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『今の私』の自己紹介

はじめましての方も、何度目ましてかの皆様も、
この記事をクリックして下さり、ありがとうございます。

自己紹介というのは、「今の私が、自分自身を今どう捉えているのか」だと思うので、時折こうして改めましての自己紹介を更新していこうと思います(*^^*)

さぁ、今の私は、どんな自己紹介をするのでしょう!!
私自身がいちばん楽しみ!!!(笑)

ちなみに、半年前に書いていた自己紹介はこちら!!

今の私を紹介するなら

今、私が私を紹介するのであれば、

【もちゃの9つの特徴】
①よく笑うチャレンジャー
②感情豊かな3児のおかん
③食べること、寝ること、触れることが大好き
④感情が動く瞬間がたまらなく好き
⑤老若男女問わず可愛い人が好き
⑥人生を物語と捉えている
⑦人の心の動きと言葉に興味がある
⑧無邪気さと母性が同じくらい強い
⑨内観することとはしゃぐことが同じくらい楽しい

です。

1つ1つの項目については、こちらで詳しく話していますので、ご興味ある方はぜひご一読くださいませ!

人物像と経歴

東京生まれ東京育ち、北関東在住。
運転が嫌いすぎて教習所落ちかけたのに、今では車が相棒な3児を育てる30代主婦。
現在こどもたちは小6、小4の姉妹と年長の末っ子長男。
大学生の時に母となり、気付けば12年の歳月が経っておりました。

好きな食べ物はなめらかプリンといくら丼。
と言いつつ、銀杏以外はぜんぶ大好物なくらい、食べることが大好きです。
「ママって本当に幸せそうに食べるよね」とこどもたちによく言われます。

(ちなみに以前は好きな食べ物はエビでした。が、食べまくったからか、27歳でエビアレルギーになりました。私はこの若さで一生分のエビを食べたのだと自分に言い聞かせてます。笑) 

普段は、当たり障りなく笑顔で生きているので、風景の一部と化してモブキャラとして過ごしてることが多いですが、仲良くなればなるほどにマニアックな視点を披露し始めたり、ささいなことでもキャハハとはしゃぎだす変人っぷりを発揮し始めます。笑
笑いのツボが浅いことで有名です。(だってほんとに楽しいんだもん)

おそらく人によって私の印象はまるで違うと思います。誰とでも穏やかに話せるけど、心の扉はなかなか開かないタイプ。氷のように基本的にかたまってることが多かったです。(溶かしてくれる人に出逢った時は子犬のようになつきだす習性あり。最近は心の扉もだいぶオープンに!)

配信活動を始めた当初


現在、私はSNSで『もちゃ』として活動しております。
note:https://note.com/mochapoka2
Instagram:https://note.com/mochapoka2/n/n7d4b0babe66b

2021年の1月から音声アプリでのラジオ配信を始めたのですが、その時に友人から呼ばれていた『もっちゃん』というあだ名を省略して『もちゃ』と名乗り出したことがきっかけです。

『もちゃ』として活動を始めた当初は、「勉強したての数秘術を活かしたい」という想いと、「自分らしさを見つけたい」「自分の想いを発信して、共感し合える人、好きだと言ってくれる人達と繋がりたい」という想いがありました。

それまでの私は、自分の想いや考えをなかなか人に伝えられないタイプでした。いや、正確に言うと、『本当の自分の想いや考えを伝えること』が出来なかったんです。

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(ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!!!
最後まで書き終えた私から伝えますが、マジで長いです。笑
でもエッセイみたいで面白いかも!気になるところだけでも読んでみてくださいね!では、続きをどうぞ!!!)


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『もちゃ』として活動する前の私

期待に応えるのが上手だった学生時代

学級委員や副部長もやっていたので、人前に立って声を張ることや発表することはあまり苦ではありませんでした。どちらかというと、得意な方でもあったかもしれません。

ただ、この時の発言というのは、その場に合った意見であったり、私ではない誰かの想い(例えば先生とか、先輩とか)の代弁者であったことが多かったんですよね。

部活中や学級での取り組みにおいても、「いや別にここまでやんなくてもいいと思うけど。てか、もっといいやり方あると思うけどさ」という本音までは言わず「あと少し!!頑張りましょう!!!」と、目をキラキラさせてみんなを鼓舞していましたね(笑)

