多く、なかなかこれは食べてみたいというお店で、席が空いているお店が見つからず。

結局、何食べたか覚えていないくらい適当にご飯を済ませました。翌朝はホテルで軽食。本当に軽食で、私たちが早起きなのか他にお客さんもおらず、私たち以外のテーブルは、まだ準備もされていなく、椅子がテーブルの上にのったままでした。

貧乏感あふれる朝食でしたが、お店を探さなくてよいというだけでなんと楽ちんなことか!この日は、事前に予約した洞くつツアーに丸1日費やす予定でした。しかし、ツアー会社から連絡があって、気象条件が洞くつツアーに適さず、私の希望するツアーは、催行できず、それはどのツアー会社でも同じですと言われてしまいました。

本格的な探検ツアーだったので、気象条件があわないと危険なんだそう。かなりがっかりしましたが、他に参加できるツアーを教えてもらいました。はるばるこんな遠くまできた日本人の私たち。ここでしかできない体験をせねば!という強い心意気がありました。そこで、定番ツアーらしいユルユンケ・カリブ国立森林公園、熱帯雨林をめぐる半日ツアーに参加しました。

ハイキングコースです。最初の探検とは大違いだけど、これはこれで楽しかったです。右も左も緑。不思議な形の木の根っこや、かわいい苔。巨大な葉っぱが落ちていたり。頭上の空は狭くて、緑たちに囲まれています。あたりには、湿気た空気が漂い、マイナスイオンに包まれている感じでした。

最終的に滝つぼに到着しました。滝つぼといっても、修行するようなところではなく、楽園のようなところで。暖かい日差しの中、ゆるやかに落ちてくる滝。その下には、自然のプールができていて、観光客が水着で涼をとっています。私たちは、滝つぼの横を通っている簡易な橋を通って、滝つぼプールの端まで降りていきました。

一緒にきたツアー客もみんな服を脱ぎ、水着になって滝つぼプールへ。私は、水着は持ってたのですが、着替えるところがなく、入れませんでした。「あぁ、何故私は水着を装着してこなかったんだろう・・・それはね、誰もこんな場所があるって教えてくれなかったからよ。」私も滝つぼプールに入ってみたかったよ~!ということで、せっかくの滝つぼでしたが、見てるだけでした。ただ、見てるだけでも水しぶきがすごくて、これはマイナスイオン云々ではなく、自分がどんどん湿っていき、保湿されたなといった感じでした。

帰りにツアーのドライバーに、午後からの半日ツアーにも参加しない?と誘われました。私たちは、このツアーにとても満足していたし、そもそもこの日は、他に予定がなかったので、バイオベイ・ナイトカヤックというものに参加することになりました。

私、ツアーに参加したいという思いはあったのですが、カヤックに乗ることがあんまり好きじゃないので、1人だったら、行かなかったかもしれません。このときは、友人がすごく興味ありそうな表情をしていたので、私も参加することにしたんです。これが大正解でした!

カヤックに乗っての出発は、日が落ちた夜でした。マングローブをカヤックで移動と聞いていたのですが、出発地は、普通の漁村の海のコンクリートの岬からでした。大勢ツアー参加客が各地から集まっていました。

正直、このツアーのことやバイオベイ、マングローブがあることもノーマークだったので、人気ツアーなのかな~?といった感じであまり期待してませんでした。スタッフの方と私たち2人の3人で1つのカヤックを操縦します。

観光客だけでカヤックに乗っていた人たちもいましたが、私たちは2人だけで漕ぐ自信もなかったし、そもそも、強制的にスタッフ同伴でと言われました。といってもスタッフさんの邪魔にならないよう、テンポを合わせて一生懸命漕ぎました。

カヤックにのって少し漕ぐと進路の先にこんもりした漆黒の森が見えてきました。「見えてきたぞ。あれが、マングローブだ。」とスタッフさん。まるで、ディズニーランドのアトラクションのようでした。

けっこう暗い中、一列に並んだカヤックたちがマングローブの森の中に侵入していきます。入ると薄明るくなり、上下左右に広がるマングローブを見ることができます。マングローブは浮草なのか?よくわからないけれど、すごいものを見ている感じがしました。

マングローブの森を抜けると海にもどりました。遠くのほうで街の光も小さく見えます。広い湖のように穏やかな海でした。ここにきて何をするんだろう?一列に並んだカヤック隊。私たちの乗ったカヤックのスタッフのおじさんが「みんな、見てろよ」とある場所へ移動していきます。

すると、オールが青く光りだしました!みんなから、歓声があがります。私は、バイオベイのことを全く知らなかったので、あまりの衝撃に頭がついていきませんでした。「何?何ナノ?」と私。「さぁ・・・なんだろうね・・」と友人。

他のカヤック隊のみんなも私たちのいる場所へきました。そしておじさんの説明が始まりました。どうやら、この海には特殊なプランクトンがいて、物体と接触すると発光するのだそう。なるほど、みんなのカヤックと海面が接触したところも動くと光り、しばらくすると光りは消えています。「手を入れてみて」と言われ、みんなが一斉に手を海中にいれました。

光っています!神秘的な青い光。蛍光色といっていいのでしょうか?見たことのない輝き。青色発光ダイオードのようにはっきりした色彩ですが、もっとずっと柔らかく宝石のような煌めく輝きでした。

「だれか、海に飛び込んでみないか?」とおじさん。迷わず飛び込んだ人がいました。

それが私。「え!飛び込んでいいんですか!」と心の中でいうか言わないか、気づけば、そっと海の中に下半身をつけ、仰向け大の字で空を見上げていました。大歓声が聞こえる・・・・。

何が起こったのか私にはわからなかったのですが、みなさん、シャッター切って、私を撮っています。・・・な・ぜ??

