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誰が言うかと何を言うか どっちが大事?

率直に聞きたい。

皆さんは「誰が言うか」と「何を言うか」
どちらが大事?

まぁどっちも大事なんだけど。

ちなみにぼくは誰が言う派です。


尊敬できない人がどんなにいいことを言っていても全然耳に入ってこないし
その人が言っていることが100%正しくてもどーしても話が身にならない。


逆にめっちゃ極端な例だけど

もしキンコンの西野さんが戦争は正しい
なぜなら~だから。

とか言われたらもしかしたら正しいと思ってしまうかもしれない。

あくまで例ね。

ぼくの周りの人も誰が言うかのほうが大事って人が多かった。


でも、

先日ぼくが読んだ
「不格好経営」

というDeNAの南場さんの本で
"はっ”と注目したところがあった。

↑この本

DeNAでは
誰が言ったかではなく何を言ったか

に意識を集中しているそうです。

正直これすらも南場さんが言っているから正しく聞こえてしまうけど…


別にこれが100%正しいって事ではない。


なぜ「誰」より「こと」を意識するかというと、

誰に偏りすぎると
1、誰かが言ったことが常に正しいと思ってしまう。
2、誰かに常に同意してしまうようになる
→自身の存在意義はなくなる
3、”誰派”のような政治的派閥が生まれる要素になる
→組織を弱くする

からだそうです。

特に1番は最初のぼくの例でもあったように
悪でも戦争が正しいと思ったり、その人の発言がなんでも正しいと思ってしまうこと。


ぼく自身も前職で社長と面談をしていただいた時に指摘されたが、

「社長が言ったことに対してなんでも
”なるほど”じゃダメなんだ。
俺は議論がしたいんだ」

とおっしゃっていたことを覚えている。

立場の上の人が言うとどうしても正しく聞こえるかもしれないがそれに対し
”なるほど”
で思考を止めてしまってはダメだ。

ということだった。

だから社長との面談は思考しっぱなしだったから頭がパンクしそうになった。


話を戻すと結局どっちが大事かというと
どっちも大事なんだと思う。

ただどちらかに偏りすぎてしまうと、

それなりの危険がある。


一番大事なのは「誰が」「何」を言ってもそれに対して
”なぜ”
と疑問を持つことから始めるのがいいんじゃないかと
自分の中で結論付けた。

これであればおそらく偏ることもないし、
思考も停止はしないと思う。


情報が溢れている社会において「誰」も「何」どちらにも偏りすぎず
どちらの視点でも注意深く見る必要があると思う。

みねを

みねをの読書記録 https://www.instagram.com/minebook7/

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