誰かの期待に応える、その場で求められる役割をこなすことが上手でしたし、それが私の存在価値であり、承認欲求を満たすものでもあったと思います。

元からそういう性格であった上に、中学時代に家庭内で問題が起き、さらに本音を言うことが苦手になっていきました。

本音といっても、喜怒哀楽の「喜」と「楽」の部分は表現していましたし、言葉としても「ありがとう」「うれしい」「好き」「楽しい」というのは伝えていました。その反面、「怒」と「哀」の部分はあまり表面に出さずに生きてきたと自認しています。

私が本気で怒ったところって、友達、過去付き合っていた彼氏さんたち、同じクラスだった人達、知り合った人達、ほとんど見たことないんじゃないかな?ってレベルで「怒らない人」だったと思います。

人前で泣くこともほとんどなかったし、多少の違和感や悲しいことも寝れば忘れると思って過ごしてきました。

(実際には、怒りも悲しみも、蓋をして見ないふりをして、心の奥にしまいこんでいただけだったんだけどね。)

自分の感情よりも、誰かの感情を尊重することが多かったし、
自分の意見よりも、誰かの意見を優先することが多かった。

だって、そうやって生きていた方が傷つかずに済むから楽だったから


自分の感情を尊重して誰かの感情をおざなりにしてしまったら、相手を大切に出来ていないようで罪悪感を抱いてしまうし、誰かの意見よりも自分の意見を優先してしまったら、私の意見に責任が発生してしまう。

人の顔色を伺って、人の意見を優先することは、私が私を護るための手段であり、何を言われても笑顔でいたのは、防衛反応でもあったのです。

同時に、ずっと自分のことを後回しにしていた、責任逃れをしていた、本当は感じていた違和感も見ないふりをしていたとも言えるんですよね。

(こうやって俯瞰して自分のことを観られるようになったのはつい最近のこと…。)

この状態は、学生時代だけでなく、結婚してからさらに加速していきました。

大学3年生で結婚、22歳で母親に

多様化してきている社会といえども、ずっと人に言えなかった自分のプロフィールとして結婚した当初の話があります。

大学3年生の秋、就活が始まり、会社説明会に行き始めた時のことでした。

当時付き合っていた彼氏との子どもができたことが発覚したのです。

都内で就職したい私と、北関東で勤めていた彼との間で意見が合わず、別れ話をした1ヶ月後のことでした。

結局、別れ話のあと仲直りしていたので、子どもがいることが分かった時には彼もとても喜び、すぐに結婚しようという話へと進展しましたが、私自身は正直、本当に葛藤する日々を送っていました。

親にも友達にも誰にも言えない。自分の本音も揺らぐ。

「私は本当はどうしたいのか」

まさに、人生の岐路に立っていました。

就職して、働いてみたい。新卒と呼ばれるのは今だけ。
いろんな世界をのぞいてみたい。チャレンジしてみたい。
たくさんの人達と出逢いたい。一人暮らししてみたい。

様々な想いがわきあがっていましたが、それでもやっぱり、
「今、お腹の中に宿った大切な命を、育てていきたい!!」

自分の中ではっきりと決心してからは、具体的にどう動いていくのか彼と相談しながら決めていき、親にも大学の先生にも「報告」という形で伝えました。

「相談」ではなく、「報告」にしたのは、たとえ誰に何を言われても自分の決意を貫きたかったからです。たとえその人との関係が悪くなったとしても。私はこの子の母親になる。絶対に子どもと彼を、幸せにする。

確固たる決意の元、結婚し、翌年に長女を出産しました。

ちなみに、私の両親も、彼の両親も、応援してくれて(いーろいろあったけどね(笑))、結婚式も挙げ、新居の貸家に引っ越しもして、穏やかで幸せな結婚生活を始めることが出来ました。