何故みんなは海に入らないのか?後で友人に聞いたのですが、私の身体の形が青白く光り、すごかったのだそう。カメラ持ってきてたら、写真撮れたのにな~と。私も見たかった!!そんなすごい光景だったの?!すっごく残念よ~。

でも、みんなが喜んでくれたからよかったよね、と自分に言い聞かせました。私たちは、これから何が起こるかよく把握してなく、カメラを置いてきていたので、手元に残った写真は、おじさんとカヤックに乗っているツアー会社が販売している記念写真のみ。

全然光ってないです。普通の記念写真です。でも、それしか記念に残るものがないので、私たちはそれぞれ購入したのでした。

この旅レポを書くとき、改めてバイオベイについて調べたところすごいことが判明しました。海中の微生物が光るところが見れるのは、世界中に5か所しかなく、そのうち3か所がプエルトリコなんだそう。

やばい!私、すごいもの見ちゃってたんだ!すごいな~と。

旅行ってすごい巡り合わせですよね。ほんと、何に出会うかわかりませんね。ちなみに、午前のツアーと夕方のツアーの間の空き時間、なんと私は、どこのビーチだったかわすれたのですが、ビーチにいきました。

友達は、日焼けが嫌だそうで、浜辺で日傘を差し、泳いでいる私を見守っています。私は、とりあえず泳いでプエルトリコの海を感じます。とりあえず、これで滝つぼプールのリベンジはした気になりました。

リアルヤシの木の下で写真も撮ってもらいます。うん、満足!とりあえずビーチで泳いだし!30分位で私も泳ぐのをやめ、2人で海を眺めました。あまり人がいないビーチでしたが、老夫婦が日向ぼっこしてたり、子供が遊んでいたりする場所もありました。かなり行き当たりばったりだったのですが、すごく充実した1日でした!

さて、翌日は、1日市街地観光に当てました。前日は自然にあふれた1日でしたが、今日は、また全然違うプエルトリコの魅力を感じた日になりました。この日は、朝ホテルで食事を済まし、食事の後は、ホテルの周辺を散策してみることに。近くに海があり、遊泳している人たちを発見!ここって泳げるんだ、知らなかった。私の感覚では、泳げる海ではありませんでした。波が激しくて、高い感じ。浜辺に打ちつける波も白い泡で、激しいのに・・・。

昨日ビーチ行ったのに、よせばいいのに・・・私ってやつは、よし、時間もあるし、ホテルからも近いので、ちょっと泳いでみることに・・・ホテルに戻り、さくっと着替え、水着の上にTシャツと到着初日に近所のお店で買ったプエルトリコのロゴ入り短パンで浜辺にいきました。

ほんと、一瞬で溺れかけました。怖い、怖すぎるよ~。波が強く高くて、前に進めないの。前に進もうとすると次の波が来て、どば~んと頭上に落ちてくる。否応なく海面に全身が沈み、なんとか海面に呼吸のため、顔を浮上させようとするのだけど、打ち寄せる波の塊が重くて、思うようにあげられない。やっと海面付近、空気がすえると思ったら、次の波の重さで、また下に沈む・・・息、吸えないやん!ということで、死にものぐるいで、浜辺に打ちあがった私。

ほかの遊泳者は、かなり沖で波にのって身体を上下させつつも、ちゃんと浮かんでいる。彼らは、浮き輪してない?よね。沖にいけば、浮かべるのかもしれない。ただ、私には、沖にいく力はなかったです。

早々と断念し、シャワーを浴びにホテルに戻りました。何事も経験とはいうけれど、命あってよね、今後はより慎重になろうと心に決めました。さて、その後は、気分を新たに市街地観光に戻りました。もやは私たちの移動手段の定番になっている無料観光バスに乗り、エル・モロ要塞に行きました。

こちらの要塞は、前回の要塞よりずっと広かったです。平日の午前中だったからか私たち以外誰もいませんでした。色々なところで撮影大会をしました。大砲のモニュメントでハイ!ポーズからはじまり、自然体な写真も撮りました。さっと撮っただけなんですが、場所の力ですごく絵になる写真が撮れました。

あらかた写真を撮り満足すると、私たちは、しばらくぼーっと要塞と海を眺めていました。強い風が吹いていて、要塞にかかった国旗がピンと張っています。大西洋の波は強く、要塞に打ち付ける波は、白い泡のままずっと残っています。ここが昔は激しい戦闘もしていた要塞だったなんて信じられないほどの心地良い穏やかな時間が流れていました。

ただそこに友人といることがとても幸せでした。

「おなかすいたね・・・」人間は欲深い生き物です。すぐに次の欲求が私たちを突き動かします。「何食べる?」「パエリアが食べたい!・・・でも、あるかな?スペイン領だったしあるよね?」と私。「あるよ!きっと!探してみよう!」と友人。

私たちは、今まで行っていなかったおしゃれな石畳のエリアに行ってみることにしました。もともと石に興味のある私は、つるつるで妙に光っている石畳に魅了され、歩くだけで幸せモードへ。キョロキョロとお店や街並みを観察します。はじめてきた場所なのに、なんだかとても懐かしい。日本からはるか遠いこの場所で、子供のころ、夏になるとよく遊びにいっていた暖かい小さな島の記憶と、中学生のころホームステイしたスペインの海辺の街の記憶を、奇妙な既視感と懐かしさになって思い出しました。

