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【ショートショート】夫の顔 (2,554文字)

 夫の顔をネットで見つけた。記憶喪失の天才画家と紹介されていた。わたしの知らない表情で、ニコニコ、取材に応えていた。この人をご存知の方は警察にご連絡くださいと書いてあった。わたしは反射的に電話をかけていた。

 一年前、夫は帰らなくなった。音信不通だった。死んでしまったかもと不安で眠れない夜もあった。だから、生きているとわかり、心の底からホッとした。

 妻であることを明かしたら、とにかく確認のためお越しくださいと言われた。聞けば、けっこう遠い場所だった。すぐさま列車に飛び乗り、わたしは夫のもとへ急いだ。

 道中、夫のニュースを読み込んだ。

 なんでも、気がついたときには公園にいたらしい。自分が何者で、どこから来たのか、さっぱりわからず戸惑ったそうだ。

 スマホも財布もなにひとつ持っていなかった。着の身着のまま、途方に暮れて立ち尽くした。でも、近くに落ちていた枝を拾って地面に風景を描き始めると、なぜか心が落ち着いた。

 通るかかる人たちに褒められた。写真みたいだね、と言ってもらえた。写真を撮ってもいいですか、とお願いされた。パフォーマンスだと思ったらしく、投げ銭が集まりだした。差し入れでパンや飲み物をもらえるようにもなった。絵を描くことで生活を営めた。

 やがて、子どもたちからリクエストが入った。アニメのキャラクターなど、求められたものを地面にささっと描いてあげた。みな、そのクオリティに大満足。スマホで撮影し、SNSで自慢するようになった。結果、それが広く拡散。公園の地面をキャンパスにする天才画家として話題になった。

 メディア取材がやってきた。様々な質問をされた。現在と未来については饒舌に語った。一方、過去については、

「すみません。わからなくて」

 と、要領を得ない答えを連発した。名前を聞いてもわからない。お家を聞いてもわからない。まるで迷子の子猫ちゃん状態だった。

 不審に思った記者が詳しく確認。無理やり連れ出す形でお医者さんの診断を受けた。記憶喪失と発覚した。

 そこまで読んで、わたしは顔を上げた。窓の外には田園風景が広がっていた。あっという間に遠くへ来ていた。

 改めて、夫が大変な目に遭っていてのだと知り、かわいそうだなぁと思った。同時に、やっぱり天才画家と呼ばれるだけの実力はあったのだと誇らしくもあった。

 わたしたちは美大で出会った。夫は入学したときから天才で、いずれ、必ずビッグなアーティストになると将来を嘱望されていた。

 その才能にわたしは惚れた。自分が実力不足とわかっていたから、せめて、天才を支えてるために人生を捧げたかった。猛烈なアプローチで交際にこぎつけ、速攻で結婚。近い未来、天才画家となった夫の隣で微笑むことを夢見ていた。

 しかし、予想に反し、夫はなかなか芽が出なかった。作品を描いてはいるし、発表もしているし、見てくれた人は凄いと言ってくれたけれど、なかなかお金を出してはもらえなかった。

「俺、もう辞めようかな」

 わたしがパートで生活費を稼ぐようになってから、夫は何度も弱音を吐いた。その度、言葉巧みに説得し、どうにか画家を続けさせてきた。きっと、評価してもらえる日がやってくるよ、と。

 なのに、一年前、夫はわたしの前から姿を消した。朝、家を出たと思ったら、そのまま帰ってこなかった。電話をかけても反応がなかった。メッセージを送っても既読すらつかなかった。

 はじめはかなり心配した。事故や自殺といった不穏な言葉が頭をよぎった。プレッシャーをかけ過ぎたんじゃないか……。罪悪感に襲われた。警察だったり、病院だったり、公的機関から連絡が来るんじゃないかとドキドキ待った。

 だが、何日経っても、わたしのスマホが鳴ることはなかった。

 恐る恐る、夫の実家に電話してみた。義父母はなにも知らなかった。共通の友人にも聞いてみた。全員、一様にビックリしていた。

 たちまち、夫は世紀のクズ男になってしまった。あんなに一生懸命働いていた奥さんを捨てるなんて、いったいなにを考えているんだ! 一人残らず怒ってくれた。そして、わたしを励ましてくれた。

 百パーセント支持されるという安心感から、わたしも不満を口にした。稼ぎがないのに家事をしないとか、料理をしないくせにケチをつけてくるとか、ここぞとばかり、日頃の愚痴を言いふらした。勢いで、

「絵だってむかしはよかったけれど、最近はさっぱりダメで……」

 と、こぼしてしまったこともある。

 あの頃、夫は加害者で、こちらが被害者なのは明白だった。まわりは絶対的にわたしの味方をしてくれた。一応、不幸ということになっていたけれど、注目浴びる状況は思いのほか心地よかった。

 そんな風に、夫がいなくなってからの日々を思い返していたところ、

キキーッ!

 と、急ブレーキで列車が止まった。

 身体がつんのめった。すぐにアナウンスが流れ、近くの駅で非常停止ボタンが押された旨、説明があった。

 散らばった荷物を片付けながら、ふと、これから記憶喪失の夫と再会し、いったいなにをどうすればいいのか、不安がじっとり込み上げてきた。

 とうとう夫は天才画家になった。それはわたしが期待した通りの結果だった。でも、こんなプロセス、少しも望んでいなかった。だって、その隣に、わたしの居場所はないのだから。

 景色を見ると空が徐々に暮れだしていた。もう、こんな時間なのか。本来なら、到着している頃だった。

 ただ、冷静に考えれば、遅れたところで問題はなかった。なにを急いでいたんだろうと、たちまち、すべてがバカらしくなってしまった。

 なんとなく、手もとに集めた荷物をその辺に放り投げた。スマホも財布も捨ててしまった。

 列車の運転が再開した。近くの駅に停車した。そこは目的地ではなかったけれど、フラフラ、わたしは意図せず降りてしまった。それから、唯一、握り締めていた切符を使って、ヨロヨロと改札を抜けた。

 気がついたときには公園にいた。着の身着のまま、枝を拾って、地面に身軽な絵を描いた。夫を支えると決めてから、なにかを描くのは初めてのことだった。

 懐かしい喜びが満ちてきた。ああ、やっぱり、わたしは絵が描きたかったんだと思い出した。

 そのとき、ようやく、ネットで見つけた夫の顔の意味がわかった。

(了)




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