水曜日の窓辺

*ため息まじりに、俳句であるような、ないような、田舎暮らしの愛想なし爺ィの日記兼句帖。…

水曜日の窓辺

*ため息まじりに、俳句であるような、ないような、田舎暮らしの愛想なし爺ィの日記兼句帖。俳号「空茶」、読みは「からっちゃ」でも「でがらし」でも、お好きに。 *推敲せず思いついたままの形で投稿しがちなため、文意の錯誤、誤字脱字、ミスタッチが多くあります。追って修正いたします。

マガジン

  • 「ため息俳句番外」篇です。

    本編の「ため息俳句」には、ちょっと収まりそうもなかった試作的なもの、紀行文など、それと、自分の作品作りへの姿勢など、あれこれです。

  • ため息俳句 花々に会えば・・・。

    折々に出会う花々に寄せた句日記。 野草・野菜の花から名木と云われる一本桜まで、花にもいろいろ、人と同じのように思います。

  • 古今十七文字徘徊

    古今のふれあった俳句作品についての所感を記録しておくノートのまとめです。

  • 「ため息俳句」はじまりの25まで

    俳句をたしまなれる方々には世に月並俳句と云われれば、お腹立ちのことと思います。しかし、俳句のよしあしなど皆目見当もつかない老人ゆえ、せめて「月並」と云われたいと願う始まりの25回分のまとめです。番号がついています。これはせめて100回までは続けようというモチベーション保持のためにつけたものです。100回以降は、番号はありません。

最近の記事

ため息俳句 夏の月

 今夜は、満月である。  こころなし黄色の月である。  当地の祇園祭は、「うちわ祭」といって、昨日から明日にまでの3日間続く、酷暑の中の祭礼である。  さて、「うちわ祭」という名のことであるが。  実際、全国に名を馳せる熊谷の酷暑である。団扇を配るのはまことに理にもかなう、今風に云うなら立派な熱中症対策である。  屋台が移動する先々で身動きできないほど見物客が密集する。そんな時でも、人と人との間のわずかな隙間でも、団扇があればちょっぴり涼がとれる・・・、いやいや、そうも行

    • ため息俳句 桔梗

       歳時記上では、桔梗は初秋になる。  山百合は姿も香りも、蠱惑的であるが、桔梗は清楚に気品高くある。    秋の七草の一つであるが、梅雨明けの今頃には咲いている。昨日も、森林公園で見かけた。 喰う寝る遊ぶを求めざる桔梗かな  空茶

      • ため息俳句 山百合を見に

        梅雨が明けた。 今年の森林公園の山百合はどんな風か見に行くことにした。 ・・・・、それにしても蒸し暑い。 暑さにめげて、止めようかと、・・・・、でも今日で年間パスの期限が切れるのである、更新せにゃなるまいて・・・・、とか。  山百合は、見頃の終わり近くと見受けられた。  暑さをおして来てよかったかも知れない。  二三日遅れたら、すこしがっかりしただろう。  森の入り口に咲いていた山百合に足をとめたところ、足元にトカゲがスルスルっと近づいて来たので、わずかに気持ちが揺れたの

        • #13 思想までレースに編んで 夏至の人  伊丹公子

           その後も、ぼちぼちと蔵書整理をしているのだが、「花神現代俳句 伊丹公子」という、どうやら自選句集であるようだが、出てきた。これも、例の古書店で105円の値札がついていたので、剥がした。   その、伊丹公子さんの第一句集『メキシコ貝』(昭和40年刊)からいくつかの句を。  思想までレースで編んで 夏至の女   伊丹公子  熱い耳潜る プールの底は 多彩  わからない未来に賭けて ひらく日傘  幼女期の華やぎで 沸き立つプール  老はみな居眠る駅舎の 沈んだ平和  

        ため息俳句 夏の月

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        • 「ため息俳句番外」篇です。
          47本
        • ため息俳句 花々に会えば・・・。
          79本
        • 古今十七文字徘徊
          12本
        • 「ため息俳句」はじまりの25まで
          19本

        記事

          ため息俳句 梅雨ごもり

           七月の半ばを過ぎ一層一層梅雨明けが待たれる心地であるのだが、ここにきて梅雨前線が列島上に停滞している。  今日も、一日降ったり止んだして、家に籠もっていた。  数日間、散歩にも出かけていない。    鉄道の乗り換え案内アプリで、「青春18きっぷ」に特化した機能を持つものがあって、それで時々遊んでいる。  「青春18きっぷ」は一部の場合を除いて、全国のJR線普通列車と快速に乗れるフリー乗車券である。であるから、北は稚内から南は・・・、こちらはそう自称する駅が五箇所もあるそう

          ため息俳句 梅雨ごもり

          ため息俳句 桃の実

          桃の実に爪痕のあり口惜しき     空茶桃の皮剥ぎて微笑むほのぼのと桃食うて男恥しむ二つ三つケセラセラ老のゆくへや桃食らふ桃匂ふつらき心の解くるなれ 桃の季節である。 果物一般を余り好まないのであるが、梨と桃は好きだ。 果汁の甘さと香りの具合が好みに合う。