「脳は、決して忘れない、ただ思い出せないだけなんだ」そうテレビで聞いた話思い出します。とはいえ、ここは、元スペイン領プエルトリコ。その街並みは、ヨーロッパと南国を彷彿させます。こじんまりした通りに、緑あふれる小さな公園、石畳の通りに軒を連ねるお店の色鮮やかなこと!黄色、ピンク、コバルトブルー!そのポップなカラフルさに目を奪われます。

よくよく見ると、プーマにバーガーキングの看板が!かわいい!!知っているお店なのに知らないお店みたいで、よけいに魅力的に感じました。もう、おなかがすいて、バーガーキングでもいいかも?!と思っていた矢先、偶然パレリアのお店も発見し、2人で1つのパエリアを注文しました。まだ季節は春になったばかりなのに、ここは、夏休みのようでした。私たち以外にお客さんはおらず、けだるい昼下がりに、冷たい壁に囲まれた店内で、のんびり2人で過ごしました。パエリアは本格的で、忘れられないおいしさでした。

私にとってのパエリアは、生涯、ここで食べた味になるんだろうな~。これ以上贅沢なパレリアはない!そんな気がします。

さて、あっという間に最終日!

朝ごはんは、せっかくだから、ホテルの外で食べてみました。お昼には空港に着いていたいので、残り時間をフル活用しようと、ホテルの朝ごはんの時間より早く活動を開始したのです。まだほとんどのお店が閉まっている中、ぶらぶらとあたりを散策しました。朝食は、開いているお店にぶらりと入って済ませました。そのお店は、カリブのおっちゃんのお店といった感じで、明るい店内にスタイル抜群の水着美女の写真がずらーっと張られています。大丈夫か?!ここ!!と思ったけど、おなかがすいてそれどころじゃな~い!店主のおっちゃんは、聞いてもないのに、「この写真はな~、歴代のミス・プエルトリコなんだで~めっちゃ美人やろ?プエルトリコは美人がおおいんや~俺は、世界一の美人はプエルトリコ人やと思ってる~!!。」と誇らしげでした(笑)

その後、帰り道すがら、開店したばかりの店みせに立ち寄り、速攻でお買い物をし、もう一度観光用バスに乗って街を1周しました。そして、空港へ。2人とも大満足の旅行でした。帰りの飛行機では2人とも爆睡。気づいたら最寄りの空港に着いていました。ちょっと女子旅感ないかもしれませんが、これが私たちにとっては最高の旅だったと思います☆

友人への感謝でいっぱい。こんなに素敵な思い出は1人では作れなかった。友人がいるだけで、世界はこんなにも思いやりと優しさに満ちた場所になるんだって感じました。また、一緒に絶対行きたいです!おばあちゃんになっても一緒にいきたい。そのためにもお仕事頑張ってお金貯めようと思います(笑)。


私の海外旅行記 大学卒業記念旅行 ついに憧れの地イスラエルへ1人旅編

不安症で臆病で、頭の回転も弱い私、これまで頑張って、勇気を出して、色々なところに行ったよね?!すべては、この旅をするためのステップバイステップだったのかもしれない・・・。私至上、最もハードルが高かったイスラエルの旅レポート、はじまるよ~!


さかのぼること、何年も前から、私はイスラエルのことを考えていました。正確にいうとそれがイスラエルという認識はありませんでした。きっと世界地図で見たのでしょうが、

物心がつくまえから、あの5角形の星型に魅了され、青と白のコントラストを愛していました。それがイスラエル国旗とは知らなかったけれど、いつも私の心の隅にそれは大スキな形と色として存在していました。

なので、自分の好きなものがイスラエルの国家だと知らなかった。それを認識したのは恥ずかしい話ですが、おもちゃのイスラエル国旗を見たときです。そのときも私の好きなものだ!という認識で目がいき、あ、そっか。これ国旗だったんだと。いつどこで知ったのか定かではないけど、ずっと昔から、黄金のドームに嘆きの壁、黒い帽子と長い髭の男の人たちのことを知っていました。これもやっぱり、それがイスラエルだという認識はありませんでした。所詮は田舎町のおバカな少女ですから、知らないことばかりで世界はとても遠かった。

だけど、かなり大げさなことですが、私は、およそその当時の平均的な日本人が経験しないであろう言葉も通じない他民族との衝突の中で育ちました。平たく言うと日本語を話そうとしない話す必要もそんなにない出稼ぎ労働者がたくさん住むエリアに生まれました。

小さな田舎町には、見えない壁があって、見えない争いがあって、踏み込んではいけない境界線が子供が感じるくらいには、確かにあったのです。それは、ときに私を脅かし、ときに私の行動を制限しました。どうにか2つのグループが相互に理解し仲良くすめればと子供のころは願ったこともあったけれど、それはとても難しいこと。衝突を起こさず、現状維持を保つことが一番の平和だと思うようになりました。

この体験が元で、私は世界の紛争に興味を持ち、国際関係学という学問を大学で専攻したのです。そして、イスラエルという国に興味をもっていったのでした。その後、アメリカに行き、日本でいるときよりもイスラエルが身近になりました。

だけど、私は日本人だから、立ち入ってはいけない世界だと感じていました。そういう薄暗い閉塞感を感じていました。イスラエルは、ユダヤ人のための国家で、どんなにユダヤ教を信仰しようと、母親がユダヤ人でなければユダヤ教徒にはなれない・・とか、ユダヤ教徒同士で結婚するのが奨励されていたりとか・・・日本人の価値観の私、しかも私は少しキリスト教よりの考え(単純に、入りたいって人は血に関係なく、みんな入れてあげる、だとか、人への施しは、自分のためになるという考えとか、そういう考えです。)を持っているので、どうしても、ユダヤ教の人が自分たちは可哀想な集団で自分を強く強く守らねば!自分たちしか信じるものはない!自分たちは特別な運命を背負っているんだ感を出すと、わかったようなわからないような気持ちになり、キーっ!!となってしまって・・・

