マガジンのカバー画像

古今十七文字徘徊

15
古今のふれあった俳句作品についての所感を記録しておくノートのまとめです。
運営しているクリエイター

記事一覧

#15 炎天にてり殺されん天窓哉     一茶

#15 炎天にてり殺されん天窓哉 一茶

 朝飯を食べながら、NHKのニュースをつけると、トップニュースの中で当地の今日の最高気温予想は、40℃であると云うでないか。命にかかわる程の危ない気温であると、アナウンサーが真面目顔でいう。
 この街は北埼玉のどちらかというと平凡な地方都市であるが、地方気象台があるおかげで、夏であればほぼ毎日天気予報では引き合に出されてしまう。だから、毎朝、お天気情報は知りたくなくても知らされてしまうのだ。それに

もっとみる
#14 中年や遠くみのれる夜の桃 三鬼

#14 中年や遠くみのれる夜の桃 三鬼

中年や遠くみのれる夜の桃 西東三鬼

 この句は、昭和23年刊の句集「夜の桃」に収録されている。作られたのは、22年冬から22年秋までの間であるらしい。
 「中年」ということで、作者の実年齢をあげれば、この句の成立時は四十七歳から四十八歳にあたる。
 概ね俳句というのは一人称の表現であるから、その当時の三鬼のある瞬間の所感であるだろう。

 角川文庫版の『西東三鬼全句集』の「自句自解」にはこうある

もっとみる
#13 思想までレースに編んで 夏至の人  伊丹公子

#13 思想までレースに編んで 夏至の人  伊丹公子

 その後も、ぼちぼちと蔵書整理をしているのだが、「花神現代俳句 伊丹公子」という、どうやら自選句集であるようだが、出てきた。これも、例の古書店で105円の値札がついていたので、剥がした。
  その、伊丹公子さんの第一句集『メキシコ貝』(昭和40年刊)からいくつかの句を。

 思想までレースで編んで 夏至の女   伊丹公子

 熱い耳潜る プールの底は 多彩

 わからない未来に賭けて ひらく日傘

もっとみる
#12 行水や美人住みける裏長屋  子規

#12 行水や美人住みける裏長屋  子規

 こう暑くては、風呂で汗を流すのが一番の楽しみだというと、爺さん臭いといわれそうだが、本当にそうだ。曲がりなりにも衣食住が満たされ、その上、毎夜風呂につかることが出来る隠居の日々に何の不足があろうかと、お天道様は云われるだろう。まったくだ、まったくだ。
 
 その風呂であるが、この頃のように家々に内風呂があるなんていうことは、考えられなかった。自分がまだはな垂れ小僧の頃まで、他の家の風呂にいれても

もっとみる
#11 七夕の夜はかりそめの踊かな  井月

#11 七夕の夜はかりそめの踊かな  井月

 こう暑いと、老耄はなはだしい己のおつむから、句を絞り出そうすると、一層暑苦しさが増してくるので、先人達のお作を読ませていただいて、七夕の夜を祝いたいと思う。

七夕の夜はかりそめの踊かな  井上井月

 いいねえ。
 岩波文庫版「井月句集」の脚注では、「七夕踊」について柳亭種彦の「小女の人情に盆を待ちかねて、七夕よりをどる故のなるべし」という言葉を引いてある。本格的には盆踊りなのだから、七夕の夜

もっとみる
#10 動く葉もなくておそろし夏木立 蕪村

#10 動く葉もなくておそろし夏木立 蕪村

 鬱蒼とした夏木立の道を行く。
 行く手も、振り返っても、森はまったくの無風で、葉っぱ一枚動いてない。
 静まりかえっている、不気味、おそろしい。

 そんな感じだろうか。

 関東平野の水田地帯に生まれたので、身近には小さな雑木林はあったものの森林とまでいえるような場所は無かった。

 何度も書いてきたが、武蔵丘陵森林公園は自分にとって心身のリフレッシュの場であるのだが、平日の人気のない林間の道

もっとみる
#9 華麗な墓原女陰あらわに村眠り 兜太

#9 華麗な墓原女陰あらわに村眠り 兜太

「金子兜太句集」の中で、よく知られた作品である。

華麗な墓原女陰あらわに村眠り 金子兜太

 別に難解な句だとは思わない。
 それなら、句意を書けと云われると、困ってしまう。
 
 死者のためには「華麗な墓原」がある村のことである。
 疲れ果てて貧弱に荒くれた男達を、女達は身体を開いて抱え込む。
 唾と汗と体液が滴りまぐわい、果てれば、二人で一枚の煎餅布団にくるまって眠る。
 眠る、眠る村はつか