          ため息俳句 桃の実

          ため息俳句 利根川

           所用で、群馬県K市まで。  国道17号バイパスの上武大橋を渡っていった。  利根川は、薄暗かった。 五月雨や利根の上下霧暮れて 空茶

          ため息俳句 利根川

          ため息俳句 西瓜の音

           家庭菜園で西瓜が採れはじめた。 西瓜抱へてほつこり帰る   空茶  畑で採れたものは、ご先祖さんにおそえするのが、我が家のしきたりである。 叩けばぽこぽこと手を合わせてみ仏に  連れ合いは西瓜がだいの好物であるから、何時までもおあずけというわけにはゆかない。 食べごろか食べてよいかと西瓜に訊く 寝転んで西瓜に向かつて耳を澄ましてゐる 寝転べばすぐにうとうととどうにもならない私です  連れ合いが、待ちきれなくなって、声をかけてきた。 ともかくも包丁まな板おち

          ため息俳句 西瓜の音

          ため息俳句 梅雨深し

          きょうは、いかにも梅雨の一日である。    雨だれに妻愚痴愚痴と云ひ止まず 空茶 パスワードメモも紛れし五月雨るる五月雨や隣家の屋根を叩きをり 無精髭嬲りて一日梅雨深し

          ため息俳句 梅雨深し

          ため息俳句番外#47 遺失物

           ここは、埼玉の田舎町であるが、それでも新幹線が停車する駅の、駅ビル辺りまで行くと、ちょっと都会の風を感じる。暑さに負けて家に籠もりがちであったが、それにも飽きてきたので、すこし世間の様子を眺めにと、その辺りまで出かけてみた。  ぶらぶらと行く中で、以前は行きつけであった書店を覗く。さすがにここは場所柄で活きのいい品揃えである、旧知の雑誌がエライ変わりようの表紙で平積みされているのに目を惹かれる。そのくらい、世間の変化に疎くなっているのだ。    そそられる感じの本を手にと

          ため息俳句番外#47 遺失物

          #12 行水や美人住みける裏長屋  子規

           こう暑くては、風呂で汗を流すのが一番の楽しみだというと、爺さん臭いといわれそうだが、本当にそうだ。曲がりなりにも衣食住が満たされ、その上、毎夜風呂につかることが出来る隠居の日々に何の不足があろうかと、お天道様は云われるだろう。まったくだ、まったくだ。    その風呂であるが、この頃のように家々に内風呂があるなんていうことは、考えられなかった。自分がまだはな垂れ小僧の頃まで、他の家の風呂にいれてもらう「貰い湯」の習慣は残っていたという記憶がある。  さて、子規の句であるが、

          #12 行水や美人住みける裏長屋  子規

          ため息俳句 噴水

          にょきにょきとつっ立って飛沫 落つ  空茶 噴水は、打ち上げ花火と似ているところがある。

          ため息俳句 噴水

          #11 七夕の夜はかりそめの踊かな  井月

           こう暑いと、老耄はなはだしい己のおつむから、句を絞り出そうすると、一層暑苦しさが増してくるので、先人達のお作を読ませていただいて、七夕の夜を祝いたいと思う。 七夕の夜はかりそめの踊かな  井上井月  いいねえ。  岩波文庫版「井月句集」の脚注では、「七夕踊」について柳亭種彦の「小女の人情に盆を待ちかねて、七夕よりをどる故のなるべし」という言葉を引いてある。本格的には盆踊りなのだから、七夕の夜に踊るのは「かりそめ」なのである。  井月が暮らした伊那谷の暮らしぶりは自分全く

          #11 七夕の夜はかりそめの踊かな  井月

          #10 動く葉もなくておそろし夏木立 蕪村

           鬱蒼とした夏木立の道を行く。  行く手も、振り返っても、森はまったくの無風で、葉っぱ一枚動いてない。  静まりかえっている、不気味、おそろしい。  そんな感じだろうか。  関東平野の水田地帯に生まれたので、身近には小さな雑木林はあったものの森林とまでいえるような場所は無かった。  何度も書いてきたが、武蔵丘陵森林公園は自分にとって心身のリフレッシュの場であるのだが、平日の人気のない林間の道を行く時々、わけも無く胸が騒ぐような感じがして、つい足早になってしまうことが、時

          #10 動く葉もなくておそろし夏木立 蕪村

          ため息俳句 炎暑の足が早い

           当地は、哀しいほどの炎暑の地である。  毎日のように、テレビニュースの天気予報で、当地が挙げられるを聴くのは、まことのうんざりする。  今日も今日とて、朝のNHKは38度と云っていた。  今年は、その暑さが昨年よりも足早にやってきてしまったように感じられる。 うとましや声高妻も梅雨寒も  久保田万太郎  などという句があるが、内のかみさんの声の高さは一年中だが、今年について云うなら「梅雨寒」なんて日があるのだろうかと、そのほうが疎ましく感じられる。    畑の向日葵は、

          ため息俳句 炎暑の足が早い

          ため息俳句番外#46 執着心

           「徒然草」の十一段である。  大昔、古文の時間に読まされた記憶がある、たぶん世間によく知られている話であろう。  来栖野を越えていったあたり兼好法師が見たのは、幽寂な趣をたたえた草庵の庭に大きな蜜柑の木が植えられていて、枝もたわわに実がなっていたのだが、その回りを厳重に囲いがしてあったというのである。それを見て「この木なからしまばと覚えしか」と興覚めに思ったというのだ。  さて、兼好法師見たのは柑子の木であったが、俗塵にまみれている我が菜園でも結構厳重に柵で巡らしてあ

          ため息俳句番外#46 執着心