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足元が整ったら、この先のことを考える余裕ができてきた。

入社から早くも二か月が経とうとしている。驚いた。社会人の生活は、恐ろしいほどに早く進んでいく。毎日、時計の針が倍速で進んでいるような錯覚に陥ってしまうほど、一週間があっという間に過ぎていってる。

確かに、まだまだ仕事は分からないことだらけだ。電話を取るのだっていちいち緊張する。先輩の前だと緊張して口がよく回らない。でもね、そんな感じでやる仕事がとても楽しい。毎日「あーきょうは頑張ったなぁ」とか「楽しかったなぁ」とかいつも口にしている。何なら「明日の仕事楽しみだなあ」とまで言っている。

すげぇや。人間、たった二ヶ月で
こんなに仕事に染まることができるんだな。
自分の適応能力の高さにただただ驚いてしまう。

そして同時に、自分の心のなか、というか思考回路に確かな変化が生まれている。いま目の前にある仕事をどうにかすることにも集中しているのだが、この先の自分のことを考える時間というのがすごく増えてきた。休み時間に、あるいは、行き帰りの電車の中で。ふと、自分のキャリアプランとか、理想の人生とか、そういうのを考えるようになった。


就職活動をしていたころ。
私にそんな余裕は一ミリも無かった。

スケジューリングに使っていた手帳の中に「数十年後の自分を想像してみましょう」というページがあって、見様見真似で書いてみたことがある。でも、その時はまだ先が見えなくて、まだ自分の夢すら叶うかどうか分からない時期だったから、この先どうなっていたいのかをあまり明確に想像できなくて途中で諦めちゃったのだった。

今、自分の思い描いた形とすこし違うとはいえ、興味のあった業種に飛び込んで、自分の好きなことを仕事にできて、仲間や上司にも恵まれて。こんなにも足元が整うと、自然と心は前を向いてしまう。今すぐ先のことだけでなく、何十年後かの自分のビジョンまでどんどん思い描いてしまう。

いやいやいや瑞野さん。そんなのしょせん全部絵空事じゃん!そんなことしてないで現実見ようよ!と心のどこかで思っていても、お構いなしにどんどん空想は広がってしまうのだ。そして、そんな空想に浸っている時間すら愛おしいと思える。楽しい。それぐらいの余裕は出てきた気がする。


若いうちは無限の可能性がある。でも年を重ねるごとにその可能性は無くなってしまう。みんなはそう言うけれど、私はそうは思わない。何歳からだってやりたいことはできる。そう信じている。

私も、早く家庭を持ち、子供を育て、巣立つまで見守ったら「自分のやりたいこと」に一気に専念できるようにしたいと考えている。たとえその「やりたいこと」が実を結ばなくても、自分が願っていた人生が叶ったんだから、何一つ後悔せずそのまま棺桶に収まることができる。と、思う。

だから、そのために今何をするべきか。
自分はどんな人間であるべきか。いつも、
ふとした瞬間になんとなく考えてしまうのだ。

それは一時の現実逃避だよ、って言うかもしれないけど、それなら私は思いっきり現実逃避してやりたい。そんで、現実に戻るための力をたっくさん養って、また仕事に戻るの。その方が、なんだか仕事のキレも良くなってくる気がするから。

10年、20年、30年先。自分が今と同じように、顔をしわっしわにして屈託のない笑顔で笑っていられてるように。前向いて、自分のできることを探して、やりたいことを見つけて。毎日ほどほどに頑張っていきたいなぁ、と思うきょうこの頃である。

しごと、とても、たのしい。

へへへ。



おしまい。



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