「ちゃんとしなきゃ」が強かった

私は結婚する前から、幼いこどもたちが大好きでした。

街中や電車で見かける赤ちゃんやこどもの姿は癒しだったし、笑ってても泣いてても怒ってても可愛くて仕方ない存在でした。

ただ、実際に自分が母親になってみると、ただただ「可愛い」だけでは過ごせなくなる時も多かったんです。

母親として、周りに迷惑をかけないようにと配慮することがとても多かった。周りの人達の目が気になっていたんですよね。

「行儀が悪いのは親の育て方のせい」
「若いママだから常識がないんだろうね」

一度も面と向かって言われたことはないけれど、今まで接してきた大人達の言葉が脳内にこびりついていたのだと思います。

さらに、夫もとても責任感の強い人で、社会の目が気になるタイプでした。

「こどもと接するのは母親のがずっと長いんだから」
「もっとちゃんとして」
「なんで出来ないの?」

私の言動、ミス、子育ての仕方にもいろいろと指摘することが多くなっていきました。今の私だったら「もっと柔らかい言い方あるでしょ!」等と言い返せていたかもしれませんが、当時の私は本気で自分が悪いと思い込み、

「私がちゃんと育てなきゃ」
「私がしっかりしていないのが悪いんだ」
「私は彼より頼りないから」

と自分に対して、より厳しい目を向けるようになりました。

同時に、まだ2歳にも満たない娘に対しても「ちゃんと」「しっかり」「怒られないように」をかなり求めていたようにも思います。(本当にごめんね。と当時の娘ちゃんと自分を抱きしめてあげたい。)

今振り返ると、ここでの「ちゃんと」というのは、「人に迷惑をかけないように」「だらしないと言われないように」「はしたないと思われないように
」等の言葉が当てはまるなぁと思うのですが、ここでの「迷惑」や「だらしない」や「はしたない」の定義は曖昧だったと思いますね。

母親としての責任を感じつつも、娘のことは大好きで、可愛くて、毎日何枚も愛しい瞬間を撮っていました。友達もいない土地で過ごす母子2人きりの時間は孤独を感じる瞬間も多かったけれど、子育ては本当に楽しかった想い出です。

夫もこどもに対しては溺愛で、家族のために働き、帰宅後も土日休みもほとんどの時間を家族と過ごすために費やしていました。父親からのスキンシップや声掛けに憧れを抱いていた私にとっては、夫と娘を通して、過去の自分の願望を叶えてもらえているような、癒してもらえているような気持ちにもなっていました。

同時に、私自身も彼にとっての過去からの願望を叶え、癒しとなれていたと勝手ながら自負しています。私にとっても、夫にとっても、この家庭を築けたこと、こどもたちと出逢えたことは、かけがえのない時間や経験であったと心から言えると思います。

と、ここまでですでにかなり長文になってますので、ここからは『もちゃ』になるまでのハイライトをお送りしますね!

大学生ママから3児の母になるまで

・在学していた大学に再入学。大学生ママとして1年間過ごし、卒業する。
・次女誕生。2児の母となり、専業主婦になる。
・次女が1歳になるタイミングでヤクルトスタッフとして働くことに。
・約2年半働いた後、第3子である長男を妊娠したことをきっかけに退職。
・土地から探して、両家の実家がない北関東に新築一戸建てを建てる。
・長男誕生。3児(6歳、4歳、0歳)の子育てをする専業主婦となる。
・長男の幼稚園の入園願書を出す時に、自分の今後について真剣に考え始める。(←この時、2020年8月頃。母親になって9年経った頃でした。)

人生の主なトピックをざざっと書き出してみましたが、まぁこの期間に本当に本当に、良くも悪くもいろーーーんなことがありました!!笑

またの機会にゆっくりと振り返ろうと思います。

「現状を変えたい」という強い想い

ハイライトの最後に書いたのですが、長男の幼稚園の入園願書を出す時に、自分の今後について真剣に考え始めたのです。

なぜかというと、この時、周囲の人(家族、親戚、近所の人達)から「パート何かやるの?」と聞かれることが多かったからです。

「ん?なんでパートって決まってるかのような前提で話してくるんだ?」と疑問を持ち、

私には『こどもたちが学校や園に通っている間の時間を有効活用して、家計の足しになるくらいの収入(夫の扶養内)で働く』という選択肢しか無いのだろうか、と違和感を抱き始めたのです。 

考えてみれば、『私のやりたいこと』や『私はどう思っているのか』の質問をされたことが少なかったことに気が付いたのです。周囲の人達だけでなく、自分が自分に問う機会も少なかったことにも。

