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ガイドブックofガイドブック。んで、チベットのあれやこれやで👍 本「チベット死者の書 99の謎」★4

「チベット死者の書」(バルドゥ・トェ・ドル)
死ぬ瞬間から再誕生までの死後の世界のガイドブック。

1994年 おおえまさのり


死ぬことを学べ。
そうして汝は生きることを学ぶであろう。

生に目覚めるということは、死に目覚めること。


本書は、死後世界のガイドブック的な「チベット死者の書バルドゥ・トェ・ドル」の、ガイドブックみたいな。合わせて読むと、さらに良きかな。その周辺の興味深い学びも豊富で惹かれる。

「死者の書」は、まあ~死後世界で、光の、そして誘惑的?&恐怖的な、などなどの体験(幻?)を段階的に経験してくみたいだけど、惑わされず受け入れる、光と一体化する、と解脱できる!的な感じ?(超雑笑)

そんで、その他の雑学も多々あるんだけど、むしろそっちの方が興味深かった。チベット仏教の用語だとかその関連、んでチベットと日本の類似性だとか、臨死体験や様々な宗教的光体験の類似性だとか。etc.

チベット
アジア大陸にインド大陸が衝突してできた高地。ヒマラヤによって南方を遮られ、北方はツンドラ地帯に覆われ、標高3500M前後に位置する半砂漠的高原大地をなしている。年間降雨量はごくわずかで、人々は半農半牧の暮らし、長い鎖国状態だった。
この秘境性により、首都ラサにあるポタラ宮は、ポ-タラ(補陀落、仏教における理想的浄土で、慈悲の権化である観世音菩薩の住まう霊場)とされる。ポタラ宮は地球の地下空洞に広がる理想世界「シャンバラ」への入口だと思われてきた。
8世紀ごろ仏教。ボン教との融合。日本の神仏習合に似てる。
ダライ・ラマはトゥルク(活仏)と呼ばれ、観世音菩薩の化身と信じられ、代々輪廻転生してゆく。
1959年、鎖国状態のチベットに中国軍が侵攻、ダライ・ラマなど多くの人が脱出。コレが、逆にチベットを世界に向かって開くことになる。

メモメモ(一部)
・日本の神道と近い世界観。日本6世紀の中頃に仏教。9世紀初めチベットとほぼ同じ時期、天台と真言の「密教」が招来。
・死の瞬間の光(クリヤー・ライト)と臨死体験者が体験する生命の光、酷似。その他いろいろな宗教体験の光も。
・日本版死者の書、源信「往生要集」
・ヒエロニムス・ボッシュのバルドゥ?
・バストリカ(ふいご呼吸)、インドのヨーガの呼吸法。スタニスラフ・グロフは、ホロトロピック・ブリージング(全的呼吸法)と名付けた。一種の臨死体験。


瞑想法

一般化された簡明なチベット仏教の瞑想法。
結跏趺坐でも半跏趺坐でもどんな坐り方でも、椅子に腰かけてもいいのですが、山のごとく、背筋を伸ばしてすっくと坐り、首は少し上向きかげんで、目はどこかに焦点を当てることなく半眼に開き、口は軽く開け、手は膝の上におく。こうした姿勢をとることで瞑想状態に入りやすくなる。

1,呼吸を整え、息を吐いたとき、執着していたものが消えていくのをイメージし、リラックスして瞑想する。
2,自然や花、あるいは仏像やグルの写真を置き、軽く注意を向けてそれらに瞑想する。
3,マントラ(真言、呪文――心を保護するものの意)を唱える瞑想。例えばパドマ・サムバーヴァのマントラ「オム・アー・フゥン・ヴァジュラ・グル・パドマ・シディ・フゥン」や観世音菩薩の真言「オーム・マ・ニ・ペ・メ・フゥン」などを唱える。それは浄化と保護と癒しの祝福を与えてくれるといわれる。

瞑想中、心は全宇宙を包み込む空のようなものとして捉え、想念や雑念が沸き起こってきても、想念を払おうとすることなく、そのままにしておく。沸き起こるままにしておき、それらについて考えない。そのままにしておくと、想念と想念のあいだ、想念の雲間に一瞬青空が現れるように、心の本性が姿を現してくる。青空(心の本本性――自性清浄心)が現れてきたら、その青空を全天空いっぱいになるまで、少しづつ広げてゆく。

こうして瞑想を重ねてゆくことによって、刻一刻継起するこの一瞬(この身このままのいまここ)に、心の本性が現れ始め、人はやっと本来の自己になるわけです。

チベット仏教の多くの慈悲を育む瞑想法。
1,自分が今までにもっとも愛されたと感じたときの、愛のイメージを思い描く。そして感謝の想いを抱いて、自分の愛が愛してくれた人に向かって流れていくのを感じる。次に、さらに心を開いて、その愛が他の人にも流れてゆくようにする。
2,悲惨な戦争や飢え、不治の病で苦しんでいる人々の姿を想い起こし、その悲惨さへの哀れみが湧き上がってきたら、それを深く刻み込んだまま、瞑想する。
3,他人の苦しみを受け取り、自分の幸せを他の人に流し込む姿を想い描く。

ソギャル・リンポチェの簡明で実践的な技法。
生前のポワ
心地よい瞑想状態で横になり、目の前の空に、信じている存在が輝く光となっているイメージを思い描く。呼び出した存在に、心の焦点を当て、光が自分に降り注いで、否定的なカルマ(業)が浄化され、許しが得られるように、またポワによって安らかな死が得られ、すべての生類に役立つようにと祈る。光が実際に降り注ぎ、光と一体化してゆく自分をイメージし、できるだけその状態を保つようにする。
もっとも簡明なものとしては、自分の心を純粋な知恵の心へと溶かし込み、「私の心とブッダの心はひとつ」と考える実修。

死者のポワ
死にゆく人への援助、救済のための「死者のポワ」は、死にゆく人の真上に、仏陀、あるいは聖なる存在のイメージを思い描き、その光が死にゆく人を照らし、浄化することを祈る。死にゆく人の苦悩、恐怖、孤独を自分に引き受け、その人が痛みや迷いから解き放たれ、心の平和を得られるよう祈願する。

こうした瞑想による「光につつまれて、浄化されてゆくイメージを思い描くこと」は、死にゆく人や死者、そして自分自身をも浄化して、その魂を癒し、救済してゆく力をもっていて、その力は肉体的な浄化と癒しの力をももっているといわれる。

ホンマかいな……?



終わりに

死もまた大いなる故郷への帰還。
天地自然への帰還であり、天地自然が生み出された「大いなるもの」、「霊性」への帰還であり、「心の本性」への帰還。

こちらは、おおえまさのりさんの言葉であるが、確かに死んだら帰りそう。真の生まれた場所、真の始まりの地……。やっぱその辺が起源なのかな。そして、そこでなら「心の本性」を露骨に感じられそう。

いや、バルドで「心の本性」を理解できるのか? その辺の事も書いてあったと思うけど、覚えてないな。「心の本性」ってなんだろう。なんだか怖いような、でも気になって惹かれるような。

いつ死ぬか……分からないけれど、ちょっと楽しみでもあるな。どんなんが待ってるか。(無かも) とりま、生前に「光の体験」とやらを少々体験してみたいな。ってことで、チベタンタイム終了~。


オーム・マ・ニ・ペー・メー・フゥン!!!

(これ覚えたから救われるはず……笑)


そういえば、マニ車欲しかったんだー。

回したい。。。

END



★\(^^)/☆

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