そのイスラエルがまとう孤立感や色々な意味での狭さになんともいえない複雑な感情を抱くようになっていきました。だけど、それでもイスラエルに行ってみたいと思いました。

私の気持ちを勇気づけたのは、何年も前に会った1人のアラブ人と出会いでした。出会いといっても、あっさりしたもので、その人は、大勢の人にパレスチナで起こっていることを知ってほしいと紛争解決センターみたいなところから日本に来ていた人でした。パレスチナ自治区の公務員だそうで・・・。

私も英語はそんなにわからないし、その人もそんなに英語が上手ではなく・・・私以外他の参加者は、別の国の人のところへ流れていきました。私は、興味もあったから、最後まで聞きました。その人はとても熱心に私に色々話してくれているのだけど、言っている意味がわからず、困ってしまって、素直にそう話しました。「私に話しても意味ないんじゃない?私、英語わからないよ!何いっているのかわからないよ!」って。その人は、「気持ちを伝えているから、言葉がわからなくてもいいんだ。自分がどれだけ他の人にここで起こっていることを知ってほしいかそういう気持ちを伝えたいんだ。」そう言っていました。「日本人の私が知ったところで・・」と話したら、「1人でも多くの人、遠い遠い世界に住んでいる人だからこそ知ってほしいんだ」とそれはそれは熱く語ってくれました。その記憶が、やっぱり、人生で1度は、イスラエルに行ったほうがいいんじゃないかと思い、私を突き動かしたのでした。

イスラエルには、日本から直行便がないので、フランスのシャルルドゴール空港を経由して行きました。もう、大変遠かった!トランジットで7時間シャルルドゴール空港で足止めですよ~。

しかも、ほぼ夜の時間帯で、どこにもいけず、空港のベンチで日本から持ってきた勇気の出る本を読んで待っていました。変な目でじろじろ見るおじさんがいて、おじさん、座る席を徐々に私に近いところに移動させてきたんですよ~。怖いじゃないですか?

だから、私も徐々に彼から遠ざかるように席を移動していきました・・・笑。はぁ~。ここから、戦いは始まっているのね。女子の1人旅は大変です。

しかし、こういうことは、もはや予測済み・・・。寂しさと不安をうちけすため、大好きなシリーズの新作文庫版をもってきていたのです!あっという間に読んでしまったけど、そのころにはお店もちらほら開いてきて、どうにか無事、7時間を過ごすことができました。

イスラエル最初の目的地は、エルサレムの旧市街地でした。だけど、一番不安な場所でもありました。事前に旧市街地内の宿をネットで予約しておいたので、空港から直接宿へ向かいます。

たまたま飛行機で横にのっていたパリジェンヌに安くいける乗り合いバスを教えてもらっていたので、そちらに乗ることにしました。

もうあたりは、日が暮れ始めていて、しかも・・・なんと金曜日に到着してしまったのです。金曜日は、ユダヤ教のお祈りの日で、お店や公共施設が閉まります。日程的に最悪。だけど、晴れていただけましとしましょう!乗り合いバスには、若い男性や老夫婦が私のほかに乗っていました。

だけど、旧市街地に向かうのは私だけで・・・それだけでもう心配でした。

やっと着いたよ、イスラエルというより、無事に宿につけるかなということが心配でいてもたってもいられませんでした。それでも、乗り合いバスの中から見た外の景色には、心揺るがすものがありました。

地形が全然違う。意味不明の感想ですが、そう思いました。

水平線がでこぼこしてる?!こんなにでこぼこしているラインは、みたことがないぞと思いました。旧市街地は、古くからの城壁で囲まれていて、バスは、中に入れません。私は、一番宿に近いダマスカス門のところでおり、とりあえず門をくぐり、宿を探すことに。あたりは、人!人!人!黒服黒帽子に長い髭の正統派ユダヤ人の男性たちが列をなして足早にどこかへ向かっています。よく見るとイスラエル軍の兵士たちも銃を抱えて列の横に並んでいます。あぁ・・・よりによって、なぜこんな日に旧市街地にきてしまったんだと後悔・・。

金曜は礼拝の日だから、ユダヤ人たちが旧市街地にある祈りの場所へ集結しているところだったのです。旧市街地には、アラブ人がたくさん住んでいて、昔から争いがあるので、混乱を防止するため兵士が配備されていたのでした。この人の波で私はパニック。

どちらへ進んでよいのやら・・・野菜屋のおじさんにホテルに行く道順を聞きました。おじさんは、めっちゃ嫌そうでした。「この黒い人だかりについていけ!後は、兵士に聞けばいいだろ!なぜ俺に聞くんだ!イスラエル兵に聞くほうが安全だぞ!」とのこと。「え~、そうなの?兵士のほうが安全?」私にとっては、銃をもって睨みをきかせている兵士たちより、野菜を売ってるおっちゃんのほうが安全に感じたのですが、それは間違いだったのでしょうか?

