幻想の世界に生きているとは…

私達が幻想の世界を生きている事を解釈するには、心にはマッチポンプがあることを知るとわかりやすい。

マッチポンプはビジネス用語でも使われてい

るんだけど。
自らマッチで火を着けて、自ら水をかけて消すという意味。自作自演のこと。

心でいうなら
マッチは好き勝手やりたい、自分の思う通りにやりたい、自由に生きたい、抑圧するなー!みたいな意見を持っている。

ポンプはちゃんとしないといけない、人に迷惑をかけてはいけない、 正しくありたい。

みたいな感じ。

常日頃、このマッチの声とポンプの声がお喋りをしていてどちらかの意見を採用していることが多い。

自分を生きるとは、このマッチの声もポンプの声も採用しないってこと。

数年前の精神世界ではポンプの声を採用する話が多かった。
「全てを許しましょう。愛しましょう。」とか

今はマッチの声を採用する話が流行っている。
「自分が心地よいことを選択しよう。嫌なことはやらなくて良い、嫌なことは嫌だと言おう。」みたいなやつ。

私はこの両極を体験して、自分を生きるとはどちらでもなかったと知った。

ポンプの声を採用し続けた結果。
蕁麻疹が出るようになった。

マッチの声を採用することは争いの世界だと知った。

じゃあ、どうしたらいいのか?当たり障りない真ん中をとる事は、この社会でうまく生きる術ではあるかもしれないけれど。

私はそれがしたいわけではない。

じゃあそもそも。なんでマッチやポンプの声を採用しようとするのか?に着目していくことになる。
そうすると見えてくるのは、見たくなかった所に着目していく事だったと知る。

ずっとずっとずっと逃げてきた「嫌だ」という感情との向き合いだった 。

もう何年も前に「ほとんどの人々は“嫌”に対してアレルギーのように過剰反応しているんだ」という話を聞いていたのにもかかわらず。

私は「嫌なものは嫌に決まってるじゃん!避けるべきものでしょっ」と信じて疑わず…
疑わずというか、もう全くもって“嫌”に向き合いたくなさすぎてw

嫌を嫌わずに感じるとか考えるだけでもう嫌すぎてwww

逃げたwwwww

逃げられないのに逃げて、マッチポンプの両極を知ってここに戻ってきたwww

もう、ある意味ガッカリだったw

「こんなに辛いのは過去になにかあるからだ!」(確かにそうではあるけども)とか思って、クリアするためには何かを見つけないと!癒さないと!!!的な感じに思ってたけどw

結局「嫌を感じたくないだけ」なんだと知ったときのガッカリ感ねw
でももうその時の私は藁にもすがるような状態でそこに向き合わざるを得ない状況だったw
マッチの声もポンプの声もどちらでもないとわかっているから、そこに突き進んだ。

そしたらやっと、自分が今まで幻想の世界で生きてきた事を知った。

常にマッチとポンプがお喋りして、他者を私を監視してあーでもないこーでもない言って「嫌」を感じさせては「嫌」を消して…
「嫌」が消えたことに安堵して快楽ホルモンを分泌させて、それを得て、一時的に満足してはまた「嫌」を感じて…という快楽ホルモン中毒の状態になっている。という仕組みだった。

この快楽を得るために過剰に「嫌」を感じている。

たかが、この一時的な快楽を得るために私達は自分を生きることをしなくなっていたっていうw

この茶番w自作自演劇場www
ただ快楽を得たいから他者を環境を自分を責めてるだけww

そう気づくと、どんなに「嫌」と感じる事に正当性を感じる出来事だとしても、他者を環境を自分を責めるなんてとんだお門違いもいいとこなのを知るw
いちいち「嫌」と感じなくても良いんだったw

そもそもの「嫌」の適切な使い方は、命の危機がある時だけ。
死にそうな事態が起きたとき、その場を回避するために「嫌」という感情が出て逃げる。

それ以外はまったく感じる必要性は無いのだ◎

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