【今日のnote】人に期待しないということの効能と、それによって、失うものについて。
どうも、狭井悠です。
毎日更新のコラム、122日目。
連日、歌舞伎町を徘徊して仲間たちとお酒を飲みすぎていたために、もったりとした身体を湯船に浸けてリラックスさせ、風呂上がりにコーラを飲みながら何気なくTwitterを開くと、燃え殻さんのツイートが目に入りました。
「相手に何も期待しない、期待させないというのも、心の虐待なんじゃないかなぁ」
なんだか、心の奥がむず痒くなるような感覚があり、そのままTwitterを閉じて、 しばらくぼんやりとしていたのですが、やはり気になる言葉だったので、こうしてnoteを開いて、文章を書いています。
皆さんは、人に期待することや、期待させることって、どう思いますか?
「人に期待すること」に関して言えば、僕は三十代に入ってから、そうした心持ちになることを一切やめようと決めていて、仕事しかり、人間関係しかり、誰かに期待するような気持ちは、基本的には心の中から排除して生きているつもりです。
人に期待する気持ちを持ってしまうと、自分がコントロールできない物事に、感情をベットすることになります。
人に期待した場合、自分の思っているような行動を他人がとってくれなければ、勝手に傷つくことになるわけですよね。それを避けたいなあ、と思うわけです。
僕は、この世でコントロールできることは自分の意志と行動だけだと思っていて、他人の意志や行動を自分の思惑通りにコントロールすることは、絶対に不可能だと考えています。
なので、基本的に人に期待することをしない。
これは、僕が三十四年間生きてきて編み出した、ある種の処世術のようなものだと言えるでしょう。
人に期待しないという生き方の効能は、何と言っても「他人に振り回されずに、いつでも機嫌よく生きていられる」ということです。
誰かや何かに期待する気持ちを捨てると、心が乱れる要素が大幅に減ります。
誰かが自分の思惑通りのことをしなくても「まあ、そういうこともあるよね」と受け流すことができるし、何か期待はずれのことが起こったとしても、「そうか、仕方がないなあ」なんて思って、それで仕舞いにすることもできます。
だから、最近の僕は、だいたい機嫌よく生きています。
自分の意志や行動さえ、ブレずにコントロールできていれば、後のことはもう、どうなろうが、自然の流れに身をまかせるだけです。
極端な話ですが、たとえ明日、この世が終わってしまうとしても、それは僕自身にコントロールできないことだから、仕方がありません。
誰かがいなくなってしまったり、うまくいかない出来事が起こったり、思いもよらぬ不幸があったとしても、それはそれで、仕方がない。
ただ、目の前のできることを、僕はいつもと変わらずに、粛々と続けていくし、そのペースを崩すこともないでしょう。
さて。
ここまで書いてきて思ったのは、僕の生き方は、基本的にデタッチメント(Detachment)のスタイルを取っているのかもしれないということです。
デタッチメント(Detachment)とは、 ノンアタッチメント(non-attachment)ともされ、ヒトが世界における物事、人物、価値観などへの愛着欲求を克服し、それによってより高い視点を獲得するという概念である。バハーイー教、仏教、ヒンズー教、ジャイナ教、ストア派、道教などにおいては、デタッチメントは欲望から解放され、それ故に苦しみから解脱するという、重要な原理及び理想として示されている。
このように、デタッチメントに基づいた生き方は、生きるという行為から与えられる、あらゆる苦痛から解脱する、ひとつのライフスタイルの在り方であるとも言えます。
しかしながら、一方で、デタッチメントに基づいた生き方を選ぶことによって、僕たちは、何か大切なものを失っているのではないか、という想いもあります。
ここで、冒頭の燃え殻さんのツイートの一節に戻ります。
「相手に何も期待しない、期待させないというのも、心の虐待なんじゃないかなぁ」
相手に何も期待しない、期待させない。
それによって、たしかに、心を乱されることは減る。
でも、同時に、心はどんどん凍っていってしまうのかもしれません。
だから、デタッチメントに基づいた生き方を選ぶことによって、もしかしたら、僕たちは何か、大切なものを心の内から追い出してしまったのかもしれない。
燃え殻さんのツイートを読んで、そんなことを、ふと思ったんですよね。
誰かにがむしゃらに期待して、心を通わせようと踏ん張って、それでもうまくいかなくて、涙を流しながら、心を痛めながら、相手のことを想う——そんな強い関わりを求める願いを、僕たちは捨ててしまったのではないか。
なんだか、そんな気がしてならないんです。
今回、ツイートを引用させていただいた燃え殻さんの小説、「ボクたちはみんな大人になれなかった」は、そうした、僕たちが知らぬ間に失くしてきてしまったのかもしれない、大切なものを振り返ることができる小説です。
未読の方は、ぜひともこの機会に、読んでみてはいかがでしょうか。
今日もこうして、無事に文章を書くことができて良かったです。
明日もまた、この場所でお会いしましょう。
それでは。ぽんぽんぽん。
《2019年5月25日 追記》
わずか半年で心境はずいぶん変わった。今の僕は、デタッチメントの時期を乗り越え、コミットメント(関わり)を最重視しているかもしれない。