見出し画像

ため息俳句 夏の月

 今夜は、満月である。
 こころなし黄色の月である。

 当地の祇園祭は、「うちわ祭」と呼ばれて、昨日から明日にまでの3日間続く、酷暑の中の祭礼である。
 今夜は祭りの中日、月が出た。

あれもまた射的の的や夏の月  空茶



 さて、「うちわ祭」という名のことであるが。

 「うちわ祭」の名称の由来は、夏の祭礼で配布されていたうちわを原点として、明治35年頃より、料亭「泉州楼」の主人がうちわを配付したことにあると語り継がれています。東京での修行中に、うちわが飛び交うことで知られていた「天王祭」からの影響を受けた主人は、老舗「伊場仙」から渋うちわを買い入れ、熊谷の祭礼で配り始めたことが発端となっています。この「うちわ」の登場が好評を博し、その後に各商店でも屋号などを記したうちわを出したため、買い物は「熊谷うちわ祭」の日といわれるようになりました。

「関東一の祇園熊谷うちわ祭」より

 実際、全国に名を馳せる熊谷の酷暑である。団扇を配るのはまことに理にもかなう、今風に云うなら立派な熱中症対策である。

 屋台が移動する先々で身動きできないほど見物客が密集することがしばしばある。「たたき合い」という場面である。各町内から出た山車や屋台が引回し中に出くわすと、「たたき合い」が始まる。両者が激しく囃子を挑み合うのである。時には、三台、四台集まることがある。最終日のクライマックスは全十二台が集合してたたき合う、その音量は夏の夜の空を焦がすほどに熱気を孕む。
 そんな場面では見物人でごった返す。熊谷のそれぞれの町内には、それぞれのお囃子の調子があるのだろうが、判別できない。しかし、お囃子の緩急やら強弱やの変調によって、相手を圧倒しようとするのだから、頭の芯まで囃子に共振し始めるのだ。まして、身体と身体が接するほどに近いのである。
 これ以上に暑苦しいことはない。

笛太鼓腕の触れあう暑さかな


 そんな時でも、人と人との間のわずかな隙間でも、団扇があればちょっぴり涼がとれる・・・、いやいや、そうも行かないか。この頃は、携帯扇風機を持ち歩く人を目にするが、あれは本当に効果があるのだろうか、爺ィには分からん。

 大昔になるが、洟垂れ小僧のころの話だ。この祭りは、一年の最大のイベントであった。屋台を引く綱に取り付いて朝方にから町内を出て市内を一回りし、お昼に帰ってくると、駄菓子の詰まった小袋とかち割りの氷がご褒美に配られた。
 家に帰ると午後の暑い盛りは外に出るのを禁じられた。
 夕飯を食べてから、また、引き綱に掴まって歩く。夜は親と一緒であるから途中で買い食いなども出来るのであるが、屋台が御旅所の辺りに戻るころになると尻にくっついて歩いた。解散時にはラムネなども配られたような記憶があるが、定かではない。
 そのかち割り氷であるが、自分たちはブッカキと呼んでいた。これが一番のご褒美であった。直接持つと冷たすぎるので、汗拭きの手ぬぐいで包んで、その上から氷をしゃぶる奴までいた。このごろでは、想像もつかないだろう。
 これが、中学生の頃になると、なんと言っても思春期であるから、頭の中はこの暑さで沸騰して、平常心を失いがちとなるのであった。
 とにかく、昔から暑苦しい土地であったのである。今夜のように月も出ていた夜もあったろうが、覚えているはずもない。
 

どんつきも家開け放ち夏の月

祭果て子らはおやすみ団扇風

夏月夜思春期の夢羽化なるや