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どうか祈りが届きますように

 老婆は床に就く前に祈りを捧げるのを日課にしていた。夜空に向け、窓辺で祈る姿は、多くの人々が目にしていたから、町にその日課を知らないものはいなかった。人々は夜の町を往来する。あるものは仕事で、あるものは遊びに。その誰もが祈らなかった。祈る暇がないほど忙しかったわけではない。誰一人として、祈りを信じていなかったからだ。
 人々は老婆にこう言って嘲笑うのだった。「もしあんたの祈りが神様ってやつに届くのなら、あんたはもっとまともな暮しをしているだろうに」
 老婆の生活は控えめに言って悲惨だった。町のはずれの、少し風が強く吹こうものなら倒れてしまいそうな掘っ立て小屋で、ひとりわびしく暮らしていた。針仕事で雀の涙のような金をもらうこともあったが、食う金にも困り飲食店のお恵みで食つなぐようなこともしばしばだった。
 老婆は自分を嘲笑う人々にこう答えた。「わたしは自分の身の回りのことを祈っているのではありません。この世の中すべてに災いが降りかからないようにと、平安が続きますようにと、そう祈っているのです」
 そんな老婆の家に、ある晩強盗が入った。町から町へと渡りながら仕事をする類の強盗だろう。でなければ、そこに盗みに入ることが徒労に終わることがわかっていたはずだからだ。老婆の小屋には盗むべきものなどなにひとつなかった。使い込まれた食器に、ボロボロの服、ゴミ捨て場とたいして変わらない。金目のものなど期待できるはずもない。あるいは、老婆が若い娘であれば、強盗たちにも奪うものがあっただろうし、彼女にも差し出すものがあったかもしれない。奪えるもののないことに怒った強盗は、老婆を殺してしまった。命、それが唯一奪えるものだったから。
 その事件を耳にした町の人々は嘲笑った。「祈っていた平安も続かなかったってわけだ」
 老婆は共同墓地に埋葬され、人々はそんな老婆のことはすぐに忘れ、それまでと同じように、働き、遊び、あるいは騙し騙され、悪事を働いたり、ささやかな善行をなしたりした。
 しかし、人々は世界が一変してしまったのを知ることになる。
 日照りが続き、農作物はほとんどできなかった。嵐が来て、町を水浸しにし、疫病が流行って多くの人がそれに倒れた。地震が町を揺らし、多くの建物が倒れ、その中にいた人々を下敷きにした。人々の心は乱れ、些細なことでいさかいが起き、殴り合いになることも多く、簡単に人が殺されるようになった。町には次から次に不幸が降りかかった。それは終わることのない不幸の連鎖だった。それぞれに原因が求められ、対策が練られるが、いつも事態は想定を超えて訪れ、そのたびに多くの人が傷つき、命を落とした。
 なにかがおかしい。人々はそう考えた。なにかがおかしい。そうして、ひとつの答えにたどり着いた。
 祈りがなくなったのだ。老婆が捧げていた祈りが。平安を求める祈りが。老婆の祈りは届いていたのだ。その祈りは、届いている限りにおいて、その祈りが届いていることはわからないものなのだった。そして、それの失われたときはじめて、祈りの届いていたことを知ることになったのだ。
 人々は祈った。「どうか祈りが届きますように」


No.128

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