大人になっても、結婚しても、母親になっても、誰かの意見や想いを尊重、優先して生きていたことにハッとしたんです。

「私は本当はどうしたいのか」

長女の妊娠時に心底向き合ったあの問いと、結婚して10年後に、また真剣に向き合うことになったのです。

そう。

そう感じたのは、「今のままでは嫌だ」「現状を変えたい」という強い想いが実はあったからなんですよね。

そこから、むさぼるように自己啓発本を図書館で借りてきては読み、キンコンの西野さんの動画を毎日携帯で見るようになりました。

そこからの繋がりで、鴨頭ご夫妻や、ホリエモン、新R25チャンネル等にたどり着き、さらにコラボされている方や出演されている方をたどり…、2020年頃にすでにYouTubeで活躍されている方々の動画を無我夢中で視聴する日々が続きました。

また、一方で、キンコンの梶原さんが配信されていた『カジサックチャンネル』での奥様への言動や、お子さんたちの成長する姿を見ては何度も号泣していました。この時の涙には、純粋に家族愛やこどもたちの成長への感動もあれば、羨ましさと自分との比較での嫉妬やショックも含まれていたんですよね。

そこから、「私ももう一度夫と向き合いたい!!!こんな関係のままは嫌だ!!!」と思い、「まずは自分を変えよう」と決意したのです。


そうして2020年の秋頃から、紙のノートに自分の想いをひたすらに書き始めたところから、私の内観ライフがスタートしたのです。 

自分を変えるために、まず自分を知る

『自分を変える』といっても、そもそも『自分のことを知らない』ことに気づいたんですよね。変わろうにも、変化前の自分も、変化した後になりたい自分も全然分からない。

そんな時に本屋さんでひとめぼれした、長谷川エレナ朋美さんの著書『自分の人生が愛おしくてたまらなくなる100の質問ノート』を読んで、さらに愕然としました。

「質問に全然答えられない…。」

『あなたにとって大切にしたい価値観はなんですか?』『あなたにとって理想のパートナーとは?』等の質問に、答えようとするだけで苦しくなっていたのを覚えています。

自分の想いを上手く言語化することが出来ないもどかしさと、自分の本音と向き合う怖さを痛感していました。(読んだ当時はこんな風に捉えることが出来なくて、何度かお風呂で体育座りしてひたすら落ち込んでた記憶があります。)

「私ってなんなんだろう…。本当は何が好きで、本当は何が嫌いで、本当は何がやりたいんだろう。」

自分のことが知りたいけれど、知り方が分からなかった私は、どんどんと占いにのめり込むようになりました。

数秘、そして音声配信との出逢い

自己啓発系の動画から、今度は星座占いやカードリーディングの動画にどっぷりハマりだしました。

まるで自分のことを言い当ててくれているような気持ちになれて、嬉しさや、新たな一面を知れたような高揚感があったんですよね。

その中で、数秘術の話をされているAZ(アズ)さんと出逢ったんです。

彼女の動画は、なぜか特別でした。

AZさんの声を聴くと、感情が揺さぶられるような感覚になり、また彼女の言葉は私の心にストンと届くことが多かった。すっかりAZさんに魅了されていきました。

彼女の過去配信やブログを何度も見聞きしましたが、何度聴いても『ワクワク』と『心地良さ』があったんですよね。

声の波動なのか、インスピレーションなのか分かりませんが、引き寄せられるものがあったのだと思います。(2年半経った今でも好きだし、ワクワクするし、もはや声聴くだけで安心します。)

AZさんに惹かれたのは間違いないですが、彼女が扱っていた数秘も『数に優劣はない』『みんな違ってみんないい』というところが好きで、面白くて、ドハマりしていったんです。

本屋さんや図書館においてあった数秘術に関する本を読み込むようになりました。

数秘を通して『自分を知る』ことで、潜在的に持っていた望みや想いに気付き始めたんです。そして、他者に対しても、理解が深まったような気持ちにもなって、嬉しくなっていました。


