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臨床心理学を実践する人が書くnote

「臨床心理士」って知っていますか?

こんにちは。生食です。このnoteでは、臨床心理学を学び、臨床心理士として現場で働く人間が、心に関する様々なことに触れていきます。

この「臨床心理士」、どのようなものかご存知でしょうか?
私も現場に出るまで、あまり出会ったことのない人たちでした。正直なところ、世間一般に、ほとんど知られていないのではないかと思います。

臨床心理士はどこに居る?

この人たちは、医療、教育、地域支援や産業分野など、けっこう色んなところで働いています。たとえば総合病院、クリニック、小学校や中学校、児童相談所、対企業向けのサポートを専門とする会社・・・などなど。
身近なところだと、スクールカウンセラーや、会社でストレスチェックをしに来る心理士がそうだったりするでしょう。

受け身な気がする「心理面接」

私が働いていて思うのは、臨床心理士の主たるフィールドである「心理面接」は、基本的に相談者に「相談の意思があること」「相談場所に行けること」などの条件が整う必要があるために、結果おおむね”受動的”である!(相談室で待っている)ということです。(いや、そのあたりにも大切な理由はあるのですが。)

ですから、特にきっかけがなければ、臨床心理士なんて出会うことのないまま生きていく人も多いでしょう。

でも誰だって、悩んだり、苦しかったりする

どんな時代も、人はそれなりに悩んできたと思います。
現代を生きる私たちは、食べ物は余らせるし、おしゃれな衣服は安価で買えるし、何不自由ない暮らしをしていると捉えることもできるでしょう。流行りのSNSを開けば、美しい景色や絵に描いたような幸せが毎秒飛び込んできます。
でも事実、自ら命を絶つ人の数は減らず、うつ病と診断される人、不登校やひきこもりと呼ばれる人の数はおおむね増加傾向にあります。ここに数えられていなくても、知らず知らずに追い詰められている人も沢山いると思います。
ものが溢れていること、選べること、情報が早くて多いことが、そのまま「心の幸せ」であるとは言い難い現状です。

「病む」のはアウトじゃない。見え、聞こえすぎる現代

現代は、多くの人が「こうなりたい」「こうあるべき」を目指して、自由に頑張ることのできる、面白い時代だと思います。(私がこうして文章を書いて世に出す際にも、大きな出版社や担当編集者の目に留まる必要はありません。)
だけど、たくさんの人の姿や言葉が、目から耳から飛び込んできて、

「さて、自分の姿や言葉は、どんなものだったっけ?」

ここを確かめることが、難しくなりやすい時代でもあると思います。
また、自分と世界のバランスが取れなくなると、人は防衛本能を機能させます。
「病む」状態は、その一つだといえるでしょう。

こころを病むことは、命を守る営みの一つで、おかしなことではありません。
恥ずかしいことでも、責められるようなことでもありません。
でも、それは「当たり前」であってはいけないと思います。
なぜなら、これは人間の「奥の手」だからです。

常備・頓服できる「こころの指針」

もっともっと「手前の手」として、この note や、臨床心理士を大活用してほしいと思い、この文章を書き始めました。我々が相談室で待っているだけでは、届かない場所が沢山あるからです。

臨床心理士は(少なくとも私が大切だと思っているのは)、
悩む人の内側に、ご本人と一緒に目を向けて、
一人きりで扱うのは少しつらいような心の部分を、一緒に紐解いていくための「器」であるということです。
我々は、本来のあなたを知り、「自分ってなんだっけ?」「何がしたいんだっけ?」という指針を、再発見するお手伝いができる専門家です。

今後この note には、読む人それぞれの「こころの指針」に一役買いそうなことや、「こういう考え方もあるんだな」「こういう専門家もいるんだな」あるいは「こういうやつもいるんだな」とふんわり思ってもらえるような(玉石混淆の)文章を上げていきます。

必要な時に必要なぶんだけ、読んでみてもらえると嬉しいです。

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