noteで見つけたホロコースト否定論の記事を反論してみよう。
たまたまだけど、「ホロコースト」でnoteサイト内を検索して最初に見つかった否定論の記事を反論してみようかなと思いました。対象記事はこちら。
無断で反論するのもなんなので、一応コメント欄に反論するよーと案内しておきました。対象記事の投稿日時は「2023年10月24日 11:32」となっています。noteは投稿以降いつでも編集可能ですが初回公開時点の投稿日時しか表示されないので、投稿日時を明記しておくことにしました。これはこの投稿自身もそうですのでご留意願います(私は記事によっては投稿後でも頻繁に書き直しています)。
では早速。
使用されている参考文献について
とあるのをみて、正直に言えばガックリ来たと言うのが本音です。とりあえずまず言っておきたいのは「アウシュビッツ「ガス室」の真実」なる著書名の書籍は存在しないことです。西岡昌紀氏の当該書籍のタイトルには2種類あります。
前者は、マルコポーロ事件の後、2年後の1997年に日新報道から出版されたものであり、後者は2021年に沢口企画なる謎の出版社(笑)から出版されたものです。内容は同じ内容のようですが、タイトルが微妙に違います。前者は「アウシュ【ウ】ィッツ」であり、後者は「アウシュ【ヴ】ィッツ」となっています。しかしどちらも「アウシュ【ビ】ッツ」ではありません。件の収容所の名前は「Auschwitz」と表記されますので、「w」はドイツ語の場合、「ヴ」と濁点付きで表記するのが多いようなので、「アウシュヴィッツ」と書かれることが一番多いようですが、日本語として発音の変わらない「アウシュビッツ」もまぁそれなりに多いようです。それに比べると、西岡氏の最初の版の本にある「アウシュウィッツ」はあまり見ない表記です。
追記:忘れていましたが、2024年現在、当該の西岡本にはもう一冊、正確に言えばもう二冊あります。
上がペーパーバック版、下がAmazon Kindleの電子本版(後述している通りKindle Unlimitedに契約すると無料で読めます)です。どちらも、22世紀アート社によるものですが、こちらは沢口企画版とは異なって、注釈が省略されていない、最初の日新報道版とほぼ同じ内容になっているそうです。
細かい話なのでどーでもいいと言えばそうなのですが、西岡氏の最初の本が出た時には、そのタイトルで結構いじられていたのです。学者先生は「正しくはアウシュヴィッツと表記するのだ!」とうるさいからです。私はわかりさえすればその程度どうでもいいと思うんですけどね。ただ、自分自身が参考にした著書名を間違えるのはマナーとしてあまりよろしくないように思われます。
それで、ガックリ来たのはそのことではなくて、「おいおいたった二冊の本でそう判断するの?しかもその本って…」と思ったからですね。『600万人は本当に死んだのか?』(以降、ハーウッド本と呼ぶ)については、その中の赤十字に関する内容の章を自分で調べてあまりのデタラメ・嘘ばかり書いていることに呆れたわけですし、
西岡本については前述したKindle Unlimitedを契約していた時期にさらっと目を通した程度でちゃんとは読んではおりませんが、西岡氏自身と旧Twitter上で散々バトルしてますし、noteでもいくつか記事も書いています。
追記:この記事を書いた後に、西岡本については、徹底的に反論した記事を以下の通り、アップしています。
これらの内容はさておき、たった二冊でホロコースト否定を知った気になるようなそれってどうなの?って思ってしまいます。せめて、否定論なら歴史修正主義研究会くらいは目を通しておいて欲しいものですが、ホロコーストの基礎知識を、日本では定番の入門書になっている以下の本くらいは読んでおいて欲しいものです。
否定派にはこの本の内容に文句を言う人も多いのですが、この本はあくまでもホロコーストの定説についての入門書という位置付けであり、否定論を信じるにせよ、細かいところまでは覚えなくとも、この本に書かれている程度の基礎知識を身につけておかないと話にならないと思います。
さて、その西岡本は全文を西岡氏が自身のブログで公開されているのですが、リンクがどこだったか忘れました。本と違ってテキストだけなので、ちょっと残念ではありますが、読めないことはないので見たい人は自分で探すか、AmazonのKindle Unlimitedのサブスクを契約すれば無料で読めます。
ハーウッド本については、私が翻訳したものがあります。
反論対象記事にある美浜修訳は、Amazonで売ってます。
英語版はAmazonでは、ホロコースト否定に対する商業的規制の流れで、発禁処分になっているのですが、日本は関係ないようです。しかしこの本は私はもちろん読んだことはありませんが、内容は以下のものだと思われます。
このページの作者は、X(旧Twitter)では多分最も熱心なホロコースト否定論者(美浜@lumberwendigo)で、何度かやり取りしたこともありますが、彼は私を非表示にしてしまっており、こちらからリプ等しても相手してくれません。たまーに彼が非表示を外して質問してくることがあるくらいです。私が見る限り、ほとんど狂信的なほどにホロコースト否定論を信じている上に、否定論に反論するような私のような人を完全に見下しています。色んな信者さんにありがちな態度ではあります。
