マガジンのカバー画像

兼藤伊太郎

1,010
「無駄」の首謀者、およびオルカパブリッシングの主犯格、兼藤伊太郎による文章。主にショートショート。
運営しているクリエイター

2020年3月の記事一覧

どうか祈りが届きますように

どうか祈りが届きますように

 老婆は床に就く前に祈りを捧げるのを日課にしていた。夜空に向け、窓辺で祈る姿は、多くの人々が目にしていたから、町にその日課を知らないものはいなかった。人々は夜の町を往来する。あるものは仕事で、あるものは遊びに。その誰もが祈らなかった。祈る暇がないほど忙しかったわけではない。誰一人として、祈りを信じていなかったからだ。
 人々は老婆にこう言って嘲笑うのだった。「もしあんたの祈りが神様ってやつに届くの

もっとみる
夜には晴れて星が出るでしょう

夜には晴れて星が出るでしょう

「あの、あなたってあの人に似てますよね」と言われれば、誰だってその「あの人」が誰かが気になるところなのに「あの人、あの、なんて言ったっけな。名前が出てこない」となるとさらに気になる。
 ヒントではないが、その「あの人」が何をやっている人なのか、例えばスポーツ選手、歌手、俳優、その他諸々だとか、他にも細々とした年齢やらなんやら、あれこれ情報が挙げられるが、いっこうに「あの人」が誰なのか、手掛かりす

もっとみる
頭の中のワニ

頭の中のワニ

 わたしの頭の中にはワニがいる。いかなる比喩表現でもなく、事実として、現実のワニがいる。現実として。
 わたしはそのワニを近所の用水路で見つけた。最初はイモリか、カナヘビの子どもかと思った。断っておくが、わたしはイモリとヤモリの区別がつかないような素人ではない。草むらや用水路はむしろわたしの住処であって、そこに住む虫や爬虫類、両生類は家族同然だ。だから、そこにワニがいるはずなどないと、わたしは思っ

もっとみる
灰を固めてダイヤにするの

灰を固めてダイヤにするの

 幼いころから話すのが苦手だった。無口な子どもで、心配した親が医者に診せに行ったほどだ。話さなくても、多くのことはどうにかなった。できる限りのことは自分でやるし、自分の力では及ばないようなことは諦めた。それはいまでも変わらない。注文するのが苦手だから外食はしない。どうしても読みたい本でも棚を探して見つからなければ諦めた。それで支障はなかった。支障はないことにしてきた。
 困るのはなにか失敗や間違い

もっとみる
reflections

reflections

 火葬場は海を見下ろす場所に建っていた。ケーキを入れる箱のような、白くて無機質な建物だ。初夏の日差しを波が乱反射させている。おろしたてのシャツは体になじまず、着心地が悪かった。ぼくはその年の春に中学、受験をしてはいるような、地元ではちょっと羨まれるような学校に入学したばかりだった。それはその学校の真新しい制服だ。
 祖父が死んだ。母方の祖父だ。脳溢血だか脳出血だかだという。夜中に電話がかかってきて

もっとみる
誰かがぼくの命を狙ってる

誰かがぼくの命を狙ってる

 ぼくは命を狙われています。なぜそんな目に遭うのか?それはわかりません。恨みを買うようなことをした記憶も無いし、特別な人間でもない。自分で言うのもあれなんですが、どこにでもいる平凡な人間がぼくです、残念ながら。
 誰がぼくの命を狙っているのか?それならわかります。ぼくの命を狙っているのは、この話の筆者です。これを書いている人間です。彼がぼくの命を狙っているのです。もしかしたら、彼女。女性が「ぼく」

もっとみる
悲しみだらけの世界で

悲しみだらけの世界で

 父は笑うことのない人だった。笑うことが少なかったのではない。ただの一度も笑ったことがなかったのだ。少なくともぼくの前では。一度、父が泣くところを見たことがある。父の母、つまりぼくの祖母が死んだ時だ。その時も確かに驚いたが、もし父が笑うのを見たとしたら、その驚きは泣いた時の比ではないだろう。実際のところ、ぼくは父が泣くところを見て少し安心した。それまでは、笑うところも泣くところも見たことがなかった

