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凸凹ジェットコースター人生 おちゃま

 「チャンスが来たときに
 つかめる自分であれ!」
 冨永 愛、挑戦し続ける理由とは
 NHKアカデミア「モデル 冨永 愛」後編

NHKアカデミア「モデル 冨永 愛」後編より

おちゃまとは、今年4月の「Trip第3回旅行好きオフ会」で出会った。その時の様子を書いた「おちゃま」のnote記事。

旅飲みを主催したのは、voicyにもゲスト出演しているYoshi(高橋良行)
「人生、やりたい事だけしても、なんとか生きて行ける!高橋良行①」
Yoshiは本牧通りにあるエスニック料理店「Trip」を経営し、中華街にシェアハウスも運営しているオーナーだ。

同じくYoshi主催の2022年7月「Trip第2回旅行好きオフ会」で出会った、りよこちゃん(小林 璃代子)の放送をまとめたnote。

おちゃまは、voicy収録時23歳、5月で24歳になった。YouTubetiktokXインスタnoteなど各SNSを使って自分にしかできない表現を模索しながら夢を探している若き表現者であり、アーティストだ。

感染拡大となって、対人不安・・・人と会ったりコミュニケーションを取ることが不安な時代と言われる今、感情のコミュニケーションに悩む若者は多く、社会問題となっている。彼女と話していて、「引きこもるって命を守る大切な時間。「〜すべき」からの解放。生きる原動力って食、美味しいって幸せ。心の傷を乗り越えるのではなく、共に生きることが大事。誰だって変なところがある。自分を責めるのも、他人をジャッジするのもやめようよ」など、いろんなことを考えさせられた。

娘たちと同世代ということもあって、父親のような気持ちになり途中ウルっとしたり感情移入して対談できた。それは、彼女が自分を直視する力を持っているからだ。この放送では多面的な顔を見せ、本音で語ってくれた。1,177回目から1回10分、全6回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい

おちゃまは母親の2回目の結婚で生まれた。兄一人の2人兄妹で、幼少期から怒鳴り合う夫婦を見て育った。物心ついた時から仲間外れ陰口を言われ、良い思いをしてこなかったという。幼稚園に入る前、両親が離婚。学費にまで手を出した父に愛想を尽かし、母は兄とおちゃまを連れて家を出た。父がストーカーのように新居に来て警察沙汰になったこともあり、引越しを繰り返した。
「私って不幸だな」と思いながら大変な幼少期を過ごしたのだ。

中学生になると新しい彼氏を連れて来た母に、怒りの矛先を向け精神のバランスを保った。負けず嫌いな彼女は泣きながら勉学に励み、成績はオール5だった。小学生時代から洋楽が好きで海外ドラマにハマっていた「おちゃま」は、第一志望の国際学科の高校に進学した。海外の大学にも行きたいと考えていたが、高1の時に母から一言。
「お金がないから無理!」。今なら、海外留学のための給付奨学金など、それ以外の選択肢は思い浮かぶが高校1年生の時は、その一言で絶望的になり勉強する意欲も失せてしまった。そして、卒業式の日に「退学届」を提出してしまう。いったい、なぜか?

人前で歌ったり踊ったりが好きだった彼女は、高校に通いながら俳優養成所にも入所した。
「お前みたいヤツは嫌いだぁ!」と演技指導者に言われてしまう。
今から思えば、「コンタクトを入れると目がショボショボしていたのが、指導者から見たら眠そうに見えたのではないか」と推測するも、高校生の彼女は現場の雰囲気に呑まれて言い出せるわけもなく心が折れた。ここで真面目なおちゃまは、おそらく「自分が悪いと思ってしまったんだろうな」と想像できた。演技指導者は「言葉の暴力」ともいえる感情論で芽を摘んでいる。

高2の時、義理の父のお姉さんのつてを頼りにベビーシッターをしながら、イギリスに16日間滞在した。多感な高校生時代、外から日本を見ることって大事だ。英語を学ぶ意欲が俄然湧いて日本に戻ると、クラスで手を挙げて発言するのは自分だけだった。そんな状況の中、一番仲良くしていた友達から
「あなたなんて嫌い!」と言われてしまう。
高校の校門までは行けるのに、その先に進めない辛い日々。
「友達もいない。英語も勉強できない。学校へ行ってもしょうがない」と退学届を提出したのだ。