多分、沢口企画の沢口社長が、ネットで見つけて美浜にどうにか連絡を取って許可をもらい自主出版したのでしょう。
さて、では対象記事の内容について具体的に反論していきましょう。なお、あまり細かすぎる反論はしないこと、私が知らない話は単純にすっ飛ばす方針であることは最初に断っておきます。
なお、対象記事からの引用は、その他の引用と区別するため、区切り線(スマホでは区切り線が表示されないことがあるので)▼▼▼▼▼と▲▲▲▲▲で囲って全文強調表示になっている部分とします。
対象記事への反論
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いいえ。先日やっと完成したヘウムノシリーズの翻訳記事の中に、以下のような文書がありました。
1941年7月16日、ポーランドのヴァルテ管区で、ポーゼンの移住センターの責任者をしていた国家保安本部のロルフ・ハインツ・ヘップナー親衛隊少佐が、当該地区で議論した結果として国家保安本部のアドルフ・アイヒマン中佐に送った文書です。
以下に必要な箇所だけ内容(日本語訳)を抜粋します。強調は私によるものです
1941年7月は、定説的にはまだユダヤ人絶滅が決定した時期ではないとされていますが、このようにユダヤ人問題の解決としてユダヤ人を殺すことをナチスドイツが検討していたとしか読めない文書が残っているのです。これはどう読んでも「ドイツが意図的なユダヤ人虐殺を検討していた証拠となる文書」です。他にもまだあると思いますが「1枚たりとも存在しない」と仰っておられますので、一枚示せば反論として事足りると思います。
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これについては今まで何度もあちこちで私は言ってきたのですが、ホロコースト否定派の主張は「ホロコーストは捏造だ!」なので、命令書が存在しないことは捏造説に反しているので、むしろ否定説にとってこそ極めて不可解なことである、と考えます。なぜホロコーストの捏造者は決定的な証拠となるはずのヒトラーの命令書を捏造していないのでしょう? これについて否定派から説明があったことは一度もありません。
よく知られている、否定派が捏造と主張する文書には、例えばヴァンゼー議定書がありますが、ヴァンゼー議定書には明示的なユダヤ人殺害の文言はなく、修正主義者の中には捏造とは考えない人もいるくらいの文書なのに、それでさえ捏造ならば、どうしてヒトラーの命令書のようなはっきりした証拠としてのユダヤ人絶滅の命令書が捏造されていないのでしょう? ホロコースト捏造説が正しいのなら、ヒトラーの命令書がないことは考え難いことなのではないのでしょうか?
定説側としては、ヒトラーのユダヤ人絶滅は口頭でなされた、と考えているので命令書がないことは不可解でも何でもありません。ユダ人を何百万人も殺すだなんて前代未聞の大犯罪ですから、証拠を残すわけにはいかず、命令書は作らなかったとして当然でさえあります。ばれると不味い命令を文書で残さないなんて、当たり前の話に過ぎません。
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「意外なことに」とありますが、少し学ぶだけでわかりますが、前述した柴氏の本にも書いてある当たり前の知識でしかないのです。「マダガスカルへユダヤ人を放逐してしまえ!」というアイデアは古くからあり、反ユダヤ主義者のドイツの思想家パウル・ド・ラガルドは、1885年に著した『ドイツ論』の中で、すでにマダガスカル計画を書いているそうです(芝、前傾書)。ポーランド政府は確かにドイツよりも先んじてマダガスカル計画を考えていたようですが、国家としてはポーランドが最初かもしれませんが、それよりも先に、イギリスの反ユダヤ主義者(ヘンリー・ハミルトン・ビーミッシュ)が計画していたりします(芝、前傾書)。
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これはハーウッド本からの丸写しなだけですが、シャハトプランなんて知らなかったので、自分自身の勉学のために以下から翻訳してみましょう。
なんか、ハーウッドが書いてることと違うと思うんですが、あんまり主題に関係ない話なので飛ばしましょう。
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それら「移住」者の数が正しいかどうかはさておき(ハーウッドはそのデータの出典を示していないという問題もあります)、ハーウッドが無視しているのは、じゃぁどこへ移住したか?です。ハーウッド本ではあたかも出国したユダヤ人全員がパレスチナに移住したかのように書いていますが、実際にはそうではありません。フランスやポーランド、ハンガリーなど周辺諸国へも多く移住していたのです。参考として、コルヘア報告の「IV. ドイツからのユダヤ人の移住」では、1943年1月1日までで、旧帝国(ズデーテンランド含む)からの移住者352,543人のうち、約144,000人がヨーロッパ諸国へ移住したとあり、「39,000人がポーランドまたは総督府へ、18,000人がフランスへ、8,000人がイタリアへ、7,500人がオランダへ、6,000人がベルギーへ移住した」とあります。コルヘア報告には「これらの移民の大部分は、これらの国から海外に向かったと考えられる」ともありますが、その数字・比率等は書かれていません。仮にその半数がそれらの国に残ったとすればおよそ4万人は結局はドイツ支配圏にいたことになります。