でも、それで私はスイッチが入り、自力で地図を見ていくことに。そうして、道すがら、おばちゃんたちにこの道であってるよね?と確認し、目的地周辺へ。しかしそこには、何もなかったのです。どこ?ホテル?困っていると、隣のお店のおっちゃんが「大丈夫?」と声かけてくれたので、「このホテルってどこ?」と聞きました。すると、「ここだよ~」と、ドアを指さします。「えっ!これドア?入れるの?」「呼び鈴を鳴らせば入れるよ~」と、私のかわりに呼び鈴を鳴らしてくれました。

私のホテルのイメージとは全然違っていて、だけど、中東のスーク内にあるホテルはこういうものなんだけど、当時は全然知らなかったから、すごく驚きました。

一体どんな古びたホテルなのよとドアを見て不安に思いましたが、中は、広々として清潔感溢れていました。

イメージとしては、銭湯。狭い入口を入ると左手に、ホテルのオーナーがいて、1階には、吹き抜けのくつろげるスペースがあり、螺旋階段を上ると2・3階には部屋がたくさんありました。

床は、赤い絨毯で、建築も調度品もアラブっぽいかんじ。アラブ人夫妻が経営しているホテルでした。私の泊まった部屋は、ドミトリータイプなんですが、私以外お客さんゼロ。

逆にそれが怖かった。電気をつけっぱなしにしないでね!と言われていたけど、つけっぱなしで寝ました。

とにかく、何かにつけ不安でした。

定期的にコーランが聞こえてくるんですが、それがまた、異世界の声のようで、怖かったです。さぁ、怖い怖いと言いつつも、せっかく来たんだから楽しまなくっちゃ!朝日が昇ったら出発よ!と気合を入れて、朝食へ向かいました。

朝食は、ホテルが用意してくれるバイキングで、最上階の部屋かそこから続く屋上テラスでいただけます。屋上からの見晴しが最高で、ここに泊まってほんとよかった~!朝食も、全く期待していなかったのですが、めちゃくちゃおいしかったです!きゅうり・ゆで卵・トマト・ピタパン・ピタパンにつけるソース?にオレンジ、ヨーグルト、あっさりした朝食ですが、こういう朝食が好きだったので、私は大満足です。

前日は誰とも会わず、他に宿泊客いるのかな?って思っていたけど、朝食では数人の宿泊客を見かけ、ほっと安心しました。この宿では、結局5泊して、その間にドイツ人のグループ、シンガポールのグループ、そして日本の方に出会いました!この日本の方というのが、若くして世界各国を巡っていて、有名な世界の山にも登っていて、スケールの違う人でした。カッコいい!こういう人もたくさんいるんだなぁ、ただただすごいな~と思うのでした。

エルサレムの毎日は、孤独と不安とドキドキでいっぱいでした。日本人どころか、アジア人もいません。ホテルで出会った日本人は、ちょっとエルサレムに寄り道しただけで、すぐにエジプトへ旅立っていくそうです。

なかなかエルサレムに長いする日本人はいないんだろうな~と後になって気づきました。この5日間あまり、想像以上に嫌な思いや怖い思いもしたし、自己嫌悪に陥ることもありました。常にジロジロ見られ、声をかけられるので、ダッシュして逃げたり、NO!!!!を連発したり・・・それでも巧みな声かけに反応してしまい、危うく危機一髪という目にもあいました。

もう、1人は嫌だ・・・誰か・・・と思ったこともたくさんあります。だけど、それでもここに旅行者と来た以上、私は1人で自分の出来る限り楽しもうと努力することにしました。

そんな中で、私のお勧めの観光地を紹介していこうかなと思います。そもそもエルサレム旧市街地が観光名所ですね。新市街地に泊まって、旧市街地に観光に来るのが一般的な気がします。私は、旧市街地に興味のあるものがたくさんあったので、旧市街地に宿を取り、行きたいところにいっては宿に戻って休むというなんとものんびりとした観光計画で挑んでいました。

本当は時間的にもっとがんがん色んなところに行けそうでしたが、女子1人は危ないという判断に至り、あまり1人で迷路のような旧市街地を縦横無尽に歩きまわる気になれませんでした。

それでも、行きたかった場所でゆっくり時間を過ごせたので大満足でした。行ってよかったなと思う場所を紹介します。観光センター!私は地図が大好きなので、観光センターでもらったわかりやすい地図がお気に入りで、使う用とお土産用に持って帰りました。また、ここで無料のツアーの話をしり、参加しました。ガイドのお兄さんが日本に住んでいたことがあるそうで、親日家。わかりやすい英語で色々なエルサレムネタを教えてくれました。このツアーでは、旧市街地の名所をまわります。一つ一つの建物を訪ねるのではなく、お散歩といった感じ。だけど、そこはエルサレム!この小さな地域にものすごい歴史が詰まっています。この小さな区域に様々な人が人種ごとに住み分けられていて、区域ごとに雰囲気が全然違うのです。歩くだけで発見の連続でした。

途中、ヴィア・ドロローサといって、十字架に打ち付けられたイエスが歩いた道があり、キリスト教徒の観光客が黒い服を着て、十字架を手に握りしめ、イエスが歩いた道を祈りをこめてあるいている一団に出会いました。エルサレムにいる間は、イスラエルに来ているのだという感覚が全然しませんでした。そこにいるのは、ほとんどが商売人のイスラム教を信じるアラブ人の人たちや観光客のキリスト教徒。聞こえてくるのは、コーランのお祈り、目に入るランドマークは、聖墳墓教会(キリスト教)、神殿の丘(イスラム教)、聖墳墓教会では、一筋縄ではいかないキリスト教の複雑さを目の当たりにします。

