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私はここに居る、釈迦はここに居る 『ハンチバック』

容れものと中身、身体と気持ち、
両のバランスがうまくとれている人って、世の中にどれくらいいるんだろう。
誰しもがいつもどちらかに傾いたりバランスをとれずにいたりするのではないか。
そのズレ故に自分自身や他者とのもやもやや苛々、摩擦や不調を感じているのではないか。
話題の芥川賞受賞作『ハンチバック』を読みました。

主人公は自由に(という言葉の意味もよく考えたらわからないけれど)体を動かすことが出来ない。
それこそ本屋にも行けないし、紙の本を読むたびに体が押し曲がるようだと言う。
彼女はネットにものを書く。
取材に行って書くのではなく、ネットや知識からだけで風俗という「体」を使うそのことの記事を書き、さらには18禁TL小説という同じく体や頭に訴えかけて情や欲を掻き立てる話を書く。
その合間に自分のSNSで自由にならないことを自由に発信したり時に発信せずに下書き保存したりしている。
その身体ゆえに。「経験していない(したことがない)」こと、経験してみたいこと。
彼女は、家にいる。親が残してくれた家、グループホームに。そこからは出られない。
お金はある、充分にある、親の残してくれたお金が。ある。あるのに。
でも自由にならない、体が。
 
そんな彼女が望んだ、欲したこと。
主人公は、生死のかかった、なんて思いもしなかったことをする。
そうだからこそ、望み、欲したことが〝そのように転がってゆく詰まるも流れてゆく〟
 
受賞会見は、みていません。
正確には「まだ全部は観ていない」。
でも「読まないとな」と思った。
ただでさえ「勝手に当たり前と思っていること・思い込んできたこと」が当たり前ではない、
当たり前でないどころか他者の尊厳にかかわるということを突き付けられるような報道やニュースばかりの昨今。「ああ、読もう」と思い、書店に買いに行きました。
 
会見でクローズアップされた部分、
紙の本とマチズモという点(や、それちなみ、そこから広がること)や
「重度障害者の受賞がなぜ〝初〟か考えてほしい」という点に関しては、
そうだよな、そこ、「見出し」としてはおいしいよな、インパクト大だよな、
その報道や切り取り方だからこそこの本を手にとる人が増えるかも、いや、増えるだろう、よいことだとは思う。
でもね、それら殊更にクローズアップされた部分は
勿論作者が問題提起として伝えたいことには間違いはないのだろう、
けれど、いや、それだけそこだけじゃなく、の、気持ちだ。
そこばっかになってないかな読みもしないうちから、って思ったし、
読んでやっぱり、「そこだけじゃない」となった。
 
「それらを含むこと、そこだけじゃなくて、を
(例えそれぞれによって受け取り方はちがっても)
それぞれが読んで感じて受け取るべきじゃないかな」
 
決して分厚い一冊じゃない。読みにくい本ではない。わたしは一気にいきました(読みました)。
 
読みながら〝彼女〟と共に走っているような気持ちになりました。
文字なのに、文字から、突き刺さしてくるように殴ってくるように気持ちが迫ってくる。
時に笑いながら時に泣きながら殴って突き刺してくるようで。
怒りと悲しみと滑稽さと絶望と怒りと自嘲と冷笑とエモさのドライブ感。これは、やばい。
一読目、読み進めるうちに、読みながら、まず思ったのは「中二?」
悪い意味茶化す意味ではなく、しっくりぴったり浮かんだ。
そうして読み終わってまず最初の感想は
「この人はこれからどんな作品を書いていかれるんやろう」だった。
読み終わってから作品とヒロインが頭に棲みついて離れなくて数日後もう一度読み直した。
文体や使う言葉が奏でるリズムと毒からの気持ち。
毒っていうのかな、うん、そうだな、毒だな笑いかもしれないなと思った。
訴えたいことと怒りとしずかな主張と笑い、
自嘲も冷笑もツッコんで笑う客観的な笑いも含むいろんな笑いもが押し寄せてきました。
 
弱者ってなに?
もてる者ともたざる者。
何を?
私が思う弱者、あなたが思う弱者、皆が思う弱者。
弱者と思われる思われている者が思う弱者。
弱者同士って?
 
憐みなのか同情なのか恋なのか蔑みなのか。
気持ちいいのかよくないのか。
喜劇なのか悲劇なのか。
泥なのか花なのか。
低俗なのか純なのか文学なのかエロなのか。
虚なのか実なのかフィクションなのかノンフィクションなのか。
全部がそうで全部がそうではないしそうではないしそうなのかもしれない。
誰の? どちらの? 何の?
 
体と心。嘘と本音。生と死。
自身と他者。女と男。こどもとおとな。書き手と読み手。
ネットとリアル。金銭とサービス。コンプレックスと本音。
蔑みと本気。生むことと殺すこと。性と生と聖と俗。
紙と電子。フィクションとノンフィクション。容れものと気持ち。主人公と作者。
尊厳と涅槃、泥と花。まだ〝途中〟。痛い、しんどい、痛くない。
ここにある自分の体は自分自身のもので、この体とこの気持ちが自分自身で、
曲がった、曲がって、でも、それでも、からの、だから……。
 
わたしは、この物語は尊厳と肯定の物語だと思いました。
 
私はここに居る。釈迦はここに居る。生きている。


◆◆◆
以下は、すこしだけ自己紹介 。よろしければお付き合い下さい。
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構成作家/ライター/コラム・エッセイスト
中村桃子(桃花舞台)と申します。
大衆芸能、
旅芝居(大衆演劇)や、
今はストリップ🦋♥とストリップ劇場に魅了される物書きです。

普段はラジオ番組構成や資料やCM書き、
各種文章やキャッチコピーなど、やっています。

劇場が好き。人間に興味が尽きません。

舞台鑑賞(歌舞伎、ミュージカル、新感線、小劇場、演芸、プロレス)と、
学生時代の劇団活動(作・演出/制作/役者)、
本を読むことと書くことで生きてきました。

某劇団の音楽監督、
亡き関西の喜劇作家、
大阪を愛するエッセイストに師事し、
大阪の制作会社兼広告代理店勤務を経て、フリーに。

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