見出し画像

「正直に言ってごらん」

■遊園地の思い出

「正直に言ってごらん」

黙ってうつむいていた私に、ママは言った。

「もう、やだ。帰りたい。」

私は正直に言った。その時に思っていた気持ちを、そのまま言った。

ママは、なんだか嫌そうな顔をした。

まゆげとまゆげがぐっと近づいて、口はへの字になっていた。

私と目をそらして、大きなため息をついた。

いつものニコニコしたママと違って、怒っているみたい。

「はぁ…。じゃあ、帰ろうか。」

ママはぼそっとつぶやいて、下を向いたまま、遊園地の出口に向かった。

私は悲しい気持ちになった。

自分の気持ちを正直に言ったら、ママは嫌そうな顔をしちゃう。

ママが嫌そうな顔をしたら、私は悲しい気持ちになる。

本当の気持ちなんて、言わなきゃよかった。

悲しい気持ちになるくらいなら、ママが喜ぶことを言った方がいいのかな。

ママのニコニコした顔が、大好きだから。


当時5歳だった私には、どうして帰りたかったのか、

うまく説明が出来なかったのだ。

楽しみにしていた遊園地、ずっと行きたかった遊園地。

だけど、行ってみたら、たくさんの人がいて、音もうるさくて、

乗り物にずっと乗っていると気持ち悪くなってしまう。

怖いピエロもいたし、キャーって叫び声も聞こえる。

カレーの匂いと、ポップコーンの匂いと、甘~い匂いと、

いろんな匂いが混ざった匂い。そこに加わる、人が付けた香水の匂い。

列に並んでいる間に、その匂いにも不快感を覚えていた。

「うるせーんだよ!黙れよ!」「いい加減にしろよな!」

そんな言葉も聞こえてきて、聞きたくなくても言葉が入ってくる感覚に、

耳を塞ぎたくなる瞬間が何度もあった。

楽しそうに見えていた遊園地は、実際に行ってみたら居心地が悪かった。

だけど、この不快感や違和感、居心地の悪さを説明するだけの言葉を、

当時の私は持ち合わせていなかった。自分でも、何が嫌かわからなかった。

「もう、やだ。帰りたい。」

それしか表現の仕方を知らなかったのだ。

その時に言葉にできた、精一杯の正直な気持ち。

でも、その言葉のせいで、大好きな人を怒らせてしまった。

帰りの電車の中は、本当に悲しい気持ちでいっぱいで、

「言わなきゃ良かった…」と、心の中で何度もつぶやいていた。


■母親側の気持ち

大人になり、自分も母親の立場になってみると、

当時の母の気持ちも想像できるようになった。

娘がずっと行きたいと楽しみにしていた遊園地。

喜ぶ顔が見たいから、忙しい中でも、調べて、準備して、

頑張って連れて行った遊園地。

だけど、実際に行ってみたら、娘は全然楽しそうではない。

どうしたの?と優しく聞いても、うつむいて黙ったまま。

「正直に言ってごらん」と聞いたら、「帰りたい」と返事がきた。

娘はあれだけ遊園地に行きたいと言っていたのに。

あんなに調べて準備して、今日だって忙しい中連れてきたのに。

まだ2歳の息子も一緒だから、そのお世話だけでも本当は大変なのに。

夫は全然協力的じゃなくて、私1人で全部計画して今日を迎えたのに。

まだ乗り物だって3つくらいしか乗っていないのに。

それなのに、それなのに…。もう帰りたいだなんて。

だったら、遊園地なんて連れてこなきゃ良かった。


当時の母に直接聞くことは出来ないけれど、

そんな気持ちを抱いていたのではないかと、想像することはできる。


■自分の気持ちを正直に言うよりも

ただ、幼い頃から、相手の言葉や表情から感情を受け取りやすかった私は、

【自分の気持ちを正直に言う】ことよりも、

【相手が喜ぶことを言う】ことを優先するようになっていった。

自分にとって居心地の良い空間を保つために、

相手と、平穏で楽しい時間を過ごすために、

多少の不快感や違和感、居心地の悪さは後回しにする癖がついていた。


そんな状態のまま、結婚をした私は、

パートナーに対しても、同じことを繰り返していた。

「自分の気持ち、正直に言ってよ」と強い口調で言われた時、

思わず自分の本音を話したこともあったけれど、

ものすごく居心地の悪い空気になり、彼の不機嫌が続くのが嫌で、

「ごめん」とすぐに謝っていた。


このようなコミュニケーションを続ける中で、

【自分の気持ちを正直に言う】ことよりも、

【相手が喜ぶことを言う】ことこそが、良好な人間関係を築くのだと、

強く思うようになっていたのだった。

その思い込みを抱えたまま、10年の歳月が経っていた。

■音声アプリでの出逢い