もっとみる
                                                            #8 死なうかと囁かれしは蛍の夜 真砂女

#8 死なうかと囁かれしは蛍の夜 真砂女

 六月一日のことであるからもう二週間程前のことになるが、市内某地区の「蛍まつり」にでかけた。その地区を流れる用水路で蛍が飛ぶのを見ることができるのだ。祭りはたった一晩のイベントであるが、蛍はその前後の十日間ほどは見ることができる。しかし、そこはお祭りゆえに、気分が浮き立つものだ。
 「蛍まつり」であるから真っ昼間から始まるはずはなく、午後6時よりということで、それでも二〇分前には到着せんと車を走ら

もっとみる
#7 とべないほど血を吸うて 山頭火

#7 とべないほど血を吸うて 山頭火

 「十七文字徘徊」とか看板を挙げているが、特に定型至上主義ということは、全くない。ここの「十七文字」という語は、「俳句」というジャンルを意味するので、有季、無季、定型、自由律、どれであろうと「俳句」であれば、よいのである。というより、表現者が、これは「俳句」であると意図していれば、そのように受け止めるのが当たり前のことだ。

 種田山頭火については、俳句好きな人であれば自分などよりはるかによく知る

もっとみる
#6 桃さくや片荷ゆるみし孕馬 井月  

#6 桃さくや片荷ゆるみし孕馬 井月  

 井上井月の句を見ていると、句に大袈裟なことばの身振り手振りがないところに一番惹かれる。自分のような生半可な俳句初心者でも、概ね理解できる作品がほとんどである。
 一定の事前知識等というか文化的素養をもたない人であっても、わかる言葉で俳句を作ったのは一茶であるが、少し時代を下がって井月もそうであるように思う。
 といっても、一茶も井月も当人は、詩歌についてはそれ相応に知識や修練の時期が基盤にあっ

もっとみる
#5 恋のない身にも嬉しや衣更 鬼貫

#5 恋のない身にも嬉しや衣更 鬼貫

 このところ、上嶋鬼貫『独ごと』がお楽しみである。
 岩波文庫の復本一郎校注「鬼貫句選・独ごと」と同じく復本さんの講談社学術文庫「鬼貫の『独ごと』」全注釈を並べて開いて、読んでいる。
 句については、「元禄名家句集略注・上嶋鬼貫 篇」(玉城司・竹下義人・木下優 著)が頼りだが、これは図書館から借りたので、何時までも手元にはおけないのでちょっと急ぐのであるが、耄碌した脳みそでは果がゆかないのだ。

もっとみる
#4 考える人は考え昭和の日  谷山花猿

#4 考える人は考え昭和の日  谷山花猿

 さて、「不適切にもほどがある」というテレビドラマは、大いに話題になりました。自分も楽しみにしてみていました。
 題名の「不適切」というのは、昭和の時代の価値観や生活習慣は、令和の現在から見ると、不適切としかいえないことが、沢山ありましたねえという意味の不適切でありました。
 そうではありますか、他方で昭和レトロなどといわれて、様々なことがとりあげられ、若者の間にも昭和風のデザインや町並みのファン

もっとみる
#3 梟よつらくせ直せ春の雨 一茶

#3 梟よつらくせ直せ春の雨 一茶

 「七番日記」から、梟は春の季題。

鳩、いけんしていはく

梟よつらくせ直せ春の雨  一茶

《鳩が諫めて言った
《梟よ一癖有りそうな顔つきを直しなさい。春の雨がほのぼの降っているだろう。

 「つらくせ」とは、「面癖」、つい心の内が表情に出てしまう癖のことです。
 これは、人ごとではなく、自分もそうで女房や子供から、しばしば注意を受けています。
 仏頂面。胡散顔。浮かぬ顔。託(かこ)ち顔。賢し

もっとみる
#2 晩春の肉は舌よりはじまるか 三橋敏夫

#2 晩春の肉は舌よりはじまるか 三橋敏夫

 三橋敏夫「真神」(昭和48)所収の句。そうはいっても、この句集を読んいるわけではなくて、孫引きであります、すみません。
 先に謝っておきたいと思います。ここにあげたのは、小生の助平こころのせいかもしれません。お恥ずかしいです。

 昔、新興俳句運動という伝統重視の俳句にして若干ラジカルそうなムーブメントあったらしいとは、俳句作り初心者の自分も知っています。作者はその集団で最年少であった方だそうで

もっとみる