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この訳のわからないハーウッドの難癖は、ナチスドイツが政権獲得以来、ユダヤ人を徹底的に政策的に迫害してきた事実を無視するというとんでもない暴論になっている訳ですが、それよりもおかしなことは「宣戦布告」とは国が国に対して戦争を行うときにするものであって、国を持たない単なる一指導者であるに過ぎないワイツマンがドイツに宣戦布告的な主張をしたところで、宣戦布告にはなりません。たとえ、ワイツマンがどんなにドイツに敵対的な主張をしたからと言って、ユダヤ人の全てを拘束する理由にもなりません。
なお、ハーウッド本ではワイツマンが「ユダヤ人は英国に味方し、民主主義国家の側で戦う。ユダヤ人機関は、ユダヤ人の労働力、技術力、資源などを活用するための取り決めを直ちに行う用意がある」と述べたと書いてありますが、「英国」はハーウッドが勝手に付け加えたものであって、原文にはそんなこと書いていません(リップシュタット、『ホロコーストの真実(上)』、p.230)。ハーウッドは書いてないことを書いてあると言い、書いてあることを書いてないと平然と嘘をつくので本当に悪質なのです。元々それをやったのはポール・ラッシニエらしいですが、そのうちラッシニエも調べようと思っています。
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……あのぉ、じゃぁどうしてユダヤ人を移住させようとしたのですか? 労働力として必要なのに移住させてユダヤ人をいなくするって、めちゃくちゃ論理が矛盾してるんですけど? 素人的ホロコースト否定者って、どうしてこれれほど明らかな誰にでもわかる単純な矛盾した論理を平気で主張するのかわけがわかりません。
ユダヤ人労働力確保説に一理もないとは言いません。実際に、ナチスドイツはユダヤ人の一部を労働力として使ったことは事実だからです。ですがそれは、どうせ死んでもらうんだから、もったいないと考えて、死ぬ前に少し使っておこうとしただけの話です。国家保安本部(RSHA)はユダヤ人をできるだけ殺そうとしましたが、経済管理本部(WVHA)は労働力を確保したがっており、RSHAとWVHAは対立する関係にありました。とは言え、WVHAは別にユダヤ人絶滅に反対してなどいません。平たく言えばRSHAが殺そうとして収容所に集めてきたユダヤ人の一部をWVHAが労働力として使わせてもらっていただけのことです。
それに、何百万人ものユダヤ人を労働力としてもし使おうとするのであれば、その規模の収容施設も必要だし、食料などの維持コストも莫大なものになってしまいます。ナチスドイツが東方地域へ侵略したのも、そもそも食料確保が大きな課題の一つだったからです。それほどドイツ自身が逼迫しているのにどうして大勢のユダヤ人を食わせなきゃならんのでしょうか? ユダヤ人を労働力にするってそういうことなのですよ? しかし、何百万人ものユダヤ人を収容して養っていく能力などナチスドイツにはありませんでした。労働力にできたとしても、せいぜい数十万人くらいが限度でしょう。最大の収容施設・ゲットーであったワルシャワゲットーでさえもせいぜい45万人程度しかユダヤ人を置いておけず、その大半は労働力としても使えず(詰め込みすぎによる酷い衛生状態と悪すぎる食料事情など)、全てのゲットーだけでもトータルで百万人以上の疫病・餓死者(他、処刑も含まれる)が出ているくらいだったのです。
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この人、ハーウッドよりもさらに酷いですね。これは、ハーウッド本ではこう書かれています。
この話、私もそんなに詳しくは知らないのですが、要するにアイヒマンがブダペスト援助救済委員会のメンバーの一人であった、ハンガリー系ユダヤ人のジョエル・ブランドに取引を持ちかけたという話なのです。簡単に言えば、1944年の春頃にハンガリーを占領したナチスドイツでしたが、この頃すでにドイツは物資が不足しており、ユダヤ人を取引材料にしてユダヤ人を何万人も助けてやるからその代わり、たくさんの軍事トラック(その他物資)を連合国から仕入れてこい!とブランドに持ちかけたのです。ヒムラーの発案だったようで、ユダヤ人の命と引き換えに軍事物資を入手しようという魂胆です。要するに、アイヒマンはブランドを脅迫したのです。なぜそんな脅迫が通用したかと言えば、この時期、もうすでに知ってる人は知ってたからです、ユダヤ人がナチスドイツによって大量絶滅させられていると。ブランドは「気が狂いそう」な気分でアイヒマンと交渉していたホテルを出て、イスタンブールへ飛んだのです。当たり前です、自分の交渉に何万人ものユダヤ人の命がかかっていたからです。しかし交渉の窓口になったイギリス軍人はブランドの取引を怪しいと見抜いたため、失敗に終わったのです。
