ジョージ・ガーシュインから吹奏楽的ニュアンスを感じる

今日はジョージ・ガーシュインを聞きながら、吹奏楽のルーツを考察していきます。1959年、バーンスタイン指揮のニューヨークフィルの演奏です。

1,パリのアメリカ人

ガーシュインさんは非常に短命な方なのですが、クラシック音楽の歴史の中でしっかり語ってよい人だと思っています。ラプソディ・イン・ブルーではグローフェとともにクラシック音楽のなかにジャズやスウィングの手法を取り入れ(シンフォニックジャズ)、調性音楽に行き詰まりを見せていた欧州音楽界に一つの解を見せました。それはこのパリのアメリカ人でも同様です。

この曲を聴いたときに、私が感じたのは、とにかく吹奏楽のような響きがする音楽だと感じたのです。弦楽器もいるのになぜと思ったのが印象的でした。編成としては、標準的な2管編成にサクソフォーンとテューバを加えた、管弦楽編成の範疇に入る編成です。なのになぜここまで吹奏楽みのある音楽だと感じたのか、それを分解していくと、吹奏楽とクラシック音楽の違いを発見することができます。

吹奏楽のような音楽だと感じた部分をリストアップすると
・打楽器の出現頻度が多い
・和声の複雑化
・シンフォニックジャズの流れを汲んでいる
・アメリカ人作曲家である
という点に集約されました。これらについてまとめながら書いていきます。

私は音楽の専門的な教育を受けたわけでないので聞きかじった知識を出してます。事実が異なってもそれはご容赦ください。

2,打楽器の増強とシンフォニックジャズ

オーケストラで有名なベートーベンさんの時代では、第5番「運命」のように打楽器はティンパニのみというのも珍しくなく、第9でもバスドラムやトライアングルといった基本的な楽器が使用されています。加えてバスドラムなどの楽器は出番も少ないです。これはもともと管弦楽が弦楽合奏から楽器を追加していったのが要因だと考えています。打楽器はアクセントであり、主体は弦楽器であるというもので、のちの時代になり、スネアドラムや銅鑼等が追加されていっても変わりません。

一方、軍楽隊から派生していった吹奏楽は、ティンパニに加えパレード等で使用できるバスドラムやスネアドラムも大きな地位を占めています。こういった鳴り物が一定の地位を確保しているのは管弦楽にはない特徴でしょう。これはジャズ等軽音楽にも同じ傾向が見られます。違いとしたら、軽音楽はより打楽器に全体の支配をさせている印象です。

ガーシュインさんの場合には、これら軽音楽の影響を受けていると考えてよいでしょう。打楽器は増強され、グロッケンやスネアドラムといったポピュラー音楽で使用されるものが多く使用されています。象徴的なのはグロッケン、シロフォンといった鍵盤打楽器でしょう。これら打楽器に音楽を支配させているかどうかが、管弦楽と吹奏楽、そしてガーシュインさんの音楽をどう感じるかに出ていると思います。

3,和声の複雑化、それを受けたアメリカ人

仮定の上に仮定を重ねるので、実際どうかあやしいです。

20世紀前半には平均律というものは一般にも浸透したと考えていいでしょう。ピアノが庶民にも渡るようになるにつれ、調律は平均律で行われるようになります。それがコードを三和音からより複雑なものへと変化させていったと考えています。そして軽音楽はその影響を大きく受けていて、アメリカは発祥であり、ガーシュインはその影響を受けている。

一方、吹奏楽の多くは20世紀以降に書かれたものであり、コードの複雑化の影響を受けていると考えられます。つまり複雑な和音がクラシック音楽の響きと吹奏楽の響きに違いなのではないかと思います。

でも、ホルストの第一組曲なんかを聴いてみるとクラシック音楽のような響きしているのにちゃんと吹奏楽やっているんですよね。フシギだね‥‥

4,まとめ

音楽の専門知識がない人がないなりに頭とインターネットを駆使して考えたのは吹奏楽が管弦楽と違うと感じる原因は
・音楽の主体が打楽器に存在する。クラシックは弦楽器にある。
・響きが複雑化している。クラシック音楽は3和音が基本になっている
というものに落ち着きました。ガーシュインさんは意図してかせざるか、これらの要素を含んだ管弦楽作品を生み出しました。結果として、吹奏楽のような響きをもった管弦楽作品になったと思っています。

逆に吹奏楽にアレンジしたクラシック作品が微妙に思えるのはこれが満たされていないのが原因じゃないかと思っています。そう思う、違ってこう思うというのあったら教えてください。

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