志村けんはコメディアンとして亡くなった

 この投稿は2020年5月16日以降に投稿される予定である。すなわちは志村けんさんが3/29に亡くなって49日後、つまり四十九日が明ける日である。

 なぜこのような注意書きのような文面から始めるのかというと、「亡くなって残念だった」ということだけではなく、もう少し踏み込んだ話もしたいからである。こういう話をするときの自分ルールとして、[四十九日は言及しない]というものがある。そこまでは亡くなったことを悲しみ、思い出を語る時間であり、批評や考察をする時間ではない、という考えからだ。死者を話のネタにする愚か者の最後の良心のようなものである。


いい加減、タイトルに入っていこう。

志村けんは日本を代表するコメディアンであり、老若男女が知る芸能人であり、3/29に新型コロナウィルスによる肺炎によって亡くなった。私はこの時に「亡くなって残念である」という感情と「老いていく姿を見なくて済む」という感情が生まれた。

70歳で亡くなるというのは現代日本においては若い部類に入る。まだまだコメディの分野を広げてほしかったと思っている。だがその反面、人間の老いというのもまた現代日本を象徴する問題である。それは有名なコメディアンであろうと避けることのできない問題である。やがてはボケていき、何らかの病気にかかって亡くなる。

私はコメディの中でボケを演じる志村けんは見たかったが、本当にボケてしまって右も左もわからなくなってしまった志村けんは見たくなかった。そうなると自然とテレビの表舞台からは消えていくのだが、テレビに出る有名人というものは静かな老後というものを送らせてくれない「一時期有名だったあの人は今!?」というような番組で特集される。そういった番組で視聴者は残酷な現実を見せられるのだ。

そういう意味で、彼は元コメディアンとしてではなく、老いた醜態をさらすことなく、コメディアンとして評価されたままあの世へと旅立ったのである。これがタイトルの意味である。

山の頂上に立ったらいつかは山を下らないといけない。彼はキレイに下って行ったのか、それとも誰にも知られずに山を下って行き、ひっそりと姿を消したのか。そんな、人間の最期について期せず考えることになった。

最後になりますが、この度は心よりお悔やみ申し上げます。

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