そんな中で、音声アプリで知り合った人達との出逢いが、

私の思い込みを大きく変えることになる。

音声アプリで知り合った人達は、顔も見えない、本名も知らない、

年齢も、居住地も、職業も、経歴も、パートナーの有無も、

本人が話さない限り、何も分からなかった。

分かっているのは、SNS名と、アイコン、そして声のみ。

ただ、元々、人の声から感情を感じ取ったり、言葉に反応する私にとって、

声だけの情報に集中できるのは、とても居心地が良くて、面白かった。

そして、ある日、出逢ったのだ。

その人は、まちこさんという人だった。

知り合った当時の私から見ると、まちこさんは

【自分の気持ちを正直に言う】人だった。

笑ったり、喜んだり、泣いたり、嫌なときは嫌だと言ったり、

喜怒哀楽を隠さず、その時の感情をそのまま伝えてくれる。

「いつか、この人みたいになりたい…!!!!!」

憧れと、羨ましさと、自分には全然出来ないと感じるもどかしさと、

様々な感情を抱きながらも、毎日のようにまちこさんの配信を聴いていた。

それから、まちこさんがこれから始めようとしていたセッションや

モニターにも参加させてもらうようになった。

■「自分の気持ちを正直に言ってもいいんだよ」

まちこさんは、私に何度も伝えてくれた。

嫌だったと言ってもいい、嫌いだと言ってもいい、

本当はこうしたかった、本当はこうして欲しかった、何を言ってもいい。

実際に、何を言っても、「うんうん」と聴いてくれた。

出てくる言葉は、支離滅裂でもいいんだよ、相手に届けようとしなくても、

まとまってなくてもいいんだよ、ということも教えてくれた。

おかげで、今まで言ったことない言葉をたくさん出せた。

こんなこと思っていたんだなぁ…と、自分で気付けたこともたくさんある。

そして、気付いたこと、出てきた言葉、まちこさんとの会話のやり取り、

それらをすべて、パソコンのWordに打ち込んでいった。

まちこさんと毎日のようにがっつり関わらせてもらって、

2ヶ月くらい経ってから、私はまちこさんだけに話していた想いを、

音声アプリの自分の配信でも話すようになっていた。

最初は、こんなこと話して、聴く人達はどんな風に思うんだろう…

って、不安だったし、反応が怖かった。

だけど、意外にも、話を聴いてくれる人達が集まってきてくれた。

何度もライブに来てくれる人や、コメントを残してくれる人もいた。

その1つ1つの出来事が、本当に嬉しくて、温かくて、幸せだった。

まちこさんにしか言えなかったこと、見せられなかったことを、

だんだん誰でも聴ける場所でも言えるように、出せるようになっていた。

繋がってくれた人達は、本当に優しかった。そして、面白かった。

みんなが優しいから、自分の気持ちを正直に言えたし、

みんなが面白いから、思わずケラケラ笑ってた。心から、笑ってた。

そんな時間が大好きだった。そんな仲間が、大好きだった。

ただ、それはアプリの中でしか、まだ出来なかった。

■違いを楽しむ、新たに生み出す

まちこさんと出逢ってから約半年、

音声アプリ上で様々なチャレンジを始めて4ヶ月くらい経った頃、

限定対話コミュニティに参加することになった。これまた、

音声アプリで知り合ったひでさんが立ち上げてくれたコミュニティだ。

最初は単純に、彼のファンだったから、入ろうという気持ちだった。

とは言っても、実は不安も抱えていた。

まちこさんの時は、時折、複数人で話すこともあったけれど、

基本は1対1のやり取りだったから、安心してさらけ出せたのもある。

コミュニティのように最初から複数人とやり取りをするのは

正直、少し苦手意識もあった。合わない人いたら嫌だなとも思っていた。

それでも、ひでさんが以前に書いていたnoteの記事、

【言葉の背景にある価値観について】を読んで、

きっとこの人が運営するコミュニティだったら、

そこに参加したいと思う人達が集まるコミュニティだったら、

私も大丈夫かもしれない、という想いもあって参加したのだった。

対話コミュニティでは、

【対話を通して、ことばの本質を見つめる】

【違いを楽しむ、新たに生み出す】が大切なテーマだった。

限定対話コミュニティの概要から引用させていただきます。