引き籠りの生活が続いたが、年が明けると心機一転。
海外のYouTuberに憧れて、「YouTuberになろう!」と決意し、実家を出て知人の紹介で国際シェアハウスに住むことになった。そこは世界各国から来た男性ばかりのシェアハウスだった。テーマパークのバイトで出会った一回り年上の彼氏と同棲するため、シェアハウスを出たが、1か月後ふられて実家に戻った。彼氏と別れて同じ職場には居づらい。また、別のテーマパークでイギリスのフランチャイズの玩具の実演販売をした。仕事は楽しかったが、またしても人間関係がうまくいかなかった。

「治安もいいし、日本と物価も変わらないからマルタ共和国に行ってみれば」と友達に勧められ、親にも内緒で留学エージェントに申し込んだ。再び実家を出て、新しいバイト先も決まり、マルタ留学も決まったが、留学費用が足りない。
そこで選んだのが、給与の良いコールセンターの仕事だった。営業電話のコールセンターは頑張れば頑張った分だけインセンティブがもらえた。目標契約数、月20件を達成し、入社2ヵ月で最年少、最短で管理職を任された。まだ20歳になる前だった。クレーム対応などオペレーターのサポートが主な業務だった。マニュアルを自分なりにアレンジして話すのが楽しかった。特に一対一の電話対応は得意だった。

直近のコールセンターは、親だけでなく子供とも話す教材の営業だった。ここでも管理職を任されたが対人関係でストレスを抱えていた。持ち前の明るさも誰に対しても公平な愛想の良さもリーダーの資質の一つだ。十代、20代の若さで年上の人と仕事をする管理職の経験は宝だ。

4年間勤めたコールセンターの仕事。言葉を自分でアレンジして電話対応することは好きで得意でも、「手に職にならない」。彼女は特別な技能や資格もないフリーターでもできる仕事だと思った。コールセンターを卒業し、2ヵ月の無職期間を経て、ようやく全く未経験のワクワクする仕事を見つけた話は後ほど。

時を戻そう。目標金額を貯めた段階でコールセンターの仕事を辞め、マルタ共和国へ飛び立った。21歳の彼女が1ヵ月の滞在で得たもの、それは自己肯定感の大切さと表現方法の一つとしてのアートの可能性だった。あまりに海が綺麗だったので、予定になかったダイビングライセンスを英語で取得し、語学の授業を受けた後はダイビングスクールに通った。

国際交流イベントに参加すると、白いソファーに座る美しい少年に目が釘付けになった。すると、その少年が声をかけてきた。ロシアで有名なアーティストの奥さんを持つ旦那さんで少年ではなく青年だった。その奥さんの作品を見てダークでグロテスクな部分も描いていることに魅了された。そのロシア人と人生やアートのことを語り合った。
「君は美しい。自分らしく表現すればいい」と言われて、お世辞だとしても嬉しかった。

俳優養成所、家庭環境、友人関係の中で個性だと思っていたことが受け入れられなかったから、ずっと心に棘が刺さって、きちんと呼吸ができないくらい苦しかった。ロシア人の温かい言葉が砂に水が沁み込むように、彼女の心を潤した。俺が「旅」を勧めてきたのは、この一点のため。「旅」は出会いに満ちている。自分の知らなかった魅力や能力や才能を発見できるのが「旅」だと思う。

マルタ島留学は自己肯定感の大切さと自分らしく表現するアートに目覚めた貴重な1ヵ月だと感じた。こういう経験が優しさ、思いやり、感謝する心を育む。そして何より想像する力がつく。人はたった一人との出会いで変わる。そして、温かな一言で変わる。だから、この小説家の友人、森ちゃん(森沢明夫)の言葉をシェアしたnoteは、おちゃまを意識して書いた。

マルタ島で出会ったロシア人青年の奥さんのアートに刺激を受け、イラストを描いたり、暗い色やユニークな柄を取り入れた独特のファッションを今、SNSで表現して発信している。