ハーウッドは上の引用の最後で「ロシア戦線専用トラック1万台と引き換え」とチラッとは書いていますが、ブランドがイスタンブールに飛んだのはそれを連合国と交渉するためであって、ゲシュタポの容認なんか関係ありません。アイヒマンはブランドとの面談でこう言ってのけたそうです。
交渉失敗の結果、ハンガリーユダヤ人は40万人以上アウシュヴィッツに送られ、そのうち7割以上がガス室で絶滅させられました。
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チェンバーズ百科事典によれば、戦前に欧州で暮らしていたユダヤ教徒は650万人だった。
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これはとっくに否定されている説ですね。チェンバース百科事典に書いてあるのはこうだからです。
チェンバース百科事典に記載されているこの数字が正確なのかどうかは関係なく、ロシアが除外されていることをハーウッドが隠し、「六五〇万」を欧州全体のユダヤ人の人数としたことは単純にウソです。
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『Baseler Nachrichten』が本当はどう書いていたのかは知らないし、その数字が仮にそう書いていたからと言って、それが正しいかどうかも何も証明されていません。しかし、ハーウッドは『Baseler Nachrichten』に関し、次のようにも書いています。
しかしこれもウソだと暴かれており、『Baseler Nachrichten』はその後に犠牲者数を580万人だと訂正しているそうです(リップシュタット、前掲書、p.245)。これらのことから見ても、ハーウッドの記述は信用するに値しません。
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私の過去記事を読んで来られた方ならば当然知っておられると思われますが、このニューヨーク・タイムズ紙に書かれたハンソン・ボールドウィン氏の記事が起源・発端となっているデマであるアルマナック・デマの解説は、わざわざ私自身で近所の図書館まで出かけて調査した結果として以下で示しています。
なお、ハーウッド本には「1938年の世界年鑑によれば、世界のユダヤ人の数は16,588,259人」と確かに書いてありますが、確認は取れていませんが16,588,259人はハーウッドの間違いのように思われます。その時期のワールド・アルマナックのユダヤ人人口表に書かれていたとされるユダヤ人世界人口で、1600万以上は見たことがないからです。例えば適当にググって引っかかったこのページには「15,748,091人」とあります。ただし、上の私の記事内にある通り、ユダヤ人の世界人口についてはアルマナックには二つの表がありどちらの値なのかがわからないので、断定はしかねます。
いずれにしても、そのニューヨークタイムズの記事やワールド・アルマナックにあるユダヤ人世界人口の人口値を使うのは詐欺でありデマなので、どうでもいい話です。終戦直後の当時に推計されていたユダヤ人人口がアルマナックとは別に存在していることは、以下の記事にあります。
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ハーウッドが、その本の第9章である赤十字に関する内容で嘘をつきまくっていることは調べているので、既に示していますが以下を参照ください。
上の記事内では紹介していませんが、ハーウッドは「戦時中、赤十字委員会はユダヤ系福祉団体などから集めた資金で救援物資をユダヤ教徒に届ける立場にあった」について以下のように書いています。
ところが、その赤十字の報告書のp.644にはこう書いてあるのです。
「この後者の組織は、アメリカの参戦までドイツ政府からベルリンに事務所を置くことを許されていた」だなんて赤十字報告書の当該ページ周辺を見渡してもどこにも書かれていませんが、ドイツ支配下ではユダヤ人団体は活動できなかったと書いてあるのですから、ハーウッドの嘘である確率は高いですね。
ともかく、示した通り、赤十字の章もハーウッドの嘘ばっかりなのでその記述は信用に値しません。
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これ、西岡氏がずっと使い続けている呪文の一つです(「毒ガスで殺された死体は一体も確認できていない」)が、私は何度もそれは違うと言ったのに聞き入れてくれませんでした。ガス殺死体自体の法医学的報告はあるんです。一体どころではなく、「死体遺棄者623人中523人」です。
多分、欧米のプロレベルの修正主義者ならもう「ガス殺死体の報告は一つもなかった」とは言わないはずです。否定派お決まりのように上記報告が捏造であると主張するのは別として。しかし、冷戦時代ならともかく、冷戦崩壊後になってもこれを疑うのは無理があると思われます。かなりロシアの公文書館を自由に調べることができるようになってなお、ソ連がホロコーストの件を捏造していただなんて証拠は一切出てきていないからです。