そんな中、推しのAZさんが配信されていたラジオアプリを私もインストールし、配信を聴き始めたのが2020年の暮れのことでした。

『もちゃ』として活動してからの私

配信できなかった時期、新たな繋がり

そこからが、私の『もちゃ』としての人生が始まりだったのです。

最初は「芸能人やインフルエンサー達が配信するだけ」だと思っていたのですが、どうやら誰でもラジオパーソナリティになれるとのこと。

AZさんも「発信しないと見つけてもらえないよ」「アウトプット大事!」ってお話しされていたので、私もちょっとやってみようかなと思い始めました。

先程も書きましたが、「勉強したての数秘術を活かしたい」という想いと、「発信することで自分らしさを見つけたい」「自分の想いを発信して、共感し合える人、好きだと言ってくれる人達と繋がりたい」という想いから、リスナーだけでなく、配信者としてもやってみたい、チャレンジしてみたい!と思えたんです。

それでも最初は何を話していいのか分からないし、自分の声も嫌だし、全然上手く話せなくて、一生懸命台本を書いて読んでましたね(笑)

当時は「上手く話さなきゃ」「失敗したくない」「話下手って思われたくない」等の気持ちも強かったと思います。

ちょっと配信してみては、やっぱりやめる。配信しようと思うけど、なかなか勇気が出ない。恥ずかしい。そんな想いから、配信しだして8ヶ月くらいは月に数本アップするくらいで、人の配信を聴くことの方が圧倒的に多かったです。

音声アプリで知り合った人達は、顔も見えない、本名も知らない、年齢も、居住地も、職業も、経歴も、パートナーの有無も、本人が話さない限り、何も分かりませんでした。分かっているのは、SNS名と、アイコン、そして声のみ。これが怖いと感じる人もいるかもしれませんが、私にとっては何の先入観もなく、フラットに関われる関係性が心地よかったんです。

そんな中でも、抜群に心地よい配信者さんと出逢えるから面白いんですよね。AZさん同様、声の相性やワクワク感、心地よさから、何度も聴きたくなる配信者さんたちとも出逢えました。

(詳細はこちらの記事に書いてますので、読んでみてくださいね)

新たな人たちと繋がったり、世の中にはいろんな考え方や価値観の人達がいるのだと、改めて感じたことで、自分の世界が広がっていったように思います。

そして、内観したり、対話したり、自分自身の想いについて深く考えている人達の話を聴くことで、私自身も本当は内観や対話が大好きなことに気が付いたんです。気が付いたというよりも、思い出したという方が近いかもしれません。

好奇心にまかせて挑戦してみる日々

紙のノートに自分の想いや日々の出来事を書き続けて約1年後。
私の大好きなメンターであり、内観の先輩でもある方に出逢い、話を聴いてもらうことで少しずつ自分のやりたいことや本音が浮き彫りになってきました。すると、

「やってみたい!!!」

純粋な好奇心とチャレンジ精神がどんどんとわいてきたんです。

恥ずかしくて出来なかったこと。
人の目が気になって控えていたこと。
今まで気になってたけど「自分なんかが…」と思っていたこと。

「全部やっちゃえ!!!」

と思うがままに挑戦し始めたんです。

この時、私の変化や挑戦を見守ってくれている人達がいてくれたことや、その経緯を話せる存在がいてくれたことで背中を押してもらえたように思います。

一度やってみると思っていたよりも楽しくて、自分を解放する喜びを感じるようになっていきました。

配信当初の「発信することで自分らしさを見つけたい」「自分の想いを発信して、共感し合える人、好きだと言ってくれる人達と繋がりたい」という想いは、叶っていったんですよね。

違和感を無視できない、怒り爆発!

自分らしさとは何か。私の心地よさ心地悪さ、好きなこと嫌いなこと等、知れば知るほどに、今度は自分の感じている違和感を無視できなくなっていきました。

今まで見ないふりしていたこと、気にしないようにしていたことが次から次に気になるようになっていき、本当はどうしたかったのか、本当はどうして欲しかったのかをはっきりと認識するようになったのです。

そうすると、今まで笑顔で流せていたことが流せなくなったり、ちょっとした言動に怒りや悲しみを感じるようになりました。そして、とうとう怒りが爆発したのです。

私の怒りから、触発されて出てきた、周囲の人達の本音にも触れることとなり、その本音が最初は全然受け入れられず…。身近な人達のことも、自分のことも、許せなくなっていきました。この時期は本当に荒れてましたね…。

