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歌舞伎座で過ごした青春時代

今年の文化功労賞の受賞者が発表されたが、その中に、歌舞伎俳優の片岡仁左衛門さんがいらした。

受賞のコメントの中で、1990年代のはじめに大病で生死の淵をさまよったことを振り返られて、「そのときに生かされたことは、神様に歌舞伎のために頑張れと言われたと思って、今日までやってきた、これからもそうしていきたい」という趣旨のことを述べられていた。

1990年代のはじめ、大学で歌舞伎研究部という部に入っていた私は、仁左衛門さんがその大病から復帰された舞台を観ていたこともあり、この受賞とコメントは感慨深いものがあった。

あのころ、孝玉コンビと呼ばれた仁左衛門さん(当時、片岡孝夫といい、その「孝」をとっている)と坂東玉三郎さんの見目麗しいコンビの演目や、市川猿翁さん(当時の猿之助さん)のスーパー歌舞伎が流行っていたころで、第何次の歌舞伎ブームと言われていた。

特に孝玉コンビの演目は大変な人気で、チケットがなかなかとれなかったのだが、仁左衛門さんの体調がよくないという話しは、よくきいた。休演や代演が続いて、復帰は難しいのではないかとささやかれていたこともあったので、復帰されたときは本当にうれしかった。

復帰の舞台は「お祭り」で、粋でいなせな鳶のお頭を演じる仁左衛門さんを、大向こうたちが「松島屋!待ってました!」の掛け声で迎える。「待っていたとはありがてえ」というセリフで応える仁左衛門さんに、観客の拍手がなりやまなかった。


こんなことを思い出していたら、ふだんは忘れている歌舞伎研究部の活動についてもあれこれ芋づる式に思い出した。おそらく一般的にはめずらしい活動だったのではないかと思うので、昔話的に書き残しておきたい。

歌舞伎研究部とは、その名のとおり歌舞伎の鑑賞をとおして、演目、脚本の研究や、役者の芸の批評を行うことが主な活動なのだが、メインイベントは、秋に行われる学園祭での部員学生たちによる歌舞伎の実演と模擬店の出店だった。

大学の各部活動には教員が顧問として就任しているのだが、歌舞伎研究部にはもう一人、名誉顧問がいらした。その方は、現在も舞台やテレビでご活躍の歌舞伎俳優ISさん(以下、S先生)で、主に学園祭での学生歌舞伎の実演を指導してくださった。私より何世代も前の先輩のご縁で顧問をご快諾くださったときいている。

特に楽しかったのは、季節のご挨拶でS先生の楽屋におじゃますること。

歌舞伎座、新橋演舞場、浅草公会堂、京都の南座などの楽屋におうかがいすると、女子大生が来ているからと冷やかしで、中村勘三郎さん(当時、勘九郎さん)や坂東三津五郎さん(当時、八十助さん)、中村芝翫さん(当時、橋之助さん)などが遊びにいらっしゃることもあった。

今、最も活躍されている市川海老蔵さん(当時、新之助さん)や中村勘九郎さん(当時、勘太郎さん)、七之助さんらが、まだヤンチャな坊ちゃんでいらしたころで、楽屋の廊下で遊んでいるのをよくお見かけした。

私が部長を務めた年は、学園祭の催しに「白浪五人男」の弁天小僧、“知らざ〜言ってきかせやしょう”というセリフで有名な場面をやることになった。昔の舞台を録音したカセットテープを擦り切れるくらいまで何日も徹夜してきいて、セリフを文字に起こし、台本をつくった。

やっとの思いでそれをS先生の楽屋に持っていくと、「こりゃ、なんだね?セリフにもなっていない」と笑われながら叱られた。

というもの、テープレコーダーはアナログで舞台を録音しているので、弁天小僧特有の早いセリフ回しが遠くて明瞭に聞き取れなかった。そのうえ、私自身が歌舞伎特有の言葉の意味を全く理解していなくて、聞こえた音をそのままに文字にしただけだったので、言葉にもなっていないような有様だった。

研究部の部長を務めながら、何も分かっていない自分の勉強不足が恥ずかしいやら、情けないやらで、穴があったら入りたい気持ちだったが、S先生はユーモアも交えながら、セリフの一つひとつを丁寧に教えてくださった。

特にその年のS先生の指導は、バックミュージックとなる三味線の音楽を実際に歌舞伎の舞台で演奏している杵屋何某さんという方に頼んでくださるほどの熱の入れようで(もちろん、テープレコーダーの録音だが)、学園祭での学生たちによる実演は例年にない大掛かりなものとなった。

今思うと、本当に贅沢この上ない部活動だった。


今回の仁左衛門さんの文化功労賞の受賞をきいて、以下の動画を拝見した。これは4年ほど前、やはり7ヶ月間の休養を経て「お祭り」で復帰されたときのもの。

冒頭のインタビューで仁左衛門さんは、あの20数年前の大病から復活したときの「お祭り」は、今は亡き十八世代中村勘三郎さんからの提案だったと語っている。仁左衛門さんにとって「お祭り」はご自身の大病からの復活狂言であると同時に、勘三郎さんとのかけがえのない思い出の演目なのだということを、今回初めて知った。

この10月の東京歌舞伎座が勘三郎さん七回忌の追善公演であったように、ここ数年の間に、勘三郎さんと市川團十郎さん、三津五郎さんと続けてあちらの世界にいかれてしまった。

実際にお目にかかったこともある、私の青春時代に一番活躍していた役者さんたちが、もうこちらの世界にはいらっしゃらないのかと思うと、私の学生時代の思い出も、夢か幻だったのではないかという気がしてくる。

“雀百まで踊り忘れず”という言葉があるが、勘三郎さんも三津五郎さんも踊りの名手でいらしたから、あちらの世界でもお二人で踊っていらっしゃるのではないかなと想像している。

一方、今もお元気でご活躍の仁左衛門さんやS先生には、これから益々ご活躍いただきたいと思う。

大学を卒業してからは、あまり観ることもなくなった歌舞伎だったが、このような思い出を辿りながら、新しい歌舞伎座でもう一度観てみたい。

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