聖墳墓教会の内部は、区画ごとにキリスト教の宗派が違っていて、同じキリスト教でも宗派ごとに争っているのだそうです。聖墳墓教会では、頭をこすりつけて祈っている欧米人をたくさん見ました。無料の市街地巡りツアーのガイドさんによると、聖墳墓教会は、宗派ごとの対立が激しく、教会を開け閉めする鍵は、喧嘩を防ぐため、イスラム教のユダヤ人が代々持っているのだそう。え~!そうなん!すごい・・・不思議。キリスト教とイスラム教が争っているんじゃなかったのか・・またそれとは違う次元で争いがあるのだなと・・。複雑でどうしようもなくて非常に愚かしく滑稽で、だけどやめられない人間の性を垣間見た気がしました。

ここはエルサレムであって、イスラエルではないのだ、そうだったのだ。だけど、イスラエルの戦略にまんまとのっかり、イスラエルの首都はエルサレムだから、エルサレムはイスラエルでしょ!と思い込んでいた自分に気づきました。

私のようにエルサレムの成り立ちや、ユダヤとエルサレムの関係が知りたくなったとき、行ってみてください。そう、ダビデの塔へ!

ダビデの塔では、かなり詳細にがっつり、しかもわかりやすくエルサレムの歴史について勉強できます。とくに、エルサレムの血なまぐさい争いの歴史を短編映像で勉強できるミニシアターが、わかりやすかったです。ちなみに、ダビデは、ユダヤ国家イスラエルの2代目王でエルサレムを首都にした人です。そのときのユダヤ人たちもエジプトから奴隷生活をへて、今のエルサレムと呼ばれる土地へ戻ってきていた人たちで、これをもって今のイスラエルは、エルサレムは、ユダヤ人のものといっているらしいです。だけど、エルサレムは昔から色々な民族がとっては、とられ、とられてはとってというそういう土地柄のようで、単純にユダヤ人とパレスチナ人と呼ばれるユダヤ人の争いだけの土地ではないんだなということをはじめて知りました。わりと勉強したつもりだったのに、全然しらないおバカな自分に気づけてよかったです。

だけど、それにしても、あの有名な嘆きの壁はどこにあるの?そして、なぜユダヤ人は壁で嘆くのだろうか・・?それもツアーガイドのお兄さんが教えてくれました。

簡単にいうと、嘆きの壁は、イスラエルの聖なる神殿があった一部で、神殿のほとんどは、壊されていて、今の岩のドームの下の部分にあたるそう。でも岩のドームにはイスラム教しか入れない。だから、神殿の一部分、唯一残った壁がユダヤ教で最も聖なる場所なんだって。

しかも、岩のドームは、イスラム教の聖地のひとつとされているけれど、コーランには、記述が一切ないんだそう。だから、ユダヤ人って不憫だねって。そうなんだ!知らなかった!その話を聞いた後、1人で岩のドームと嘆きの壁へ行ってみました。

同じ旧市街地でもまた、私の泊まっているアラブ人地区とは雰囲気が全然違いました。岩のドームは美しかった。嘆きの壁はなんだか異様な雰囲気でした。私も祈ろうと思えば祈れたと思うけど、私は、ただ遠くから祈りを捧げている人たちを見ていました。

岩のドームは、きれいだけど、中に入れるわけではないから、なんとなく、寂しい気持ちになりました。エルサレムは、さみしい場所だなと今振り返ると思います。

でも、単純に岩のドームのリアル黄金には圧倒されましたね。朝日や夕日を浴びて光るのもまたすごかったです。エルサレムに来ていますという感じがすごくしましたね。ということで、旧市街地は、ただ単純に楽しいっていうところではありませんでしたが、是非、日本人の人たちにも進出していただきたい場所ですね。きっと、観光客が増えるともっと安全になっていくと思うし、3つの宗教だけの場所にするのはもったいない!いつかエルサレムが宗教のための場所ではなく歴史的観光資源として世界中の人が訪れる場所になることを祈っています。


その後の足取り

エルサレムから参加したツアー

エルサレムからは、色々なところへツアーが出ていて、私は、マサダと死海にいける1日ツアーに参加しました。

マサダは、ユダヤ民族が籠城して戦ったところで、最終的に自害した要塞で、感想としては、どこにでもこういう場所はあるんだな~と。日本でも太平洋戦争のとき、沖縄でたくさん自害しましたもんね。ユダヤ人と日本人はそいういう面では似ているのかもしれませんね。少数民族ですもんね、お互いに。真面目で勤勉だし。マサダに行って、なんだか、それまで遠い存在だったユダヤ人を身近に感じました。

死海は、言わずと知れた観光スポット。浮遊体験が楽しいので是非行ってください!死海では、運よく1人出張旅行中の女性と出会い、お互い死海の泥(泥パックなんですけど、ふつうに地面から泥をとって身体に塗ります。)を塗りあい、写真を撮りあいました。死海は、年々縮小していると聞いてはいましたが、実際、かなり遠くまで歩いていかないと、身体を沈める水位にたどり着けませんでした。

エイラットへ

エルサレムの次にイスラエル南部のエイラットに行きました。目的は、ずばり、ヨルダンのペトラ遺跡ツアーに参加するためです。だけど、せっかくエイラットにきたから、何があるかわからないけど、とりあえず、4泊もしてしまいました。

しかも、1泊は、ホリデーインで、もう3泊は、ユースホステルです。エイラットは、フロリダのオーランドのようなところで、私的には、ほんっと何もない!

