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過去の亡霊から逃れられない2人の関係 1

 凪良ゆうさんの、「流浪の月」
この方の本を読むのはおそらく初めてだが、なかなか衝撃の一作だった。さすが本屋大賞というだけあって、主人公と周囲の人間関係の中で描かれる感情や悲しい現実に、何度も心を動かされた。

あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。私を心配するからこそ、誰もがわたしの藩士に耳を傾けないだろう。それでも文、わたしはあなたのそばにいたいー。再開すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める。

というようなあらすじである

ここからはネタバレになってしまうが、幼い少女更紗は家族とうまくいかず、血の繋がらない兄に性的な嫌がらせを受けていた。そんな時、公園のベンチに座っている「ロリコン」と呼ばれる大学生、文(ふみ)と出会う。2人は一緒の時間を過ごすようになり、更紗は家へ帰らず、文のアパートで過ごすようになる。いつの間にか文が更紗を攫ったとばかりに、ニュースでは「少女誘拐事件」と報道されていたのだ。

結果的に2人が一緒に過ごしていることは警察にバレ、2人は世間の目に晒される。
しばらく経った後、2人は再会することができるが、世間の人に彼らの声は届かなかった。誰もが更紗は文に嫌がらせを受け、無理矢理一緒に過ごしていたと思っているのだ。かわいそうだ、と。だが更紗には文が必要で、文には更紗が必要だった。更紗が本当に嫌だったのは家に帰って、ベッドに潜り込んでくる兄に体を触られることだったのだから。
2人の関係は、「愛」の正しい形ではないかもしれないが、それでも2人はお互いを欲している...,,そんなことを考えながら読んでいた。2人がそばにいることを許してくれる誰かは、2人のことを理解してくれる誰かは、この世界にはいないのだろうか–––。2人の現実に何度も涙しそうになったが、最後は良い終わり方だった。

「愛」なんていう言葉では語りきれない 2人がお互いを想う気持ち のようなものを、この本を読んだ誰かにも知ってほしい.....それ以上に、理解してほしい、と私は思った。事実と真実は、時には違うのだから。


🔁


ここからはまた、印象的なシーンを順に書いていくことにする。

「あきらかにできないから秘密なんだけど、抱えることも苦しいから、いっそ全部ばれてしまえばいいと想う時もある。ばれてしまえば楽になることもあるだろう」(文)
だってわたしにも誰にも言えない秘密がある。誰かに打ち明けて助けてもらいたい。でも口にする勇気がない。苦しい。助けて。誰か気づいて。でも誰も気づかないで。重い荷物を担いで歩いて行かなくちゃいけないしんどさを、わたしは知っている。(更紗)

文は大人なのに小さな少女が好きという、いわば「ロリコン」だ。世間的にはまだまだ受け入れられていないのが現実だろう、「ロリコン」は。文にとってそれは大きな秘密だ。更紗にとっては性的嫌がらせを受けていることが、大きな秘密だ。

人には誰にも言えない秘密が絶対にある。というよりか、「誰にも言わずに心の中に隠しておきたいこと」が必ずある。それを誰かに知ってほしいわけではないけれど、相手も秘密を抱えていて、それを誰にも言うことができないのなら、なんとなくその相手に惹かれてしまう。
なんだかその気持ちは、とても良く分かる。

知ることができない部分が互いにある、ということも相手に惹かれる理由の1つなのかもしれない。同じ目をした誰かを、人は探しているのかもしれない。



「そうだよ。でも、やっぱり、ひとりは怖いから」(文)
ひどく素直な告白だった、ひとりのほうがずっと楽に生きられる。それでも、やっぱりひとりは怖い。神様はどうしてわたしたちをこんなふうに作ったんだろう。

どうしてわたしたちをこんな人間にしたのだろう、神様は———。
そういう疑問は、私もなんども胸に抱いたことがある。その答えは出すことができずにいるけれど。

私は一人で過ごすのが好きだけれど、やっぱりそれは誰かとの時間が充実しているからこそ、なのだ。誰かとさよならするとき、というかみんなとその日遊び終わってさよならをするときは、少しは悲しい気持ちになる。けれどその一方で、少し自分1人で考える時間が欲しいとも思ってしまう。こういう時の1人の時間は、「孤独」ではない。誰かと過ごしている時間が、走馬灯のように脳内を駆け巡っているから。1人で物思いにふける時間を、必要としているから。
誰かに囲まれていることで、誰かと人間関係を築いて生きていることで、人は逆に孤独を感じることがある。少しの「さみしさ」を感じることがある。1人でいるのが怖くなるのだ。他者がいることで、むしろ孤独を感じるという現象に何か名前をつけたいくらいだ。


「一人で生きるのが怖い」から、結婚するという人は少なくないのかな、と少し思った。この先の人生ずっと1人なんだ、孤独なんだ、と思ったらどうしても誰かと一緒に居たくなった。誰かに寄り添って誰かに寄り添われたかった。
誰かと過ごす時間の中で、1人で過ごす時間も大切にしたかった......私にもそんな風に考える日はいつかやってくるのだろうか。


更紗も文章の中で話しているが、いくらさみしいからって、いくら孤独を感じたからって、いくら誰かに寄り添ってほしかったって、してが誰でも良いというわけではないのだ。一緒に居て孤独を埋める誰かは、一緒に居て欠落した部分を補い合う誰かは、誰でも良いわけでは決してないのだ。

相手と一緒にいる理由を改めて問われると難しい。友達でも、恋人でも。でも自分の人生というパズルのピースにピッタリ当てはまった誰かが、今を生きる自分の大切な人なのだ。そこに居てほしいという理由を言葉にすることはできない。感情を言語化しきれない。けれど、その人でなければならない理由みたいなものが、確かにそこには存在しているのだ。

そう、思っている。


明日へ続く。




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