見出し画像

なにかを続けることについて

なにかを続けるってことはとてもむずかしい。続かないのって、継続力がないからではないんよ。続けるってことを続けられるものにまだ出会えていないだけ、かもよ。

かれこれもうすぐ2年に差し掛かろうとしているが、継続とはなにか。続けられる人と、そうでない人との違いはなんだろうか。いっしょに考えてみよう。

じぶんには継続力があるのかもしれない。だけど、いつ終わるのかわからないレースを延々と走っているワケではなく、いつでもやめられる、いつやめたっていいって状態のなかを走っているだけだから、継続しようとおもって継続しているつもりはないんよね。

じぶんのご機嫌をじぶんでとるために、不幸なエピソードをネタにして文章を書いてみたり、音声配信をすることで、昇華できれば、フォロワー数が増えていったり、友達や仲間との繋がりが広がったり、良いこともあるから、結果的にじぶんのご機嫌をじぶんでとることに繋がったりする。

ぼくなんかは、生きてて感じたことをそのままフィルターも通さずに、コンテンツとして上げているけど、思ったことを誰かにはなしたい、伝えたいっていう願望が昔からつよくあって、そのはけ口としてnoteを利用しているところはあるんですよね。多くの人は、それを身近なひとと共有したりすることで、スッキリしている部分はきっとあると思うけど、ぼくの場合は、友達に悩んでいる事や、不安に感じることを素直に相談できず、言い出せないことが多かったので、そういう意味で、文章を書くことが自分にとってのコミュニケーション手段なのかなっておもいます。

コミュニケーションのカタチって人それぞれなんよね。漫画を描くこともそうだし、文章を書くこともそう。コミュニケーションって、なにかを伝達するっていう意味が含まれるけど、人と会って話すことだけが、全てではないんよ。

noteを書いたことで、文章を書くことが好きであることに気づき、あれやこれやと続けることで、変化が出てきて、実際にリアルで人と会うこともできたし、コンテンツの精度は上がっていき、収益化も実現できた。noteを続けたことによって、大学でやっている研究にも直結し、クリエイターを支援することをテーマにすることで、やりたいことがどんどんカタチになってきた。なにかを続けていると、なにかと繋りは増えるんだなとおもった。好きなことを突きつめていった結果、それが仕事になるみたいにね。

なにかを続けることによって、なにか大きな変化を求めていたところはあったとおもう。短期的に結果を出すことに焦り、自分を見失うこともあったけど、今振り返ってみてきっと、収益をだすことよりも、なんかこう生きてて辛く感じるような思いを、誰かと共有することで、救われたかったって部分は大きかったんだろうなっておもう。一人でいることは好きだけど、誰かと一緒にいられることの方がいまでは、幸せだなって思える。

なんのために続けてるのかよく分からなかったが、今こうして振り返ってみることで、人との繋がりを求めていたことに気づけた。もちろん長期的に続けていくためには、収益化は必須になってくるとおもう。そこもしっかりと考えていく必要はある。だけど、それが全てになってくると、しんどくもなる。なにをしているとき、なにを続けているときが、あなたにとって、心地のよいものだろうか。

辛かったこととか、苦しかったことをネタにして笑っていると、人生なんとかなるよって思えたりもする。しんどいときは、はきだそう。文章を書くことが、ぼくにとっての救いになっていた。あなたはどうだろうか。なにかを続けるためには、なにか報酬的なものが発生しないと、きっとむずかしいのかもしれないね。

この記事が参加している募集

#とは

57,772件

#最近の学び

181,438件

サポートして頂いた方は忘れません