なお、アウシュビッツやトレブリンカなど、固定式ガス室でのガス殺遺体に関しては、確かにガス殺が証明された遺体は一体も見つかっていません。もちろんそれは、少なくともアウシュヴィッツでは、その遺体の全てが火葬されてしまったからであり、トレブリンカなどの他の絶滅収容所でも大半が火葬処分されているようであり、一部は遺体がまだ埋まっているようですが、それが掘り起こされて検死されたという報告は全くないようであり、いわゆる絶滅収容所で遺体として検死を受けてガス殺死体だと断定されたものはありません。
ですが、純粋に論理として、検死されて証明されたガス殺死体がなかったからと言って、ガス殺がなかった、にはなりません。またその推定を否定するものでもありません。証拠は膨大にあります。その一部は以下で紹介されています。
これでもほんの一部に過ぎません。
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ガス室と書かれていないからガス室の設計図ではないとは言えません。そもそも、害虫駆除剤は基本的に密閉可能ならばどこででも使用できました。害虫駆除剤なんだから、そうでなければ困ります。殺人ガス室のような秘匿性の高いものを、「人殺し用ガス室(Menschengaskammer?)」と図面に書いて残す方がバカです。
ビルケナウでは、最初こそ死体安置室として使おうと考えていた部屋の一つを、殺人ガス室として使いやすいように少しだけ設計変更しました。その詳細については以下のプレサックの本を入念に読み込む必要がありますが、
プレサックはその図面の変化を読み取って例えば以下のように考察しています。
この全てが正しいとは私自身は考えていませんが、以上のようなプレサック本の内容と、その他の文書や証言証拠などを組み合わせれば、殺人ガス室であったとしか解釈の他はありません。
なお、「後から建設された第二アウシュビッツ(別名ビルケナウ収容所)は最初から「ユダヤ人絶滅」の目的で作られたとするのが定説側の主張」だったこともあるようですし、今もそう考える人もいるようですが、修正主義者が嘘つきとするアウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスはこう書いています。
戸外での野外焼却とは、ビルケナウに最初にあった二つのブンカーでのユダヤ人絶滅の際に実施された遺体の焼却作業のことです。上の文章は、このブンカーでのユダヤ人絶滅・焼却の後で火葬場が建てられるようになったと読めますが、そうではありません。ブンカーでのユダヤ人絶滅の最中にビルケナウの火葬場は建設が始まっており、その建設の開始後に遺体の野外焼却が始まっているので、これは建設の最中に計画変更及び設計変更が行われたと読まねばなりません。
つまり、ビルケナウでの火葬場が建設されている最中に、ユダヤ人のガス室による絶滅を、火葬場の死体安置室の一つをちょっとだけ設計変更して、火葬場の建物自体でガス殺と火葬処理の両方を行えるように変えたのです。それは既に前年からアウシュヴィッツ第一収容所でやっていたことでした。
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ニュルンベルク裁判ではそうかもしれませんが、現地ポーランド当局はポーランドでの刑事裁判のため、アウシュヴィッツ収容所を「実地検分」してます。プレサック本にはその時の写真が何枚か載ってますが、自分で翻訳しておきながらこんなこと言うのもあれですけど、あまりにもでかい本なので探すのがめんどくさ過ぎて、ご自身で読んでみてください。一応一枚だけ実地検分時の写真を以下に。
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同様に、戦後に存在していなかったとしても、書いてある通り証拠隠滅された可能性があり、少なくとも「なかった」とも証明することはできません。
私は、アウシュヴィッツ以外はあんまり知らないのですけれど、ヘウムノ、ベウジェツ、ソビボル、トレブリンカでユダヤ人がナチスドイツによって大量虐殺されたことは間違いなく証明されています。その一つは、当然コルヘア報告です。
ここには以下のような記述があります。
この総督府の数字については、イギリスによって暗号が解読されていたヘフレ電報がそれを裏付けています。
全く同じ総数が書かれています。日付も同じです。つまり、RSHAはラインハルト作戦の責任者の一人であったヘフレ少佐からこの電報により数字を受け取ってベルリンでまとめ、コルヘアに伝え、それがコルヘア報告記載の数字になっているとしか考えられません。それぞれアルファベットは、Lはルブリン(マイダネク)、Bはベウジェツ、Sはソビボル、Tはトレブリンカになります。