早くテルアヴィブに行きたいな~と毎日思っていました。だけど、ペトラツアーを申し込んだ関係上、移動できず、水族館のようなところや、ショッピングセンターに行っていました。

旅行でこんなに暇でお買いものをぶらぶらするなんてはじめてでした。本屋さんで長居し、ヘブライ語が勉強できる学習書とか買っちゃいました。

日本では教材自体ないので、いつか勉強するようにと。う~ん、今となっては、そのときの私よ、それは無駄な金だ!と叱ってやりたいですが、熱意溢れていたのでしょうね、若いね・・。

他には、ホテルでテレビを見たり、宿泊者から旅の話を聞いたりして過ごしました。テレビは、面白いです。CM一つとっても日本と全然違うから、おもしろくって、写真にとっちゃいますし、宿泊者や宿の人とお話しするのも楽しかったです。特に、ユダヤ人の血を引くフランス人の若い女性とイスラエルとユダヤ人について2時間話をしたり、街歩きをしたのが思い出に残っています。彼女と話していて、日本人は、歴史をかえりみないなと感じました。もっと日本のことを知っている日本人でありたいなと。

そして、やはり私には宗教のことはわからないと感じました。なぜ人は、こうも宗教を信じるのでしょうか?私にはそれがわからない。信じるものはもっと他にあるような気がしてなりません。

宗教は過去の産物で、科学が未来に導いてくれる。なんとなく、そう思った自分がとても日本人らしい気がして、無印良品というブランドがあるように、私の考えもまた一種の宗教なのかもしれません。

エイラット最終日にペツアーに参加しました。感想としては、普通にすごいな、です。よくもまぁこんな砂漠で岩の多いところにこんな大建造物をこんなに精巧に、そして丈夫に作れたものだな~と。いきなり、岩の隙間から現れるので、はじめて見つけた人はどんな衝撃だったんでしょうね・・・。心臓とまっちゃわなかったのかな(笑)インディジョーンズ好きにはたまらないところです、もちろんおすすめです!でも、できれば1人じゃなく誰かと一緒にこの感動を分かち合いたかったです。だから、たくさんたくさん写真を撮りました。他の誰かと少しでもこの素晴らしい眺めを共有できるよう。

テルアヴィブへ

エイラットの次は、テルアヴィブへ向かいます。一番どうでもいいと思っていたのですが、結局、もう1度行きたいのはテルアヴィブですし、快適でイスラエルに来たって感じがしたのもテルアヴィブでした。

イスラエルの都市間交通手段は、エゲットバスという長距離バスを使いました。テルアヴィブでようやく、あぁ来た・・ついに来たぞ、イスラエル!と感じました。街は、ヨーロピアンな感じで、都会。誰も私を見ないし、安全を感じました。

泊まったホテルは、ロケーションも抜群で、最高でした!ホテルのスタッフさんいわく、日本の外務省も御用達だそうです。ホテルに荷物を置いて、早速、行きたかったテルアヴィブ大学のディアスポラ博物館に行きました!テルアヴィブ大学、めちゃくちゃきれい!そこでは、猫を発見し、穴に腕をつっこんでは、嗅いでいました。それは、たぶん水を飲んでいるのだと思うけど、場所が大学だっただけに、地球の温度をその肉球で測る地質調査をしている猫博士にあった気分になりました。

ディアスポラ博物館では、ユダヤ人の歴史を勉強しました。予想外にテンションが上がったのが、歴史、地域別に形の違うシナゴーク(日本でいう神社?キリスト教でいう礼拝堂!)のミニチュアモデル。内部も見れます!かわいい!こんなに時代や地域によって、建築様式が違うとは・・・不思議でした。

神社の鳥居は、昔からあの形でしょ?宗教建築は、ずっと昔から同じ形なのかと思っていたから。だけど、ユダヤ人は、迫害され、色々な国にディアスポラ(離散)して、その地域に合わせながらユダヤ教を守ってきたことを考えると、建造物の大きな違いは当然のことです。

こういう新たな発見が博物館の楽しさですね~。いってよかったなと思いました。夕方は、ホテル周辺のお店をぶらぶら。本屋さんや食料品店でどんなものが売られているのか眺めていました。

夜は、ホテルで全然内容わからないけどヘブライ語でテレビを見ていました。日本のアニメが流れているといううれしい発見もありました。

翌朝は、早起きして、ホテルのめちゃくちゃおいしかった朝食を食べ、隣街ヤッフォに行きました。きれいなところだと聞いていたけど、道をまちがったのか、細い道で人がおらず、怖かったです。

そのうち、朝の体操をおじいさんおばあさんたちがしている広場に着き、ほっと一安心し、ホテルに戻りました。その後、道を迷いながら、イスラエル建国の父、ベングリオンの住んでいた家にいきました。気持ちとしては、ディズニーランドのミッキーの家に行く感じでした。

ベングリオンの住んでいた家では、課外授業で来ていた小学生たちが印象的でした。本当に歴史をしっかり教える国なんだなと感じました。ベングリオンの住んでいた家は、写真や書籍でいっぱいでした。その中に日本人形が飾られていたことが日本人としては嬉しかったです。それから、カルメル市場というお買いものスポットをぶらぶらしてホテルまで戻りました。通りを歩くだけで、おもしろい形の建築物や、デザイン性の高いプレートがいたるところにありました。イスラエルならではのユダヤ教のデザインをコンセプトにしたアクセサリーのお土産さんも印象的でした。高くて買えなかったですが、見るだけで幸せでした。もっとテルアヴィブに滞在したかったな~。実は、この日が最終日で、ホテルに帰って荷物をとって、空港に向かいました。

空港であ~やれやれこれで旅もおしまい、後は家に帰るだけと思っていたら、このあととびきりの体験をしました。けっこうみんなしてるのかもしれませんが、想定外に空港の出国担当者から怪しまれ、出発ギリギリまで、インタビューされていました。