もっとみる
春を待ちながら

春を待ちながら

 彼は立っていることを命じられたのだった。いまとなっては、それがなにかの罰だったのか、それとも単なる理不尽な命令だったのかはわからない。あまりにも長い時間が流れてしまった。彼はいつから立っているのかすら忘れてしまったのだ。なぜ立っているのかなど覚えているはずがない。
 灼熱の太陽が照りつける。焼けるような陽射し。陽炎が大地を揺らす。蝉しぐれが降り注ぐ。自分の作る影が驚くほど黒いのを驚きながら見てい

もっとみる
大統領死す

大統領死す

 この話に登場する大統領はよくあるような銃口を突きつけられる類いの大統領ではない。そういう野心や、横暴さ、強さ、タフさとは無縁の存在、それが今回語られる大統領だ。では、彼が聖人君子、非の打ち所の無い好人物、善政を行い、人々を導く偉大なる指導者かといえばそうでもない。彼が大統領の座に就いたのはひとえに彼の優柔不断、日和見主義、八方美人といった性質と、愚鈍であり、媚びへつらうことしか知らず、自分の意志

もっとみる
風を撃て

風を撃て

 銃口が眉間に向けられても大統領は眉一つ動かさなかった。これは彼の胆力を端的に象徴していた。大統領は先の大戦の英雄であり、戦後は政界で頭角を現し、ついにはその地位にまで上り詰めた男だった。戦場は言うまでもなく、政界で勝ち抜くこともまた相当のタフさが求められる。平然とした顔で、その内実歯を食いしばりながら機会を待ち、それが訪れたと見るやさっと飛び掛かり確実に仕留める、それは戦場で求められるものとさほ

もっとみる
蝶

 全身から汗が吹き出した。熱帯の植物が溢れんばかりで、頭上からも覆いかぶさってくる。「温室はかなり暑いぞ」という彼の忠告に従って、上着は脱いでいたのだが、汗でシャツが肌に貼り付いた。わたしはネクタイをゆるめた。彼はランニングシャツに短パンのなりで、その服装からはとてもではないが彼が超一流の学者であることは窺い知れまい。
 学生の時分、彼の評判は変人、変わり者、良くて独特。友人は少なかった。という

もっとみる
魔王死す

魔王死す

 魔王の崩御の報せはまたたく間に世界中に広まった。病死だという。確かに魔王が節制している姿は思い描きにくい。世界中の新聞の一面、テレビのニュースはトップニュースで伝えた。もちろん、ネットニュースでもだ。コメント欄にはあれこれ投稿されたが、まあそれは触れる価値も無いだろう。とにかく、これ以上の大ニュースがあるだろうか。暗雲垂れ込めるあの暗い日々は終わりを告げたのだ。これでもう魔王の横暴や、その手下の

もっとみる
悪魔の恩返し

悪魔の恩返し

 助けたのが悪魔だった。鶴や亀でなく、悪魔だ。罠にかかって子どもたちにいじめられているそれを助けようとしている時に悪魔だと気づいたが、悪魔だと気づいたから助けるのをやめたと思われると、心の狭い奴だと思われそうでそのまま助けた。悪魔だって困ることはある。鶴や亀と同じように。
 善行には報酬があるのものだが、助けたのが悪魔なので、まったく期待はしていなかった。なにしろ悪魔だ。悪事を働く以外にできるこ

もっとみる
星を繋ぐ

星を繋ぐ

 祖父に星を見たいから外へ連れ出してほしいと言われた時、わたしは首を傾げた。祖父にはわたしのその首を傾げる姿は見えていない。なぜなら、祖父は盲目なのだから。盲目なのに、星を見ることなんてできるだろうか。できるはずがない。
 夏休みと冬休みの年二回、わたしの家族は母の実家に帰省した。父の方へは行ったことがない。そこには複雑な大人の事情のようなものがあるようだったが、小さい頃には知る由もないし、事情

もっとみる