否定派は、コルヘア報告には処刑や殺害等の直接的記載はなく「疎開」としか書かれていないことから、これは書いてある通りそれら収容所が通過収容所であったことの証明であると主張します。ところが、そのように解釈することはできません。なぜなら、その書いてある四つの収容所+ヴァルテガウの収容所を通過して東部へ送られたユダヤ人など、ただの一人も存在しないからです。それら五つの収容所へユダヤ人が送られていたこと自体は否定派も否定しないのですから、東部へ送られたユダヤ人が存在しないことは、それら収容所が通過収容所ではなく、絶滅収容所であったとしか考えようがありません。
しかも、コルヘア報告は草稿があり、草稿自体は見つかっていないものの、ヒムラーによる文言変更の指示があったことが判明しています。そして、コルヘアは戦後に余計なことを述べており、それらのことから、コルヘア報告に記載された「東への疎開」とは、ユダヤ人絶滅に他ならないことが判明しています。
ヒムラーが第5章4項を書き換えさせたのは、その項目が絶滅収容所であったからであり、ヒムラーはコルヘア報告を有用なユダヤ人絶滅をカモフラージュするための資料と考えていたので、そこに「特別処置」と書かれては困ると考えたからに違いありません。なぜなら、ヒムラーは当然「特別処置」の意味を知っていたからです。自分でそう言っているのです。
ガス室の物的証拠が残っていなくとも、証言証拠を含む全ての証拠はそれら収容所が絶滅収容所であったとしか考えられないことのみを示しており、ガス室があったとする証言はこれらの事実に矛盾していません。
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ディーゼルエンジンで殺人が出来ないわけではありません(空気吸入量を不十分にするなどの方法で不完全燃焼させれば十分な濃度の一酸化炭素を排出する)が、現在は既に毒ガス発生用に使われたのはガソリンエンジンだろうとの説に変わっています。その主たる理由は、ガソリンエンジンだったとする証言がそこそこ存在するからです。トレブリンカ等の絶滅収容所のガス室用のエンジンが置いてあった場所には、発電用のディーゼルエンジンも併置されていたようであり、エンジンに直接関係ない人たちにとってはエンジンの種類を誤解しやすかったのではないかと考えられています。なお、少なくともソビボル絶滅収容所では、以前から使われたエンジンはガソリンエンジンだとされていたことを付け加えておきます。
なお、殺人ガス室自体もそうですが、たとえエンジンの現物が残っていようとも、否定派はアウシュヴィッツのガス室と同様、必ず「捏造」と主張するに決まっているので、現存していようとそうでなかろうと関係ありません。
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ロイヒターだか、フォーリソンだか知りませんが、そんな古臭い否定説に意味はありません。シアン化水素ガスを含む有毒ガスの危険度の判定基準は「濃度」です。シアン化水素ガスが排気などによりガス室の外に漏れ出しても、少し離れる程度でほとんど無害になります。大気と混ざり合って濃度が低下するからです。
オナラを考えれば分かりやすいかもしれません。電車のような閉鎖空間内でオナラをされると数メートル以内の乗客にとっては少しの間臭いを我慢しなければならない状況になりますが、普通の街中などの開放空間では、たとえ真隣を歩いている人がオナラをしたところでほとんど臭わないか、全く臭わないはずです。
あるいは、塩素ガスが第一次世界大戦で非常に効果的だったのは、空気の2倍以上の比重だったからで、地表面に留まりやすく、大気中に拡散しにくかったからです。シアン化水素はそれに対し、空気とほとんど変わらない少し軽い程度の比重なので、すぐに大気中に混ざり合って拡散してしまいます。だから、害虫駆除剤としてのシアン化水素ガスは閉鎖空間内でしか使えないのです。樹木などの害虫駆除としてもシアン化水素ガスは使われていましたが、気密性のそこそこある分厚い大きな布を使って樹木を囲ったりして使っていたのです。
こんな簡単な「科学」すら、ロイヒターやフォーリソンにはわからないのですが、はっきり言って恥ずかしいのでこの程度は「何をおかしなことを言ってるんだ?」程度に気付いてもらいたいものです。
なお、第一収容所の第一ガス室(第一火葬場)の近くにあった病院建物は確かに近かったので、しっかりそこにいた囚人にガス処刑を目撃されています。
私が調べた限りでは第一ガス室のガス処刑の目撃者はもう二人(BBC制作のドキュメンタリーに登場する証言者を含めれば三人、他に火葬場作業に従事していたゾンダーコマンドが3名程度、あと加害者側となるルドルフ・ヘスやペリー・ブロードなどの親衛隊員も複数名います)ほどいます。とりあえず今回は覚えていたのだけ。
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西岡氏は本当にダメダメで、そこで示されている写真の「チクロン投入口」は、当時のものではありません。戦後にポーランド当局によって復元された時に、穴を再度開けて煙突もその時に作ったものであり、蓋もおそらくその時に作ったのでしょう。そんなこと今時、この話題をするならば多くの人が知っているでしょう。誰でも知ってるとまでは言いませんが、なぜそんな意味のない写真をわざわざ撮ったのでしょうね?
