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ロマン・ロランについて③ファシズムと闘う作家📖

第一次世界大戦が終わった後、フランスの作家ロランは「精神独立の宣言」を起草し、欧米諸国の善意ある知識人たちに呼びかけました。

この宣言がめざしたものは、大戦(第一次世界大戦)に際して、知識人がみずからの使命を裏切って諸民族間の殺傷に加担したことを反省すること。
今後はあくまでも精神の独立、いいかえれば、個人の自由を守ること。
それと共に、「自由で、国境も限界もなく、種族あるいは階層の偏見もない真実」だけを重んじようと呼びかけたものです。

戦後のロランは、ロシア革命の影響を受けて社会主義思想にひかれるとともに、ガンジーの非暴力思想にも共鳴します。


しかし、時代は社会主義運動が盛り上がる一方でファシズムの勢力がより拡大していきます。
イタリアに次いで、ドイツでもファシスト政権が樹立されます。
彼は文筆の力と人間的威信を傾注してファシズムとたたかい、戦争がまた起こるのを防ぐために、あるいはインド独立運動を援助するために執筆活動を続けました。


しかし、彼はヨーロッパにある民族間の殺害が繰り返されるだろうという予感を早くから抱いていました。
それは、すでに第一次大戦が終わって間もない頃、戦勝国たちが敗戦諸国、特にドイツに対して、ヴェルサイユ条約を強制したからです。
ロランはそれは戦勝国があまりに支配的であり、不当で誤っていると思ったのでした。

また戦勝国は、ソ連政府を倒そうとする政策をとって内政干渉をくわだてながら、他方では、軍国主義者と結託したドイツ社会民主党中心の政府を援助して、スパルタクス団(ローザ・ルクセンブルクなどによる社会民主党急進派)の蜂起の失敗を喜ぶような愚かで先見の明のない政策をとるのをみたからでした。


それにもかかわらず、ロランは、ミュンヘン協定が結ばれ、チェコスロバキアがドイツに併合され、第二次世界大戦が起きてしまっても、平和のために筆をとることをやめませんでした。

ロランは終生、無党無派の自由な立場に立ち、暴力や憎悪を憎み平和を希求しました。
個人として、あくまで自由な立場を守りながら、機会と問題の起こる度毎に良心と理性の光りに照らして、真理と正義を求めた知識人でした。

ロランは、連合国によりパリが解放された1944年12月、生まれ故郷に近いヴェズレーの町で78歳の生涯を閉じました。


彼の代表作「ジャン・クリストフ」の主人公は自分の信ずる芸術をひたすら探求する音楽家でした。
「魅せられたる魂」の主人公アンネットもひたすら自分の魂の独立を求め、誰からも支配されず自由であろうとしました。
それはまさに著書であるロラン自身がそうだったのです。


自分の信ずる道をひたすら生きたロマン・ロラン。
彼のように生きていきたいです。


ロマンロランについて①と②



執筆者、ゆこりん

写真、Linn Nyan Htun




参考文献 

ロマン・ロラン 新庄嘉章著 中公新書
ロマン・ロラン 新村 猛  岩波新書

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