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頭の中のワニ

 わたしの頭の中にはワニがいる。いかなる比喩表現でもなく、事実として、現実のワニがいる。現実として。
 わたしはそのワニを近所の用水路で見つけた。最初はイモリか、カナヘビの子どもかと思った。断っておくが、わたしはイモリとヤモリの区別がつかないような素人ではない。草むらや用水路はむしろわたしの住処であって、そこに住む虫や爬虫類、両生類は家族同然だ。だから、そこにワニがいるはずなどないと、わたしは思っていた。いるはずがないが、それはワニだった。小指の先に乗るほど小さなそれは小さいながらもワニの大きな口を持ち、背中のゴツゴツはワニ皮のそれだった。サイフを作るには絶対足りないけど。わたしは指先にワニを乗せ、鼻先までそれを持ってきてまじまじと観察したから、間違いない。それはワニだ。
 わたしは惚れ惚れとワニを見つめた。小さいとはいえ、それは本物のワニだ。本音を言えば、草むらや水辺の、わたしの家族たちとも呼べる生き物たちは、わたしにとってワニの代替物だったのだ。わたしはいつもワニに憧れていた。子どもの頃からずっと。図鑑でその姿を見た瞬間に恋に落ちた。美しいフォルム、洗練された野蛮。こう言ったら彼らに悪いけど、ワニがいないからイモリやカナヘビでわたしは憧れの心を埋めていたのだ。いや、もちろんイモリやカナヘビやヤゴやタガメも大好きだけど、ワニは手が届かないからこそ特別だった。そのワニが、目の前にいるのだ。いつまでだってそう見つめていられるくらいだった。
 そうして見つめているうちに、夢中になって顔に近づけ過ぎたせいか、息をした拍子にワニを吸い込んでしまった。それは鼻の奥に取りつき、わたしはクシャミをしたものの、ワニは出てこず、そのまま鼻を奥に進み、頭の奥に入ってしまった。そして、そこの居心地が良かったのか、そのまま住みついてしまったのだった。
 頭の中でワニは普段はジッとしている。野生のワニもそんなものだ。ジッとして、獲物のやって来るのを待つ。もちろん、頭の中に獲物、ガゼルやヌーがやって来るわけはない。頭の中には彼らのやって来るような水場は無いし、あったとしてもガゼルやヌーはわたしの鼻の穴からはたぶん入れないだろうし、たとえ入ったとして、頭の中のワニはとても小さいからそれらを捕まえて水に引きずり込むことはできないだろう。じゃあ、頭の中のワニはなにを食べるのだろう。食べ物なんて無いのじゃないか?すぐに餓死してしまうのじゃないか?そう思っていたけれど、頭を少し動かすとその中で動くのが感じられたので、ワニが生きているのがわかった。
 ワニはわたしの喜びを食べていた。わたしになにか嬉しいことがあると、頭の中に生まれたそれを大きな口でパクリとひとのみするのだ。すると、わたしのその気持ちは途端に冷めてしまう。友人からの心のこもったプレゼントも、大好きな人からの愛の告白も、わたしが喜びを感じた途端にワニに食べられ、色あせ、どうでもいいものになってしまった。どんなに食べてもワニは満腹にならないようだった。わたしは喜びを感じなくなった。
 ワニはわたしの怒りも食べた。怒りを食べるとワニも怒りっぽくなるのか、頭の中で暴れるのだった。その騒々しいと言ったらない。頭の中で大きな銅鑼がガンガン鳴らされるみたいで、頭を抱えのたうち回ることになった。わたしはそれで、怒りに怒って、ついには世界中を焼き払ってやろうとまで思うのだった。



No.126

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