他人を優先するのは後回し
~自分を満たしてから~
人に親切にすることはいいことだ。わたしも当然のようにそう思う。しかしながら、過去のわたしは「人に親切にしなければダメな人間だ」それに付随し「人に親切にしない人間はダメなやつだ」という思考に縛られていた。それは「親切」だけに限らない。「他人に譲るべき」「上司に意見するべきではない」「我慢するべき」などなど。そして、それらに拘り、他人に意見を言えず、わたし自身は否定されるがままを受け入れていた。さらに、否定され続けることで、「自分は価値のない人間だ。だから、ひどい仕打ちを受けるのは、わたしに相応しいことなのだ」と、どんな仕打ちも甘んじて受けてきた。それを何年も続けた結果、身体を壊し続け、寝たきりの期間を数年経験した。本当に今振り返っても、自身をないがしろにする天才だったとように思う。だが、今は違う。以前は死にたい、いつ死んでも構わない、事故にでもあって殺してくれないか、と考えていたが、今は頼まれたって死んでなんかやらない。今回はどうやって、そういった自分を作っていったのかを語らせてもらいたい。
わたしは、病み上がりの時、また元の自分に戻れると信じて疑わなかった。そして、周囲のアドバイスを無視して働いた。結果、また同じことを繰り返し、リハビリ(リワーク)に戻ることになった。その時、わたしは「もう戻れないのだ」と悟った。当時は諦めの感情が強かったように思う。もう無理だから分相応に生きようと。そこから「今出来ることはなんだろうか」と考えるようになり、障害者手帳と障害年金を申請し、障害者雇用も視野に入れて職を探すことにした。
この頃からだったと思う。わたしは鏡の前で自身と対話することを始めていた。これは、わたしが学生時代、面接の練習を鏡の前のしていた経験からだろう。気付けば始めていた。今回のことで、自分は人並みに暮らすことは出来ないと悟った。ゆえに、自分は余分なもの、つまり、執着やこだわりを持っていないだろうかと、わたしは無意識的に始めたらしい。
俺① お前には無理じゃん?
俺② そんなことはない。
俺① 実際無理だったじゃん。荷が重いのと違う?
俺② 皆やってるし、良いことだから。
俺① いやいや。無理なことやったらまた潰れるじゃん?今は諦めーや。
俺② でも、、、
俺① 将来的に出来るようになればいいやん。今は一旦降ろしーや。
俺② でも、、、
俺① 今のお前はそんなもん。受け入れんと始まらんぞ。
俺② 、、、、
こんな感じのやり取りをひたすら繰り返すことで、こだわりを降ろしていくことが出来る。わたしが抱えていたものはとにかくたくさんあったので、1年以上かかった。気の長い話だ。結果として、わたしは今のわたしになれた。成長できたのだ。まだまだ詰めの甘いのところはあるが、今の自分になれてとても幸せだ。
そうして、今思う。わたしの人生はこれからだと。年齢?関係ない。今が一番幸せなのだから、もっと幸せになっていくに違いないのだ。
よく、人になにかを与えることをコップの水に例えられる。自分を幸せに出来ない人は、常にコップの水は5分目もないだろう。それから、こだわりから人に与えようとし、自分のコップの水を他人のコップに与えていく。そして、その人は自分を幸せにする方法を知らないので、コップに水を効率よく足していくことは出来ない。コップの水は減り続け、やがて底をつく。身体を壊すのだ。
確かに人に与えるのはいいことだ。なのだが、その与える水は自分の水を減らして与えてしまってはいけない。まずは、自分のコップの水を溢れるまでいっぱいにする。そして、その溢れた分を周囲に与えればいいのだ。自分を幸せにする方法がわからないうちは、自分のルールで自分を縛ってはいけない。必要のないことはやらない方が良い。今のわたしはそれを実践している。そのおかげで、なにもかも上手くはいってないが、体調だけは崩さないでいる。健康が一番だ。
皆さんも守らなくていいのに、自分で決めて縛ってしまっていることはありませんか。この人生というクリアできるかわからないゲームで、最初から縛りプレイはないと思いませんか。条件は付けず、気ままに楽しんで生きればそれでいいと、今のわたしは思っています。
さあ、今日はなにして遊びましょうか!
では、また。
皆さんの行き先に明るい未来がありますように。
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