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こころのよりどころのない何か。楽器をやりたいけどその楽器がない。余裕のあるうちに買えばよかったと思える。今の自分に何のとりえもないように思えてならない。
壊れたいけど壊れない頑丈な自分を恨む
誰しもが、現実からの逃避を考えたくなるような状況に陥る。
私は、今そうなっているのだろう。
突然の更新を許してほしい。自分を許してほしい。こんな場所じゃないと気持ちを吐き出せないのだ。黒々としたこの塊を。
いっそ振り切ってしまったほうが何もかもいいんじゃないかとさえ思えてくる。ふざけた考えだと思ってもふと頭をよぎるのだ。
でもこうなった理由もわかっている。自分がルーズすぎるのだ。自分が憎い。
志村けんはコメディアンとして亡くなった
この投稿は2020年5月16日以降に投稿される予定である。すなわちは志村けんさんが3/29に亡くなって49日後、つまり四十九日が明ける日である。
なぜこのような注意書きのような文面から始めるのかというと、「亡くなって残念だった」ということだけではなく、もう少し踏み込んだ話もしたいからである。こういう話をするときの自分ルールとして、[四十九日は言及しない]というものがある。そこまでは亡くなった
Wii Fitの意義を今一度考える
筋トレが先か、冒険が先か
巷ではNintendo Switchが売り切れになり、どうぶつの森や、リングフィットアドベンチャー(以下RFAと略す)が品切れになっているという話を聞く。RFAはWii Fitから続く任天堂製フィットネスゲームの最新作である。
中身は面クリア型のRPGゲームだが、移動や敵との闘いにフィットネスを導入し、運動しながら遊べるというシステムをとっている。
私の家にはスイッ
[日記]長い文章を書けない
ここ最近のnoteを見直してみる。大体平均して1000字あるかないかという分量のものが多い。2000字を超えたものはないだろう。それ以上書いて推敲していこうという気が起きないのだ。これだけ書きたいことを書きなぐっているのだから当然なのだろうか。途中で力尽きて「もうこれでいーやー」と投稿することもある。ひたすら文字をこの場所に書きなぐっている。
本格的に長い文章になるときや構成を考えるときは大体プ
わが愛すべき故郷足立
今回は短め
東京都民に出身を聞かれ「足立区です」と聞くと「やばそう」「荒れてる」「犯罪多そう」という感想を主に23区西部のほうから耳にする。三遊亭円丈師匠の「悲しみは埼玉に向けて」という新作落語の中でも「埼玉の隠し玄関」「群馬の物置」と呼ばれ、一番栄えてる北千住に至っては「日本の平壌」とまで言われる始末。もうこんな話は飽きるほど聞いてしまったので、今更地元のことをとやかく言われても起こる気にもな
クラシックと録音とパブリックドメイン
ネズミのとばっちりを受けるかもしれない
クラシック音楽に詳しくない人はすべての曲がパブリックドメイン、すなわち権利者の許諾を得ずに加工、再利用等ができると思うが、そうではない。著作権法における保護期間によって、他者の著作物が何年保護されるかは決まっている。どの曲が使用可能で、どの録音が使用可能なのかが変わってくるわけだ。
1,日本は70年に改正、1967年以前はパブリックドメインに初めに日本
クラシックと著作権法
あの曲はまだ保護期間内
「クラシックなんて全部著作権切れてるんじゃないの」と思う方がいると思う。クラシックのほとんどの曲はそうなる。しかし、近年に作曲され、没後70年を迎えていない作曲家も多いため、実は権利の切れていない作曲家がいる。
実のところもう少し書き足したかったのだが、文量が多くなりそうなので、とりあえず作曲家とパブリックドメインについてのみ書き込んだ。
各国の著作権の保護期間まずこ
作品と作者、演者の思想は別
「作る作品はいいんだけどねー」で済ませたいけどできない問題
アーティストが政治的な発言をして、それをメディアが取り上げ「批判されている」と書かれ炎上する。この流れは何度となく繰り返されてきたのだが、このサイクルが増えていってる感じがする(主観なので確証はできない)
別に好きなアーティストがどんなこと言っていてもいい、と思うのは私が推しのアイドル等を持っていなくて、平沢進を愛好しているからなのだ
Party Parrot変種が受けたのは
今回は短くするつもりだ。書く内容としてもつまらないものになるだろう。(書き終わってから言うが、これは怪文書の類に違いない。この記事は人類に対する多大な風評被害が含まれている。)
SNS上でParty Parrotというミームを使用した動画が定期的に投稿されている。カカホという鳥のイラストをgif画像にし、レインボーに変化させたものがそれであるのだが、現在はやっている動画は「下ネタに反応する鳥」と