アウシュヴィッツ第一収容所の第一ガス室(第一火葬場)は、1942年末頃まで殺害に使用された後、1943年中には火葬場も使われなくなり、1944年になるとガス室だった場所は防空壕に改修され、当然天井のチクロン穴は塞がれてしまい、煙突も撤去されてしまっています。
戦後の復元時の記録が残されていないのが残念ですが、1947年か1948年にはアウシュヴィッツ収容所は博物館化されていて、それに合わせる形で第一ガス室・第一火葬場を再現工事をしたものと考えられます。て言うか再現工事をしたとしか考えられません。
これを否定派は、「捏造」したのだと主張します。煙突が建物につながっていないのがその証拠だ!とか。私は本当に否定派はアホだとしか思えません。もし否定派の主張通りならば、なぜそんなすぐバレる捏造をするのでしょう??? ガス室にはガス密閉扉の一つもないし、内壁を一枚ぶち抜きすぎてるので、ガス密閉扉ではあり得ない大きなガラス付きの薄い木製扉をガス気密扉だったと見せかけていると誤解されてしまったり(バレバレすぎて話にならない)、捏造としては杜撰すぎるにも程があります。
しかし、これが単に再現工事が杜撰だっただけ、ならば簡単に説明がつきます。適当に、当時のガス室だったかのように見えたらそれでいい、くらいの考えで再現工事しただけなのでしょう。なお、「建物と繋がってない煙突」は否定派の誤ったクレームで、ちゃんと当時の図面が残っています。煙道を地下経由にしてあり、火葬炉からの煙は、強制通風装置によって一旦下方向に排気させた後で煙突から排煙されるようになっているのです。
私は何度も西岡氏に「火葬場があったこと自体は誰も否定していないんだから、煙突が当時なかったのならおかしいだろ?」と質問しましたが、延々とはぐらかされて答えてもらっていません。防空壕にした時に一旦煙突は撤去したが、当時の再現のために復元しただけなのです。だから位置こそ合っているが、高さも形状も図面とは異なっているそうです。
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排気煙突があればそりゃより安全ではありますが、今も現存しているチクロンを使っていたであろう害虫駆除室には全て長い煙突などありません。空気より軽いと言っても、その比重は空気を1とすると0.94程度であり、そんなに変わりません。しかし、空気と変わらない比重であることは、簡単に空気と混ざり合うことを意味するので、大気中に放たれたシアン化水素ガスはすぐに大気中に拡散してしまうため、濃度が一気に低下してしまい、少なくとも致死性は無くなってしまいます。但し、ガスが充満していた部屋の扉を開放した直後に、その扉のすぐ側にいるなどの場合は健康への被害はあったでしょう。ヘスがそのために収容所内に注意喚起の書面を配布していたことはよく知られています。これもプレサック本のどっかにあったはずですが、今回は見つけられませんでした。
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西岡は、それを証明できませんでした。ロイヒターがそう言ってるだけなのです。アホらしくて話になりません。ロイヒターレポートではそう書かれた箇所には参照文献の一つとしてありません(レポート全体がそうですが)。そんなもの何の証明にもなりません。
プレサックの本には以下のような記述があります。これ、チクロンによる殺人ガス室の話ではなく、本来のチクロンの用途である害虫駆除作業の話ですから、嘘話である可能性はないと思います。
ガスを吸ってしまって二ヶ月入院(「入院後、二ヶ月後」と述べているので入院自体は二ヶ月ではないかもしれない)していますが、裸で害虫駆除作業して、チクロンそれ自体にも触っているのに、特に体の不調は書かれていません。このことから、ダヴィッド・オレールが描いた絵のような作業状況は特に問題ないことがわかります。
西岡が酷いのは、西岡はプレサック本を所有していることです。したがって、プレサック本を持っている(ものすごく貴重な本で今(2023年12月現在)買えば中古でも日本円で10万円以上する本です)のに全然読んでいないのです。呆れてしまいますね。今は自宅の倉庫に眠ってるそうです。勿体無い……。
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これもロイヒター・レポートの話ですね。ロイヒター・レポートにはこんなグラフがあります。
右端の値が飛び抜けて高いのは、チクロンを使っていたことがはっきりわかっている害虫駆除室のサンプルです。殺人ガス室は矢印で示されていますが、全然低い感じになっています。よくわかってない人はこの馬鹿げたグラフを見て「なんだ?殺人ガス室からは全然シアン化水素が検出されてないじゃないか!殺人ガス室ではなかったってことだ!」と早合点します。しかし事態はそう単純ではありません。このロイヒターによる調査は戦後43年も経ってから実施されているのです。シアン化水素(あるいは通常のシアンイオン)はいわゆる「風化」に弱く、実際にはそんな長期間も経っているのであれば高濃度で検出される方がおかしいのです。