怪しまれたポイントとしては、
①アメリカで住んでいた、
②中東関係を勉強していた、
③日本人である(これは私の勝手な想像だけど、昔赤軍に日本人女性が参加していたから日本人女性のイメージが悪いんだと思う)、
④旧市街地の滞在日数が多い、
⑤旅の日数にしては、荷物が少なすぎる、
⑥仕事がコンピューター関係である。

これらのことから、何らかの計画に携わっているに違いないと怪しまれたのです・・・説明すればするほど、怪しくなってったんです。まず、ここは、怪しまれないよう、しっかり説明せねばと、あまりにしっかりとした英語で話してしまい、そこで疑われてしまったのです。なぜ日本人なのに英語が話せるのかと。失礼な!日本人だって、これくらい話せるわよって言いたかったけど、嘘をつくと後で痛い目をみると何かで読んだことがあったので、①のアメリカで住んでいたからと答えました。

すると、どんどんと質問は続いていき、なぜ旧市街地に宿泊したのかと聞かれたので、②の中東関係を勉強したから旧市街地に興味があってと答え、なぜイスラエルに興味を持ったのかと聞かれたから、①のアメリカに住んでユダヤ人の友人がいたからと答え、仕事はと聞かれたから、⑥と答えていると、どんどん怪しまれ、アメリカでアラブ人と出会い、その人の関係で旧市街地に泊まり、コンピューターと語学のスキルを生かし、悪いことをたくらんでいるのでは?中東関係を勉強したならアラビア語が話せるはずでしょ?荷物が少ないのが、知り合いの家に泊まった証拠で、観光目的ではないので、買い物もしなかったからでは?と・・・。

私は、そういう考えもあるのか~想像力が豊かだなと感心しながらも、飛行機の出発時間が刻一刻と迫っているので、必死の英語で、「いやいやいや、それはない!アラブ人の友人は一人もいないし、ホテルに確認してもらえばわかると思うけど、私は、ずっとホテルで泊まっていた!それに、荷物が少ないのは、私がめちゃくちゃ、スマートに荷物を詰められるから!日本人は、そういう人多いの!それこそが、私が平均的日本人であることの証拠!それに、宿で服あらってもらえるやん?だから、そもそもそんなに着替えいらないし。貧乏だから、買い物するお金なかったの!アラビア語は専攻してなかったから話せないし、コンピューターも日本ではスキルなくても仕事につけるの!」と説明したところ、ようやく理解してくれたようでした。

だけど、せっかく詰めたスーツケースは開けられるし、全身下着になってのチェックは受けるし、最悪でした。

とにかく、忘れ物がないかチェックし、チェックインは係の人にしてもらい、とにかく大急ぎで出発ゲードにいき、ちゃんと出発できました!ただ、その後不思議だったのが、乗継のシャルルドゴール空港に着くと、係の人が私のことを待っていて、時間に余裕がないわけではないのに、僕はあなたが日本にむけて出国することを見届けないといけないので、一緒に行きましょうと言われたのです。

一般の人が通行する場所ではない場所を係員と通り、彼は、無線で別の係員にこの子はイスラエルからで日本に着くようにと連絡していました。どうしてこうなったかわかりませんが、やっぱり、イスラエルに怪しまれたからかな~?と思ったのでした。

フランス人とおぼしき係のお兄さんはとてもチャーミングなイケメンだったけど、私がもうここで大丈夫、ありがとう、1人でいけるといっても、それはダメといって、別の係員に私を引き渡すまで一緒にいました。やはり、見張られていたのかな・・・。これも貴重な体験でした!旅のおもしろ持ちネタとして、親戚には受けてました。ふふふ。

行くべきところへ

以上が私のイスラエルでの経験になります。みんなにおすすめできるかというとちょっと、微妙かも(笑)!私にとってイスラエルが興味のある国だったからすごく意義深い旅だったように、みんなそれぞれ、行くべきところがあるんだと思います。みなさんが、そういう場所に行けますように・・・。少しでも、みなさんに勇気を与えられたらと願っています。


最後に・・・

結局、私は旅をする前と後でそんなに劇的には変わってはいないと思います。

自分再発見とか、そいういうこともないし。だけど、きっと旅したことで、自分の気づかないところで、私の人生は豊かになっているんだと思います。

嫌なことだってたくさんありました。そもそも、外国に身をおくと、多かれ少なかれ誰しもが、未経験のことと対峙することになります。そういうのが苦手な人もいますよね?どうですか?

私は、苦手です。けっこういつも小さな子供に戻った気分になりとても不安です。ドアの鍵の掛け方から、ロッカーの使い方、バスの降り方、料金の支払い方、何からなにまで日本とは違います。

だけど、一度知ってしまうとあとは、へっちゃらになりますよね。子供のようにどんどん吸収して、どんどん自分の見る世界が広がって、新しい自分になっていく感じがします。

全く新しいという意味ではなく、日常で色々なものにがんじがらめになり、身動きが取れなくなっていた、自分を見失っていた状態から、本来の野生の力というか無駄がそぎ落とされた自分になる、だけど、それは、生まれたばかりの赤子のようなやわな自分じゃなくて、色々なことにぶつかり磨かれてきた自分、そんな感じ。

良いことばかりじゃない海外旅行。
だけど、命の終わりに思い出すのは、楽しい記憶だけだと思います。
みなさまの人生の最後に見る走馬灯とよばれる景色がカラフルでポップで笑顔と美しさに満ちた壮大なタペストリーのごときものでありますように!
心から、愛をこめて。



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