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風を撃て

 銃口が眉間に向けられても大統領は眉一つ動かさなかった。これは彼の胆力を端的に象徴していた。大統領は先の大戦の英雄であり、戦後は政界で頭角を現し、ついにはその地位にまで上り詰めた男だった。戦場は言うまでもなく、政界で勝ち抜くこともまた相当のタフさが求められる。平然とした顔で、その内実歯を食いしばりながら機会を待ち、それが訪れたと見るやさっと飛び掛かり確実に仕留める、それは戦場で求められるものとさほど違いはなかった。
「まさか君が」と大統領は手にしていたナイフとフォークを置き、ナプキンで口元を拭いた。メインディッシュのステーキを一切れ口にした時のことだった。「そんな真似をするとはな」そしてワインに手を伸ばそうとしたところで、銃口を向けている男の手に力がこもるのがわかった。大統領は動きを止めた。「君は非常に優秀な護衛だ。わたしはこれまでの人生で君ほど優秀な人間を見たことがない。護衛としてだけではなくね」
「ありがたいお言葉です」と護衛の男は銃口を向けたまま言った。護衛の男もまた、大統領と同じ人種とあった。タフでしたたかな男。もし立場が逆であれば、護衛の男も大統領と同じように眉一つ動かさなかっただろう。
「お世辞ではないよ」と大統領は言った。「優秀な君がなぜそんな真似をするんだね?」
「閣下は」護衛の男の声は少し震えていた。それをあらわにすまいと、彼は必死だったが、その必死さを大統領は簡単に見抜いていた。それは生き抜くために培われた洞察だった。相手の怯えを的確に捉え、容赦なくそこを叩く。生き抜くために身につけた習性。「この戦争をどうお考えですか?」
「戦争?」
「我々の今戦っている戦争です」
「ああ」と大統領は膝を打ち、執務室の壁に貼られた地図を思い出した。「戦争、ね」
 それは完全な泥沼状態であった。多くの若者が戦地に送られ、そこで命を落としていた。ゲリラに殺され、風土病に殺されていた。国内では反戦運動が活発になっていた。
「あなたの決断しだいで」と、護衛の男は言った。「犬死にする若者を救うことができます。あなたは真の英雄になることができます」
 大統領はため息をついた。「なぜそんな真似をしなければならん?」そしてグラスの水を飲み干した。「我々は着実に勝利に近づいている」
 護衛の男は首を振った。「わたしの幼馴染みが戦線に送られていました」
「その男は」と大統領は口を拭った。「君ほど優秀ではなかったのだな。優秀であれば、ここでこうして座って、高みの見物ができる。わたしや、君のように」
「いいヤツでした。とても」護衛の男は口を歪めた。おそらく、涙を堪えていたのだ。「彼は手紙で劣勢を伝えてきていました。我々の向かっているのは、泥の中での垂れ死ぬことであると」
「で」と大統領は言った。「その男はどうなった?」
「死にました。戦地で」
 それを聞き、大統領は鼻で笑った。
「心が痛みませんか?」
「それはどこか他所で起こったことだ。我々には関係ない。君はここに並んだ肉を見て牛を悼むかね?」
 護衛の男は引き金を引いた。


No.119

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