【百物語】幸運をもたらすもの
ある日、中年のサラリーマンが自殺した。死んだのは、高田一良、45歳の会社員だった。高田の部屋からは、自筆の遺書も見つかった。
刑事の前田は現場検証に訪れた。
「この手の仏さんは、いつ見ても壮絶な顔していますね。」
運ばれていく死体を見ながら、前田の後輩の今井が声をかけた。
遺書に書かれていたことは、三年前に交通事故で娘を亡くし、妻にも病気で先立たれたことが、高田の心に大きな衝撃を与えたらしい。彼の人生は、娘をなくした三年前から転落の道をたどっていたようだ。
「この年でマイホームを建てたお父さんが、首吊りか・・・。」
この家は五年前に建てられたらしい。計算すると、高田が四十歳のときにこの家は建てられている。東京でなくても、その年でマイホームを持つのは難しいことであるはずだ。
前田は現場検証がてら、夢の詰まったマイホームを歩いた。リビング、キッチン、娘の部屋、そして、前田は書斎と思われる部屋に入った。書斎の机には家族三人が写った写真が飾られていた。中学校の制服を着た娘の腕には、子猫が抱かれていた。その猫は両目の色が違っていた。左目は青で、右目は黒だった。
「あっ。この猫、ちょっと前流行ったやつですよね。幸運をもたらすって。」
後ろから写真を覗き込んだ今井が言った。数年前、確かにそんな猫が流行した。しかし、今はブームも去り、その猫も見かけなくなった。仲良く写る三人と一匹の猫、そこには数年後の悲劇など微塵も感じられなかった。
「裏庭から、骨らしきものが発見されました! 来て下さい!」
一人の捜査員が前田に声をかけた。その言葉に現場は色めき立った。
前田と今井は裏庭に出た。裏庭には、土を掘り返した跡があった。どうやら、そこで骨は発見されたようだ。前田は、捜査員に発見された骨を慎重に見た。
「これは猫の骨か?」
よくみると、口の部分には牙のようなものがついていた。大きさも、人骨に比べると小さい。おそらくは人骨ではないだろう。
「まあ、事件が事件だから、一応鑑識にまわしてみろ。」
前田が捜査員に命令した。前田は、さっきの写真の猫を思い出した。
「あの猫か・・・?」
前田が骨のあった場所を見てみると、奇妙なことに気づいた。土を掘り返した跡が、どう見ても浅すぎるのだ。死んだペットを埋葬するなら、まず、シャベルなどで穴を深く掘るだろう。そして、その中に死体を入れ、他の動物に死体が掘り返されないように、その上にしっかりと土をかけるはずだ。しかし、この深さでは、骨の上には申し訳程度にしか土はかからないだろう。この穴には、まるで、放置するといった言葉がしっくり来るようなぞんざいさを感じた。
奇妙な違和感を覚えながら、警察の現場検証は終了した。高田の死因は、ほぼ自殺に間違いなかった。
それから数日が経過した。鑑識からの答えは、予想通り猫の骨だったというものだった。たったひとつだけ、特異な点を挙げるとするならば、その骨には、鳥類のくちばしでつつかれた跡があったということだけだった。
それから数週間が経過した。前田は、事件のことを忘れかけていた。
ある日、前田は出動した帰り、偶然高田の家の近くを通った。今は帰るべき主人のいなくなった家だった。前田はなぜか、家の前で車のブレーキを踏んでいた。
「どうしたんですか。前田さん?」
「ちょっと気になることがある。」
前田は、車を停めると、誰もいない家に侵入した。前に入ったときと何も変わらない、空気のよどんだ薄暗い家だった。そんな家の中で、前田は、部屋の壁と柱をしゃがみこんで見はじめた。そして、すべての部屋のすべての壁と柱をじっくりと観察した。そして、前田が、寝室のたんすを動かして壁を見たときだった。
「あった。」
前田がやっと声を上げた。今井が覗き込むと、壁に無数の引っかき傷があった。
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