これについては、「プルシアンブルー」を理解する必要があります。西岡にそんなややこしい話は理解できないと思います(化学の知見に乏しい歴史学者ですらなかなか理解していません)けど、何個もこの件で記事を起こしていますが、例えば以下を参照願います。
この件は、ロイヒターの後釜であるゲルマー・ルドルフの議論や、ロイヒター・レポートに対抗する調査であるクラクフ報告の翻訳も含めてしつこいくらいやってますので十分把握してるつもりです。しかし世間のホロコースト否定派は「化学」を理解してない(理解する気がない)ので、私がどれだけ説明しても理解しないとは思います。
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マイダネク収容所については、日本語文献が非常に乏しく、ネットで調べても海外文献でさえ詳細な情報を得るのが難しいので、今の所、詳細なことは知らないので議論できませんが、マイダネク収容所の実態はどうやら絶滅収容所とは言い難い収容所であった(現在の犠牲者数の推定値は7.8万人程度であり、うちユダヤ人は5万人である)ようで、ラインハルト作戦収容所の他の絶滅収容所(ベウジェツ、ソビボル、トレブリンカ)でユダヤ人から奪い取った荷物を一旦集積するための収容所だったのではないか?と思っています。ですから、ラインハルト作戦の収容所の一つではあるが、絶滅収容所としては大して機能していなかったのではないか?と考えられますが、詳細を知らないので、これ以上は何とも言えません。マイダネク博物館のサイトの説明でも、マイダネク収容所のガス室についてはよくわからない点が多いと書かれています。
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ホロコースト否定の主張を禁止する法律があるのは、欧州の半数程度の国ですが、この件については歴史学者の武井彩佳氏による『歴史修正主義』に非常に丁寧に記述されています。今やこの問題について日本で言及するならば、必須文献と言っていいと思います。少し長くなりますが同著から引用します。強調は私によるものです
ホロコースト否定が反ユダヤ主義の一形態に過ぎないことは、かつてはホロコースト否定の中心組織と見られていたアメリカの歴史評論研究所(Institute for Historical Review: IHR)のマーク・ウェーバーが2009年にホロコースト否定論を邪魔だと宣言している以下で明確です。
マーク・ウェーバーは「ユダヤ・シオニストの権力に対抗する現実の世界での闘いにおいて、ホロコースト修正主義は助けになるのと同じくらい邪魔になることが証明されている。」と述べており、彼が反ユダヤ主義・反シオニスト主義者であることは明らかです。米国の人種差別主義者・白人至上主義者に反ユダヤ主義者が多いのは当たり前のことですが、IHRの設立者であるウィリス・カルトは極右団体から追い出されるほどの過激な反ユダヤ主義者であったこともよく知られています。カルトはそのIHRでさえも喧嘩して離反しています。
つまりは、ホロコースト否定の主張を行うことはイコール反ユダヤ主義的ヘイトスピーチに他ならず、ナチスドイツの悪夢を知っている欧州人にとっては、ホロコースト否定の主張を法的に禁じようとする傾向があることは当然なのです。
ただし、フランスのゲソ法に始まった明確なホロコースト否定主張の禁止法の制定は、多くの歴史学者から反対されているという事実があります。理由は様々ですが、基本的には学者は言論表現の自由が自分たちにとって最も大事なものであることをよく知っているからだと考えられます。
何れにせよ、的外れな「陰謀論」は、ホロコースト否定の主張を禁止していることとは何の関係もありません。どんだけ禁止したって、「ホロコースト否定」を止めることはできません。実際に、例えばあのアンネ・フランクの国であるオランダでは、若者の1/4が「ホロコーストを作り話だと思っている」との調査結果が報道されています。
facebookだろうが、Xだろうが、YouTubeだろうが、どんだけ規制しても、その規制をすり抜けた「ホロコースト否定」が実際には存在し続けています。ホロコースト否定論本を禁止しているAmazonでさえ、日本語だとその規制をすり抜けて売ってます。それはこの記事の対象記事の人が知ってるわけです。
ですから、私自身はホロコースト否定の法的禁止には意味がないと思っています。そうではなくって、私たち一人一人が、嘘か本当かを見抜いていく必要から逃れられないのだと思います。それを見抜けない人たちが実際には嘘であるホロコースト否定論を迂闊に信じてしまうだけなのです。
以上。
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