#11 七夕の夜はかりそめの踊かな 井月
こう暑いと、老耄はなはだしい己のおつむから、句を絞り出そうすると、一層暑苦しさが増してくるので、先人達のお作を読ませていただいて、七夕の夜を祝いたいと思う。
七夕の夜はかりそめの踊かな 井上井月
いいねえ。
岩波文庫版「井月句集」の脚注では、「七夕踊」について柳亭種彦の「小女の人情に盆を待ちかねて、七夕よりをどる故のなるべし」という言葉を引いてある。本格的には盆踊りなのだから、七夕の夜に踊るのは「かりそめ」なのである。
井月が暮らした伊那谷の暮らしぶりは自分全く知らないが、自分の住む辺りなら麦刈りと田植えが一気にあって、一息つけた頃である。村の若いおなご衆が、ちょっとお洒落して踊りの輪を囲んだとしても不思議は無い。実際に、昔は多くの地方で踊られていたのだそうだ。
明けぼのをたよりに星の逢ふ夜かな
七夕の夜は常ならず夜這ひ星
同じく岩波版「井月句集」より、七夕の句である。
さて、七夕が牽牛星と織女星を祭る行事である事は誰でも知っている。年に一度の逢瀬である。七夕は、まさしく「星合」なのである。そんな特別な夜の句に「夜這い星」とは何事だと思われたかも知れない。
「夜這い星」とは、流れ星のことであると古語辞典にはある。なぜに流星が「夜這い星」といわれるの不思議であるが、一茶の句にも「夜這ひ星」あり。
をり姫に推参したり夜這星 一茶
もともと「よばひ」とは、求婚する、言い寄るということだと大抵の人は知っている。それを「夜這ひ」とすると、夜男性が女性の寝所に忍び込むことということになる。一茶の句ではその星は、牽牛星であると、まあ、まあ、そうしておけばよろしい。
でも、井月の二つの句は、ちょっと、織り姫と牽牛のお話ではすまないニュワンスがあるような気がするのは、小生の勘違いであろうか。
一茶は一茶で、あけすけで楽しい。
さむしろや女は二布して星迎 一茶
「さむしろ」とは、狭い筵、むしろとは敷物のことだ。「二布」とは、腰巻きのことではあるが、「江戸時代の女性が混浴時に用いた膝上の長さの木綿製の湯巻は,横布二幅使いのため二布(ふたの)とも呼ばれ,女房言葉で湯文字(ゆもじ)ともいった。庶民の間では肌着と湯巻の厳密な区別はなかったと考えられる。…」(株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版))とか。それで、それ以上は云うまでも無い。
もう止めよう。なんだか、七夕のイメージが・・・・。勿論、ここに書いたことは、小生の勝手な講釈であって、見る人が見れば、何とおっしゃるかわからない。とにかく、話半分以下の戯れ言だと思し召せ。
とは言え、俳句は、天上界のことより地上のことを詠んでこそであろう。
それにしても、今夜の暑さは何事だ。熱帯夜の七夕とは、・・・・。