#13 思想までレースに編んで 夏至の人 伊丹公子
その後も、ぼちぼちと蔵書整理をしているのだが、「花神現代俳句 伊丹公子」という、どうやら自選句集であるようだが、出てきた。これも、例の古書店で105円の値札がついていたので、剥がした。
その、伊丹公子さんの第一句集『メキシコ貝』(昭和40年刊)からいくつかの句を。
思想までレースで編んで 夏至の女 伊丹公子
熱い耳潜る プールの底は 多彩
わからない未来に賭けて ひらく日傘
幼女期の華やぎで 沸き立つプール
老はみな居眠る駅舎の 沈んだ平和
ジンタ嗄れ 資産の象へ夜落下
花終わる 土いろにだまってしまった駅
この『メキシコ貝』というのは、1960年から1964年までの作品が収録されている。
すっぱりと定型を棄てて、切れのよい若々しい表現ではあるが、沈鬱さをたたえるものもある。それはやはり1960年代という時代の反映だろう。
自分らの世代にとっては、60年安保闘争というのは、はな垂れ小僧の小学生であったころの出来事で、かすかに記憶にあるのは、「アンポ ハンタイ、アンポ ハンタイ」とわめきながらデモ行進ごっこをしていたことかな、とか。勿論、それが何のことやら何も知らなかった。
それから10年経過する中で、さすがに「はな垂れ」小僧ではでいられずに、「ごっご」ではないデモの列に加わることになる。そこではじめて「60年安保闘争」というのはどんな風だった?などと振り返ろうとしたこともあったが、実はそんな気もあったという程度で終わっている。
そう言えば、1960年なら、6月15日闘争に参加していた樺美智子さんという学生が国会構内で亡くなっていたことは、知っている。そうして、6月24日には、「国民葬」と銘うったデモが国会に向かって行進したのだそうな。
この年の「夏至」は、6月21日であった。
さて、自分は「思想までレースで編んで 夏至の女」という句の「女」に樺さんを連想したわけではない。こじつけようという云うつもりはない。大体おいてそんことをしたら、見当違いもはなだしいという位のことは、こんな自分にだって分かっている。
ただ、樺さんように生きて死んだ人もいたということを、1960年という時の記憶から思い出しただけだ。
「夏至の女」とは、おそらく作者自身である。
「思想までレースに編む」とは、軽やかな詩心と見えて、案外に苦い隠喩であるように感じる。当時、作者は、1960年には、三十五歳であった。
六十年安保闘争は、階層を問わず意識的な人々のほぼ全てを巻き込んだ政治的出来事であった。そうであっても、それぞれの生き方考え方の立ち位置があるのは当然である。闘いに「思想」を研ぎ澄ますのでもなく、鍛えるのでもなく、行動するでもなく、傍観を決め込むわけでもなく、黙して思いを「レースに編む」という、そんな日常に留まる人もいる。
「レース」なんて飾りに過ぎないではないかと、突っ込みを入れるのも愚かである。それぞれはそれぞれでいいのだから。
わからない未来に賭けて ひらく日傘
先の「わからない未来」へ、次々と日傘をひらいて出立して行く人達がいる。それを見ている作者はどんな気持ちでいたのであったろう。作者もそのなかの一人であったろうか、いや、・・・・。
以上、一介の俳句愛好者の感想である。
ともあれ、その60年代の「わからない未来」の先にあった、二十一世紀の世界は、一握りの独裁者が恣にするカオスの中にあって、よくない予感ばかりする「わからない未来」の閉塞感がますばかりだが。
付け加えれば、この作者の現代語と分かち書きについては、自分としては全くの違和感などない。