このコミュニティが目指す世界は、「対話を通して、ことばの本質を見つめる」ということです。例えば、「普通」ということばひとつ取ってみても、そこに含まれる意味や、それを作り出した背景・経験は人によってかなり違います。しかし、対話をしなければ、自分にとって当たり前になっていることばの意味を疑うことは、かなり難しいわけです。だからこのコミュニティでは、既に作られたことばの意味を対話によって破壊し、そしてもう一度作り直していきます。そうやって生まれたことばには、とても奥ゆかしい響きがあり、人の心を震わせるような力強さがあります。このように、「対話を通して、ことばの本質を見つめる」ことで、人生を味わい深いものにしてくれると、僕は考えています。このコミュニティに入ってくださったメンバーとは、このような世界を目指していきたいと思います。

このコミュニティの“メンバー”が大切にすることは、「違いを楽しむ、新たに生み出す」ということです。そもそもですが、なぜ対話をするのか?その答えは、「人それぞれ価値観が違うから」です。もし、この世の全ての人間の価値観が同じであれば、対話など必要としません。つまり、“違う”ということを大前提に対話は行われます。なので、自分と相手の考え方や価値観が違う時に、「え?なんでそんなこと言うの?意味わからない」というスタンスだと、対話は成り立ちません。むしろ、「そんな考え方もあるんだ!めっちゃ興味深いなぁ…もっと深く教えて!」というスタンスこそ、対話には必要不可欠です。そして「人との違いを楽しむ」ことによって、「新たに生み出されるもの」がたくさんあります。きっと一人では辿り着けなかったような景色を、何度も見ることができると信じています。

対話コミュニティは3ヶ月限定で、すでに卒業式も行われたのだが、

この3ヶ月間で上記の内容を、体感できた日々だった。

自分にとって当たり前になっていることばの意味を疑うこと、

人との違いを楽しむこと、新たな価値観が芽生えていくこと、

それらを、何度も何度も繰り返す中で、

どんどんと自分との対話も深く、濃くなっていった。

それも、楽しんで出来たのだ。

気が付いたら、コミュニティ内では

正直な気持ちしか、言わなくなっていた。

だって、正直に言っても、誰も否定しないから。

嫌な顔するどころか、面白がってくれたから。

私が正直に言うことで、みんなも正直に言ってくれたり、

素敵な循環が生まれていることを、感じられたから。

正直に言っても大丈夫な仲間が出来た。この安心感は大きかった。

■正直に言っても大丈夫

まちこさんや、コミュニティで得た安心感に包まれながら、

音声アプリ内でもどんどん自分の本音を話せるようになっていた。

すると、応援してくれる人や楽しんでくれる人達との関わりも

どんどん広がり、深まっていくのも感じられた。

直接会ってはいないけれど、寄り添ってくれる感じがして、

とても嬉しかった。すっかり、自分をさらけ出せるようになっていた。

そして、とうとう、実生活の方でも、正直に言うチャレンジをしてみた。

本当はこう思っていたこと、本当はこうして欲しかったこと、

今まで言えなかったことも、パートナーにたくさん伝えた。

ただ、この時に、相手の反応に対する期待や見返りは求めていなかった。

感情をぶつけるのではなく、想いを伝える。

相手を責めるのではなく、自分の願いを素直に出す。

彼が理解してくれなかったとしても、共感してくれなかったとしても、

それでもいい。理解してくれる人や共感してくれる人は世の中にいるし。

ただ、これからも、ともに歩んでいきたいパートナーだからこそ、

自分の想いは正直に言いたかった。伝えておきたかった。

そんな心境で話せたからか、今まで感じたことのない穏やかな会話だった。

それから約2週間、今もパートナーには素直な気持ちを言えている。


関係性を続けていきたい人ほど、深めていきたいと思う人達ほど、

【言う】ことで関係性が変化してしまう怖さもつきまとう。

それでも、【言う】ことの大切さを体感したからこそ、

これからも、正直に言える自分でありたいと思う。

【言えるけど、言わない】のと、

【言えないから、言わない】は全然違うから。

ずっと怖いと感じていた「正直に言ってごらん」は、

出逢った大好きな人達のおかげで、

「正直に言ってごらん、大丈夫だから」に書き換えられた。

長年抱いていた思い込みを変えてくれた人達に、心から感謝している。

ありがとう。出逢えて良かったなぁ、本当に。

みんなのことがね、大好きっ!!!


もう、正直に言っても大丈夫。

もう、私は、大丈夫。


#思い込みが変わったこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?