フォロワーが急増することもなく、すぐに受け入れられるものではないが、暗い部分もアウトプットすることで、精神のバランスを保っている。

おちゃまは数ヵ月前に「環境性発達障害」「思い込み障害」と診断を受け病気と共に生きているのだ。2年前には人間関係の問題から幻聴が聞こえたり音が反響したり夜も眠れず朝も起きられない生活。人混みでは呼吸しづらくなる。そんな中、摂食障害(過食嘔吐)も発症。「『精神科へ行こう』と言ってくれた母の言葉に救われた」と聞いた時、摂食障害(拒食症)で妻を亡くし、同じく拒食症で2回も入院した次女と被って言葉に詰まった。

「今の彼氏と出会ったことで、普通の生活が送れている」とおちゃまは言う。素敵な彼氏と出会って良かった。

自己啓発本も片っ端から読み漁った。共通しているのは「もっと、ゆるくていいよ」ということだ。ずっと真面目に頑張って生きてきた。思い込みで、「いい子でいなければならない」「美しくいなければならない」と自分で自分を縛り付けていたことに気づいた。

「私のSNSは映えない」と言い切った。でも、暗い部分も含めて自分の気持ちに素直に正直に自分でしか発信できないことを心がけようと思った。「あなたは、そのままでいいんだよ」そんな言葉を誰かに届けたい。たった一人でも必要としている人に届けばと思って発信している。リスペクトする友人、阪本啓一さんは、『「たった1人」を確実に振り向かせると、100万人に届く。』というタイトルの本を出している。実際には100万人に届くのは難しいが、俺は目の前のたった一人を喜ばせる小さな活動を旅行会社を通じて22年続けたら、3万人の登録隊員をつくったから正しい選択だったと思う。

今年5月に入って、2カ月間の無職を卒業した。シルバーのハンドメイドアクセサリーの店で働き始めたのだ。
「私にとってのアクセサリーとは?」自分の個性を表現する大切なもの。

指輪やバングルの作り方も教えてくれる。販売だけでなく技術も学べるのだ。「手に職にならない」と思っていたコールセンターでの悩みを払拭してくれる職場と出合えた。自分自身の気持ちをアップしてくれる商品を勧めるのは、心からできるから、思いと行動が一致している。精神のバランスを崩すときは思いと行動が一致していないからだ。今、おちゃまは毎日新しいことに挑戦し自分を高めていくことにワクワクしている。スタッフからは、「初めてなのに、こんなにできるなんて凄いよ」と声をかけられている。自分を受け入れてくれる職場は心地いい。だから、朝起きるのが辛かった日々がウソのように、今、仕事に行くのが楽しみできちんと起きられている。休みの日まで新しいデザインのことを考えている自分に驚いている。仕事を選ぶことは生き方を選ぶことだ。

無職の頃から母のお店も手伝っている。今回一番話したかったのは、2021年4月にOPENした母の経営する横浜市中区新山下にあるお店「Aroe(アロエ)の事という。祖母から引き継いだ南伊豆のキダチアロエを使った創作家庭料理店だ。「ヘルシーで明日も負けない身体のお手伝い」がモットー。川西屋酒造からレアな日本酒(隆・丹沢山)も仕入れている。自家製のアロエ茶、アロエ飯、アロエ酒、アロエの刺身、レバパテ、豚すじカレーなど吞兵衛な人にはよだれもんのオリジナルな料理を出しているらしい。いつか、自分がデザインした シルバーアクセサリーも置けたらと夢も膨らんでいる。

生きづらいと言われる現代を、きっと、これからも親子2人でサバイブしていく。何が正解かはわからない。少なくとも正解は一つではない。大切なのは、これから どう生きるかだ。これから、結婚するのかしないのか、子どもを生むのか生まないのか、仕事を続けるのか辞めるのか・・・女性としての人生設計で悩む場面も出てくると思う。大切なのは、他人に振り回されずに、自分と向き合い自分の意志で決めることだ。

20代から60代まで世代を超えた「Trip飲み会」でおちゃまと再会

おちゃま、また飲もうね。
最後に、ファッションモデルで女優の飯豊まりえがゲスト出演したFMラジオJ-wave「LISTEN & LEARN」のコーナーで「人生に影響を与えた出会い」で紹介された茨木のり子の詩を贈る。

【自分の感受性くらい】

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

詩人・茨木のり子

女優の飯豊まりえがゲスト出演したFMラジオJ-wave「LISTEN & LEARN」より

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