見出し画像

陰謀論/定説/常識の検証シリーズ3「ユダヤ人ホロコーストはあったのか?」

2023年10月、イスラエルとパレスチナの間の紛争が激化する中、フランスでパレスチナ支持のデモが禁止されたそうだ。その一方でイスラエル支持のデモはOKとされた。

このニュースを聞いて私はある事実を思い出した。

ドイツ、オーストリア、フランス、スイス等の国々では、ユダヤ人へのホロコーストやガス室がなかったと主張することが法律で規制または禁じられていることだ。

これに関してはまた後で述べることにして、ここから、「ユダヤ人ホロコーストは本当にあったのか?」「ガス室での大量殺戮はあったのか?」について見ていく。

前者については「600万人は本当に死んだのか?」(リチャード・ハーウッド著、美浜修訳)を、後者については「アウシュビッツ「ガス室」の真実」(西岡昌紀著)を参考にした。

1.ドイツはユダヤ人の絶滅をねらっていたのか?

ドイツが意図的なユダヤ人虐殺を検討していた証拠となる文書は1枚たりとも存在しない。
当然、ヒトラーからの命令書もない。

ドイツのユダヤ人問題に対する基本方針は、意外なことに「国外移住による解決」である。

最初の移住先候補地は、当時はフランスの植民地だったマダガスカル島だった。

この方針を最初に出したのはドイツではなくポーランド政府である。
1938年11月にヒトラーがその方針を公表すると、フランスも同様の計画を持っていることが分かった。

この頃、同時に存在した計画は、シャハト計画と呼ばれるもので、ドイツ内のユダヤ教徒の資産を、ユダヤ教徒によるパレスチナ移住の資金調達のための国際的借款の保障として凍結するものであった。
これは1939年にドイツ帝国銀行の総裁ヒャルマル・シャハト博士がヒトラーに報告したが、英国の協力が得られずに失敗している。

1939年までに、ドイツ国内の合計約60万人のユダヤ人の内40万人を移住させ、オーストリアとチェコスロバキアからは両国のユダヤ系人口のほとんどに当たる48万人の移住に成功している。

1939年9月5日に、シオニストの主要指導者であるハイム・ヴァイツマンは世界のユダヤ教徒のためにドイツへと宣戦布告し、ドイツ国内のユダヤ人が明確な敵対勢力となった。
実際に占領地域にいる大量のユダヤ人がパルチザン戦闘、破壊工作、諜報活動を行なったため、ドイツは欧州の占領地におけるユダヤ教徒を拘禁する方針に切り替えた。
その結果、ユダヤ教徒はドイツ国内にあるゲットーと拘禁収容所へと、1942年3月以降はポーランド総督府にあるそれら施設へと送られた。

戦時中において、ユダヤ抑留者は労働者として使われるようになった。
考えれば当たり前のことで、抑留者を大虐殺することは労働力、時間、労力の完全な無駄であり、強制労働させた方が戦争遂行に有利であることは明白だ。

ドイツは収容所から強制労働によって最大の利潤を引き出しつつも、なおもユダヤ人移住政策を実行し続けていた。
1940年にフランスを陥落させたことでフランスとの交渉が可能になったが、この提案はフランスに断られた。

それでもなお、ドイツは1944年5月の時点で100万人の欧州ユダヤ教徒に欧州外への移住を認める準備ができていた。

2.ユダヤ教徒を600万人殺すことは可能だったのか?

チェンバーズ百科事典によれば、戦前に欧州で暮らしていたユダヤ教徒は650万人だった。
そこから考えると、ほぼ全員が絶滅されたことを意味する。

しかし様々な統計データが600万人説のあり得ないことを示している。

例えば中立的なスイスの出版物「Baseler Nachrichten」は、1933年から1945年の間に150万人のユダヤ教徒が英国、スウェーデン、スペイン、ポルトガル、オーストラリア、支那、インド、パレスチナそして合衆国へ移住したと立証している。
そうした移民のうち、およそ40万人が1939年9月以前にドイツから出ている。

様々なデータから検証した結果、ナチ統治下のユダヤ合計人数は200万人以下とこの本では見積もっている。

決定的な証拠が以下のものだ。

1938年のWorld Almanacは世界のユダヤ人口を1658万8259人としている。そして1948年2月22日のニューヨーク・タイムズでは世界のユダヤ人口を最小1560万人、最大1870万人としている。

これでどうやって600万人を殺せるだろう?

戦時中、赤十字委員会はユダヤ系福祉団体などから集めた資金で救援物資をユダヤ教徒に届ける立場にあった。
その委員会報告で、大戦の最後の数ヶ月間、収容所は全く食糧物資を受け取れず、飢餓により犠牲者が益々増えていったこと、ドイツ政府は何とかして食糧供給を確保しようと努力していたことが報告されている。

この本の結論として、対戦中のユダヤ教徒の死者数は100万人を切る数字であり、しかもそれは戦争における全ての死因を含めた数字であろうと推測している。

3.ガス室はあったのか?

