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魔王死す

 魔王の崩御の報せはまたたく間に世界中に広まった。病死だという。確かに魔王が節制している姿は思い描きにくい。世界中の新聞の一面、テレビのニュースはトップニュースで伝えた。もちろん、ネットニュースでもだ。コメント欄にはあれこれ投稿されたが、まあそれは触れる価値も無いだろう。とにかく、これ以上の大ニュースがあるだろうか。暗雲垂れ込めるあの暗い日々は終わりを告げたのだ。これでもう魔王の横暴や、その手下のモンスターたちの極悪非道に怯えながら過ごさなくてもいい。人々は歓喜し、閉じこもっていた部屋から飛び出し、広場で歌を唄い、踊った。花火が打ち上げられ、ご馳走が用意され、隠しておいたぶどう酒で乾杯が上げられた。世界中の人々が喜んでいた。いや、例外がいた。勇者の一行である。
 宿屋の一室、勇者は寝台に腰掛けうなだれている。戦士は床にあぐらをかき憮然とした表情をし、僧侶は椅子に背をあずけ、宙の一点を見つめ、魔法使いは窓の外にぼんやりとした視線をやっている。一応、その先には彼らの馬車があり、それに繋がれた馬もまたうなだれているように見えた。馬車には様々な武器や防具、薬草や魔法の道具が詰め込まれている。そのどのひとつにも思い出と思い入れがある。なにしろそこまでの旅路は艱難辛苦を舐めるようなものであり、波乱万丈では足りないようなものだったからだ。
「なあ、覚えているか?」勇者が戦士に向かって力無い声で言った。いつもの仲間たちに檄を飛ばす声とはまるで違う。「最初の頃はさ、ちょっとしたモンスターにも青息吐息だったんだよな。お前の会心の一撃がなけりゃ全滅してもおかしくないこともあった」
「ああ」戦士も力無く笑った。こちらもいつもの豪快な笑い声の見る影もない。「あのときのお前の焦った顔といったらなかったぜ」
「わたしはまだ」と僧侶はいつも通りの静かな声だったが、いつもの沈着冷静というよりも、疲れ切ったそれだった。「その時はパーティーに加わっていませんでした。見てみたかったですね、おふたりがまだ弱かった頃」
 戦士は笑った。「笑えるほど弱かったよ、俺たちは」そして大きく息を吸い込んだ。「それがよくここまで来たもんだ。あの頃必死の思いで倒してたモンスターなんて、いまじゃ一撃だぜ。素手でも一撃だ。魔王の奴を倒すのも時間の問題だった。よくここまで来た。よくここまで来たもんだ」
 そして、沈黙。外では人々が歓喜の歌が嫌になるほど聞こえてくる。
「我々は」と魔法使いは言った。「本来一番喜ぶべきなのかもしれないな」
「なぜだ!」戦士が勢いよく立ち上がった。
「なぜ?」魔法使いはため息をついた。「我々が目指していたのは、魔王をなき者にすることだった」
「だった。そう、過去形で語ることになった」勇者は言った。「もう魔王はいない。我々の求めていたことだ。魔王はいない」
 そして、また一同沈黙。外では少女たちのはしゃぐ声がする。
「なにを落ち込むことがあるんだ?魔王は死んだ。それでいいじゃないか」勇者は言った。「それでいい。それでいいんだ」それは自分自身に言い聞かせるような口調だった。そして、立ち上がると窓際に行き、外を見た。人々の幸せそうな顔。「これでいい。これでいいんだ」
 そして、世界は平和になった。


No.117

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