さらに、この頃に、めまいやだるさで寝込むことが増え、直径5センチにもなる大きな円形脱毛症が3箇所見つかり、体への影響も出てきました。

そこからは、「やりたくないことをやらない」「楽しくない時は笑わない」「嬉しくない言葉は受け取らない」を意識して過ごすようになりました。

ただ、心地悪さから目を背けて拒絶し続けても、なかなか現実が変わることはありませんでした。

それでも、今まで当たり前にやってきたこと、受け入れてきたことをやらなくなったり、断るようになると、今度は私だけでなく、周囲の人達の言動も少しずつ変わっていったのです。

そんな変化を如実に感じるようになったのは2023年になってからでした。

本当に安心できる人達と過ごしてみる

自分のことを知っていった上で、心地悪さに気が付くことも大切ですが、『自分にとって本当に安心できる人と過ごす時間を増やす』ことを経験するのも、本当に大切であると私は思っています。

『自分にとって安心できる』の中身は、人によって異なると思います。
無言でいられる時間がある人に安心感を感じる人もいれば、一緒にふざけられる人に安心感を覚える人もいるように、細かく分解していくと違いが出てくるんですよね。

私の場合は、「否定せずに話を聴いてくれる」「意見が違ったとしても互いに楽しめる」「自分に対して好意的な姿勢でいてくれる」「どんな自分を見せたとしても面白がってくれる」「干渉せずに応援し合える」「相手の変化や挑戦が嬉しいと感じる」こんな風に思える人には安心感を感じます。

実際に、私が関わってきたメンターさんや繋がった友人たちはこういう人達です。その中には、一度も会ったことない人も含まれているのですが、私にとっては、安心感を教えてくれた大切な人達です。

『私はひとりじゃない』『世界のどこかには安心できる人達がいるんだ』

安心できる人達との繋がりは、直接その人達が目の前にいなかったとしても、背中をそっと押してもらえているような気持ちになり、自分の自信へと変わっていきました。

自分の考え、想い、言葉に対して、自信を持てるようになってくると、今度は自分のことをもっと大切にしようと思えるようになってきたのです。


「私は本当はどうしたいのか」

違和感も安心感もがっつり体験してきた今、私は3度目の人生の岐路に立っています。

「私は本当はどうしたいのか」

母親として、妻として、職員として、社会人として、大人として…。
様々な役割を担って生きている私達ですが、その役割を全うすることに勤しむうちに、「私は」の視点が薄れていくことが多いようにも感じます。

そして、自分にとって「母親」とはなんなのか。「結婚」とはなんなのか。「働く」とはなんなのか。漠然としたイメージのままに、過ごしていることが多いようにも感じています。

もちろん、漠然としていたってかまわないんです。本人が幸せに過ごせているのなら。ただ、漠然とした不安やモヤモヤを抱えながら過ごしている場合には、一度考えてみるのもいいかもしれません。

また、昨年に体調を崩したあたりから、スピリチュアルな話や宇宙の真理、波動やエネルギーに関する動画や本もよく見るようになっていきました。人との出逢いや繋がり、人生で起きてることの意味を考える上で、参考になりましたし、知っておいて損はないなと思います。

ちなみに今の私は、「まぁ確かにそういうのもあるだろうけど、自分にとって信じたいものだけ信じよう!」というスタンスでいます。


いろんな体験をして、学んできて、ひたすらに葛藤も繰り返してきた中で、

「どう生きていきたいのか」「どう在りたいのか」

ここと今、日々向き合っています。

このnoteには、そんな日々の葛藤も綴っていますし、
こどもたちとの日常から感じたこと等も書き残しています。

今書いているnoteの記事は、どれもその時の私の一部です。

きっとこれからまた変化していくと思います。
そしていずれは、誰かの変化のサポートもしていきたいと考えています。

でも、まずは、自分から。
先日、子宮頸がんの検診で再検査となったので調べてもらったのですが、幸いがんではなかったものの、3ヶ月に1度の経過観察となりました。

免疫力を高めるために必要なことをする。
自分の心身を大切にするために、環境を整えていく。
進んでいくために、今は準備をしています。

次に自己紹介を書く時には全然違うこと書いてたりしてね!笑


もしも、ここまで読んで下さった猛者がいましたら、コメントください!
あなたの記事を読んで引用記事を書かせていただきます!!!

読んで下さってありがとうございました(*^^*)


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