この件に関しては触れておかなければいけない事件がある。1995年に起きた「マルコポーロ」廃刊事件だ。

「アウシュビッツ「ガス室」の真実」を執筆した西岡氏がマルコポーロに執筆した「戦後世界史最大のタブー・ナチ『ガス室』はなかった」に対して、東京のイスラエル大使館とアメリカのシオニスト団体サイモン・ウィーゼンソール・センターが広告ボイコットという手段を用いて文藝春秋社を攻撃し、同時に日本政府に直接抗議するという異常な行動を取った。
その結果、文芸春秋社は「マルコポーロ」を廃刊した、という事件だ。
廃刊の前後、複数の中央官庁が実際に著者と他の関係者に強い圧力を加えている。

このことから分かるように、ガス室の有無は歴史上のテーマではなく、政治上のテーマなのである。

本題に入る。

ガス室による大量殺戮があった証拠が実は存在しないのである。

・戦争末期にヨーロッパ各地でナチスの収容所に足を踏み入れた連合軍が夥しい死体を調査した結果、チフスなどによる病死者の死体は多数確認したものの、毒ガスで殺された死体は一体も確認できていない。

・ガス室の設計図は一枚も発見されていない。アウシュビッツ=ビルケナウでガス室として公開されている地下室の設計図を見ると、「死体安置所」と書かれている。
「後からガス室に転用したのだ」との主張もあるが、2つに分かれたアウシュビッツ収容所の内、後から建設された第二アウシュビッツ(別名ビルケナウ収容所)は最初から「ユダヤ人絶滅」の目的で作られたとするのが定説側の主張であるのにも関わらずだ。

・アメリカやイギリスが戦後、ニュルンベルク裁判でドイツを裁いた際、アウシュビッツについて、何の実地検分もしていない。

・定説ではナチスが建設した多数の収容所のうち、ポーランド内の6つだけが「絶滅収容所」として建設され、ガス室があった」とされている。しかし、「ガス室」とされるものが現存するのはアウシュビッツ(ビルケナウを含む)とマイダネックの2か所だけだ。仮に後で隠滅されたとしても、ガス室が現存しないのであれば、そこにガス室があったと証明することはできない。

・定説では毒ガスとしてアウシュビッツとマイダネック以外の4か所では一酸化炭素が使われ、それはディーゼルエンジンで発生させたとされているが、ディーゼルエンジンはガソリンエンジンと違って一酸化炭素を極微量しか排出しない。さらに、ディーゼル・ガス室の実物が現存しない。

・アウシュビッツではガス室の天井の穴からチクロンBの入った缶を投げ込み、そこから青酸ガスを発生させたとされているが、ガス室の目の前20メートルの距離にドイツ人用の病院がある。
ガス室での処刑後に内部を換気して青酸ガスを排気すれば真向かいの病院にいるドイツ人たちが命の危機に晒されるはず。

・チクロンBの投入口には気密性が全くない。

・青酸ガスは空気より軽いので、長い煙突から徐々に排気すれば周囲に被害を及ぼさないが、そのような煙突がガス室には存在しない。

・アウシュビッツにおけるガス室での処刑の様子を描いたスケッチでは、作業員たちが半裸で死体を運び出している。
青酸ガスは皮膚からも吸収されるので、死体に触れる際には厳重な防護服を着なければいけないはずにも関わらず。

・アウシュビッツに存在するガス室付きだったとされる死体焼却棟の破片を化学分析したところ、予想されるような多量のシアン化合物がまるで検出されなかった。

・マイダネックのガス室は火葬場から最も遠い場所にある。

・マイダネックのガス室には、割られたら大変なことになるガラス窓がある。

この他にも様々な矛盾点が存在し、ガス室が存在したとは到底考えられない。

4.ドイツ、オーストリア、フランス、スイス等の国々でユダヤ人へのホロコーストやガス室がなかったと主張することが法律で規制または禁じられていることに関して

私はこのことを聞いた瞬間、「ユダヤ人ホロコーストやガス室はプロパガンダなのだな」と直感的に理解した。

それらが動かしようのない事実であるならば、検証されても否定されても痛くも痒くもないはずだ。
それ以前に、そもそもどのような思想を持つことも憲法で保障されているのだから、法律で特定の思想を禁ずることはできるはずがなく、極めて異常なことだ。

これは、今回のコロナ騒動でのYouTubeや Facebook、旧Twitterなどでの投稿削除、ファクトチェック問題と同じ目的で行われていることが明らかだろう。「言論封殺」だ。

本来であれば我々国民はこのニュースを聞いた瞬間に私と同様に「ユダヤ人ホロコーストはなかったんだな」あるいは「ユダヤ人ホロコースト説には嘘が隠されているんだな」と気付かなければいけない。

【筆者の判定】

連合国は戦時中から、戦時宣伝の一環として、「ドイツは収容所で大量殺人を行なっている」、または、「ドイツの収容所には大量殺人用のガス室が作られている」等のプロパガンダをおこなっていた。

「ガス室での600万人虐殺」は、そのプロパガンダに沿って構築された作り話に過ぎないと考えるのが妥当だろう。
法律でその議論を禁じていることが何よりの証拠だ。

このような壮大な作り話をでっち上げた目的は、パレスチナの地にユダ人国家を作ることの大義名分にするためだろう。
これに関しては別途論じる予定だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?