アラサー女のクォーターライフクライシス -01- 劣等感
社会的に見て、今の自分はべつに悪くない地位にいると思っている。
31歳独身、身体はおおむね健康、正社員としてデザイナーをしていて、年収は400-500万くらい、人から告白されるくらいには需要があって、趣味もある、少ないけど友だちもいる。
それでもこの先の人生を考えるとぽっかりとした感覚が湧くことがある。
この感覚に名前をつけるとクオーターライフクライシスらしい。
いまの人生は、日々を頑張ってきた結果で繋がっていると思っているのに、ふつうの人生を生きている人が眩しくて、孤独感が生まれてくるんだ。
業界の人と話していると、時間の感覚が俗世からずれていて安心する。
「作ること」が仕事として生活の中心にあるから、結婚してても子どもがいても「納品」に向けて柔軟に働いている。
でも、私の高校からの友達はそうじゃない。
そもそも総合職で働くこと自体している友達は少なくて、今では結婚をして子どもを育て始めている子も出てきた。
朝は6時半から起きて、夜は22時頃布団に入る。仕事はお金を得るためのもので、余暇ではドラマを見たりすることがないなぁって思いながら過ごしているらしい。
LINEをするたびに子どもの写真が添えられてくる。
学生の頃の友達とは一生友達だと思っているのにこのあまりにも違う生活と感覚の差が悲しい。
人と家族を作って、家族を第一にして、働き方を抑えて健やかに生きることが眩しくて仕方ない。
今の自分が一人でやろうとしても到底届かない領域で、難しい。
たぶんこの感覚は劣等感だ。
自分の毎日に誇りを持ったり、幸せを感じたりするくせに、そうじゃないときに引っ張り出してはスノードームを眺めるみたいに美しさに憧れる。
友だちにそんな話をするたびにもらう言葉はちょっと合っててどれもちょっと違う。
「働き方変えたら?転職とか!」
→たしかにいまみたいな10-14時間働いてる環境がいいとは思えないけど、8時間にしたところでこの虚しさは消えるとは思えない。どうせ一人の虚しさを消したくて副業でデザインワークしちゃうと思う。
「彼氏作ろうと思えば作れたんだから作ればいいじゃん」
→私に告白してきてくれた人たちが彼氏になったとして私のこのクソめんどくさい感覚を外に出してないから信用できないし(デミロマの特徴)。
適度に寄り添って適度に壁打ちに付き合ってくれて適度に忘れてくれるような人だと思えないから付き合っても虚無だっただと思う。
「美食家なんだね、人生のいいところをとりたいんだ」
→みんな一度の人生駆け抜けたいって思わないんでしょ?知ってるよ。仕事だって頑張りたいし、恋愛だって好きな人に好きって伝えて、子どもが産まれたら子どもに自由な生き方を見せられるおとなになりたい。でも、そんな夢は叶えられる人が一握りだから、叶えられるとは思ってないんだ。美食家に憧れてるミーハーくらいかな。
35以降になって、クオーターライフクライシスの時期を超えてしまったなぁって諦めるんじゃなくて、能動的に打ち勝ちたい。
とうしたらクオーターライフクライシスを超えられるのか、答えは自分の中にしかないんだけどどうにか結論を出したい。
制作職の人に聞くと、制作に携わって選んでるから、こっち側の人たちと関係を作るということに腹をくくれとしか言われないし。
ふつう(という定義にしてる丸山くん(公務員)とか高校の頃からの事務職の友人)には、転職するとか働き方をかえるとか彼氏を作るとか、即時的な提案をもらうけど、内面での乗り越え方は誰も教えてくれない。
でも結局のゴールは、今の自分を本当の意味で肯定して、別の生き方に羨ましくならず、軽やかに向き合えることなんだ。
そうなりたいだけなんだ。
むずかしいんだ、人生。
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